第十章:影を裂く刃と黒炎の記憶 〜魔王アカリ〜
空を焼き尽くすような黒炎が、地を走る。
大地が割れ、空気が悲鳴を上げ、嵐のような衝撃が森をなぎ払った。
その中心に、アカリは立っていた。
服の代わりに身に纏うは灰と血に染まった布切れ。だがその幼い顔に宿る瞳は、もはや“子ども”のそれではなかった。歳の数など意味を成さないほどに、彼女の魔力は変化していた。
いつからかはわからない。
時間の感覚など、とうの昔に失っていた。
気づけば、彼女の姿は“人間”に近づきつつあった。小柄ながらもしっかりとした骨格、滑らかな肌。髪は濃く深い赤を残したまま長くなり、瞳にはどこか遠くを見る光が灯っていた。
成長の兆し。進化の証。
——ただ、魔王には、まだ遠い。
「おい、アカリ。燃えすぎだ。こっちが丸焼けになりそうだぞ」
焚き火の向こうから、低く響く声がかかる。
男——ガラム。獣のような皮膚を持ち、両腕に巻かれた鎖を武器に戦う中級魔族。数ヶ月前、戦いの末に彼女が倒した相手だった。
今では、共に行動している。
「……文句言うなら、手伝えば?」
「手伝ってるだろ。薪を集めたのは誰だと思ってる」
ガラムは相変わらずアカリに敬語など使わない。むしろ、友人というより兄のような距離感で、彼女を呼び捨てにし、気安く肩を叩く。
だが、アカリはそれを嫌がっていなかった。
「……ねえ、光属性って、魔族には扱えないんでしょ?」
焚き火を見つめたまま、アカリがぽつりと呟く。
ガラムの手が止まった。
「……まあな。聞いたこともない。火、氷、雷、風、土、闇……大体はこのどれか一つだ。あとは特殊な術を持ってるやつが稀にいるくらい」
「じゃあ、全部扱える私は……なんなんだろうね」
ガラムは返事をせず、しばらく火の揺らぎを見つめたあと、口を開いた。
「お前の力は“完全属性適性”だ。古代に一度だけ、そういう魔族が現れたという話を聞いたことがある。だが、光を扱う魔族なんて……伝説にすら存在しない」
「……やっぱり、私は“異常”なんだ」
「異常って言葉は好きじゃないな。面白い、と言え」
光属性は、魔族にとって最も忌むべきものだ。
闇と共に生きる彼らにとって、光とは死を意味する。
その力を持つアカリは、まさしく“異物”だった。
それでも、彼女は歩き続けていた。
目的も明確な理由もない。けれど、どこかで“自分がなにかになる”と信じていた。
そして——その夜。
地平線の先、黒雲の中からそれは現れた。
「……来たか」
ガラムが立ち上がり、アカリの前に一歩進み出る。
「八柱の一人、〈虚炎のシェド〉だ」
その名は、かつてアカリが耳にした“八柱”のうちの一柱。
魔族の中でも別格の力を持ち、一国を滅ぼす力を持つ存在。
黒炎を纏い、虚ろな双眸に空虚な笑みを浮かべた男が、空を裂いて降り立った。
「小娘、貴様が……“完全属性適性”の子か」
その声は空気を焼くような冷たさと熱を同時に孕んでいた。
「試してみるか。お前の“可能性”をな」
爆発のような魔力が辺りを包み、地面が裂けた。
アカリは即座に飛び退き、両手に魔力を込める。
「やってみなよ……こっちは、試されるの慣れてるんだから!」
戦いは激しく、そして熾烈だった。
黒炎と光が衝突し、大地が幾度となく砕けた。
シェドは最初、アカリを“子ども”として舐めてかかっていた。だが、すぐにその態度は変わった。
「まさか、ここまでとはな……!」
彼女の一撃がシェドの右腕を焼き、光の刃がその肩を貫いた時、彼はようやく笑った。
「ふは……まさか、私が押されるとは……!」
そして——
アカリの放った最後の一閃が、虚炎を裂いた。
シェドの体が崩れ、膝をついた。
「……見事だ、小さき者よ」
「とどめは……刺さない。まだ、私は“魔王”じゃないから」
沈黙のあと、シェドは微笑んだ。
「ふ……ふはは! 愉快だ……! では、これをくれてやろう」
彼が肩から外したのは、漆黒のローブだった。
「これは……?」
「我が名と共に歩んだ衣だ。今の貴様には、まだ少し大きかろう。だが、いずれそれに見合う存在となるだろう」
ローブを肩に羽織ると、不思議なことに、それはアカリの身体に馴染んだ。
魔力が収束し、黒炎の残り香が消える。
鏡のような水面に映る彼女の姿は、もはや幼子ではなかった。
肩まで届く黒髪。引き締まった輪郭。見た目は十五、いや十六歳程度。
だがその瞳の奥には、まだあの少女の火が宿っていた。
この日——
“黒衣の魔王”の物語が、静かに始まった。
だがそれは、まだ誰も知らない未来の話である。
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