四章──蠢動

白い記憶──小夜

 七月十三日 午後八時 『コーポひらと』二○二号室

 

 私は、今日の練習を休むとギターの堀に連絡し、横になっていた。


 耳と目に、散弾の音とあの侵入者がこびりついている。


 ──分かっていたことじゃないか。いつか律が……浄焔会が手を下しに来る。


 今日、学校を襲撃した男に、見覚えがあった。浄焔会を脱退した"元"信者。


 ──彼女も、そう。


 これは、美月姉さんの……私への示威行動なのだろう。


 あの藤原美月の……人形の目を、私は久しぶりに見た。


 その目が、あの蓮城家での日々を呼び覚ます。


 ◆◆◆◆ 

 二年前 十二月 蓮城家 


 彼女がまだ、『美月姉さん』だった頃の話だ。


「小夜さん? こうやって……銃口を塞いで、スライドを少し押し込むんです。ほら」


 私は、恐る恐る美月姉さんの持つハンドガンコルトM1911に右手を伸ばす。


 掌で冷たい孔を塞ぎ、軽く押し込む。金属の部品がずれた。


 姉さんは、引き金を引く。私は目を閉じ、何者かに祈った。

 

 神か、悪魔か……或いは目の前の女性に祈っていたのか、わからなかった。今でも答えは出ない。


 私の右手は無事だった。


「……ね?」


 涙が溢れ出す。


「美月姉さん……なんで……なんで私たち……うっ……普通に、幸せに暮らせないの? ひぐっ、こんなの……人殺しみたいな事……したくないよ……」


 律は、困った顔で私に説く。


お父様光照様の理想……『神無き世界』の為です。信仰を捨てない狂信者たちは、力で屈服させなければ」


「姉さん……そんなの、うっく……違う……間違ってる!!」


 彼女は、一瞬怯むと……私の頬を張った。いつも優しい、控えめなお姉さんは消えていた。


 律が、私の顔を覗き込む。


 目が、人形のように綺麗だった。


「小夜さん? 光照様に……お父様にお疑いが?」


 その目は人外の存在が丹精を込めてしまった……魔眼だった。

 

「貴方たち浄焔会は、この国を宗教という阿片から解放するのです。その為には資金力、政治力、そして……武力。相手が神のために死ねるなら、神をも殺す力を得ることが必要なのです。小夜さんとて、例外ではありません」


 ──狂ってる。それじゃ、『神殺しの宗教』だ。


「姉さん……だって、それじゃ……異教弾圧……だよ」


「私たち僧兵や武僧は、形の上では元信者……浄焔会と無関係な人間です。私たちは、『浄焔会と無関係なテロリスト』なんですよ」


 立っていられなかった。


 膝から崩れ落ちた私の頭を、律は慈しむように撫でた。


「小夜さん……私のような子供が、これ以上生まれてはならないんです」


 彼女の出自は、彼女自ら私に語っていた。


『親殺しの美月』、『浄焔会の切り札』。


 そう呼ばれるに足る過去と、苛烈な修行、神への憎悪が、藤原美月を動かしている。


 今さら、私ごとき小娘に、どうにか出来る筈がなかった。


「光照様に尽くすことが……私の生涯、全てを懸けた復讐なんです」


 お姉さんは、そう言ったきり黙ってしまった。


 私は、嗚咽する声を聞いた。


 窓の外は、うっすらと白かった。


 その白く美しいベールの一つ一つが、汚い塵を核として形成されていることを、私は知っている。


 年が明けると、私は荷物と彼らの後ろ暗いお金を持って、蓮城家から逃走した。


 美月姉さんにだけは、一言『体には気をつけて』とだけ書き置きを残した。


 暗く冷たい闇の中を、私は独り歩いた。


 月も星も無い、真の闇夜だった。 

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