【文披31題】小説クロッキー
日崎アユム(丹羽夏子)
1日目 まっさら【現代ドラマ/髪の毛を切る話/4416字】
六歳下に妹がいる。おれと姉はこの妹が可愛くて可愛くてたまらない。その妹が小さい頃からおしゃれに興味を持っていて、毎朝「プリキュアみたいなあたまにしてほしい」とねだってきたので、おれと姉は毎朝試行錯誤しながら妹の頭をお団子にしてきた。
それが案外続くもので、妹は小学校に上がっても姉と兄に髪形を整えてほしいと言い続けていた。遠方の進学校に入って電車通学を始めた姉は忙しくなり、妹に構う時間が減っていってしまったが、ろくすっぽ勉強せずチャリンコ通学の高校生になったおれは、妹が自然教室や修学旅行で留守の日以外は毎日妹の頭をいじり続けた。
そして、いつしかおれのほうが長い髪のスタイリングにこだわりを持つようになった。
高校三年生になる頃には、おれは高校卒業後は美容系の専門学校に進学してスタイリストになる、という夢を固めていた。
そんなおれのために練習台になってくれるクラスメートの女子が何人かいて、おれは「チャラい」「女好き」「イケメン無罪」などなど男たちにやっかまれながら女の子たちの髪を毎朝教室のコンセントにつないだアイロンで巻いたものだった。
というわけで、現在。
おれは無事に美容師になり、個人経営のオーナーのサロンで働かせてもらっている。四人で回す小規模店舗のスタイリストだ。美容師としてカットやパーマをさせてもらうこともあるが、メインの仕事はスタイリングである。成人式、卒業式、結婚式――いろんなシーンで女性の髪をセットしてきた。充実した毎日だ。妹は独り暮らしを始めてなかなか頭をセットしてあげることができなくなったが、おれのスキルで喜んでくれる客は多くて、おれは満足している。
そんなある日のこと、ひとりの女性客が飛び込んできた。
午後三時のことだった。たまたまもう一人のスタッフが昼食に出ていて、おれが一人で留守番していた。幸か不幸か予約がなかったので、レジカウンターの内側に丸椅子を置いてスマホでインスタのスタイリングの写真を眺めてのんびり過ごしていた。
突然ドアが開き、ドアベルが鳴った。
顔を上げると、見覚えのある顔の女性が立っていた。
すぐわかった。高校の時の同級生の
高校の時、おれは高秋さんをずっと見ていた。好きだったからではない。彼女の髪が長かったからだ。それも、普通のロングヘアではなかった。一度も染めたことのない黒、一度も巻いたことのないストレート、一度も切ったことのない長さ――そう、彼女は平安貴族のような髪を常にお団子にしている、かなり変わった女の子だったのだ。
彼女の髪に触りたい。けれど彼女はそれを許さなかった。姉と妹に挟まれて育ったおれは女の子にしつこくすると嫌われることを知っていたので、高秋さんに必要以上に接触しないよう気を付けていたが、心の中ではずっと、アップにしたい、編み込みたい、巻きたい、そしてできれば切らせてほしいと念じていたのだった。
彼女はまっすぐカウンターに近づいてきた。おれは慌ててスマホを閉じ、立ち上がった。
「
彼女もおれのことをおぼえていてくれたらしい。でも彼女は高校時代には一度も見せなかった鬼気迫る顔をしている。何か大事件が起こっているのは明らかだ。
「はい」
「髪切って」
「はい?」
「今すぐわたしの髪をばっさりショートにして!」
「お、落ち着いて!」
今にもつかみかかりそうな彼女に手の平を見せつつ、「とりあえずこちらへ」とご案内する。
座席に座らせ、鏡と向かい合わせた。彼女は興味深そうにきょろきょろして、「美容院ってこんなふうになってるんだね」と呟いた。ひょっとして、来たことがないんだろうか。人生で一度も? 二十代後半の女性が? まあ、世の中にはいろんな人がいるもんな。
彼女は髪を太いかんざしでひとつにまとめていた。巨大なお団子だ。高校時代もそうだった。
おれが何か言う前に、彼女はかんざしを引き抜いた。長く美しい黒髪が床についた。おれは彼女の髪が汚れてしまうと思って急いで座椅子をポンプで上げたが、ぜんぜん間に合わない。毛先が床に渦巻いている。たぶん一メートル三十センチくらいある。
「今すぐ切って。ばっさりと」
「本気で?」
高校時代のおれは若すぎて切ってみたいなどと思っていたが、今となってはとんでもない。この長さに伸ばすのは本当に大変だっただろう。世の中の馬鹿はロングヘアの女性をおとなしくて清楚だと思い込んでいるようだが、髪は長ければ長いほど怨念がこもっている。
「何かあったの?」
おれはできるだけ平静を装って問い掛けた。こういうカウンセリングも美容師の大事な仕事のひとつだ。これができるかできないかで、お客様の満足度がまったく変わる。
「高秋さん、神社の娘さんで巫女さんの恰好をするのに黒髪ロングがいいんだって言ってたじゃん。家で何かトラブったの?」
「よくおぼえてるね。そうなの、わたし、神社の一人娘で、小さい頃から変なしきたりに縛られてたの。わたしの周りだけプチ因習村なの」
「あんま因習村とか言うなよ、ガチ村育ちに失礼じゃん。ここにだって山奥の集落から車で一時間かけてきてくれるお客様がいて、話聞いてるとほんと大変そうなんだからさ」
「わたしだって大変なの!」
「で、それがなんで切ることにしたの? 巫女さんやめんの?」
「そう」
勝気な彼女の瞳が一瞬曇った気がした。
「家出しようと思って」
なんと!
「わたし、普通の女の子になる。でも普通の女の子はこんなにずるずるだらだら髪を伸ばさない。せいぜい胸の下くらいまでじゃない? こんな頭で都会に行ったらすごい頭の女が来たって思われちゃう」
「まあ……、まあ、十人十色って言うじゃん」
「とにかく、家と縁を切りたいのよ。そのための儀式として、髪を切り落とす必要があるの」
おれは「まあまあ、まあまあ」となだめながら話を続けた。
「ちなみになんで実家を出たいか聞いてもいい? 二十七年分の念がこもったまっさらな髪を切るためにおれも覚悟を決めたいので、できる限り、ひとつでも多くの情報が欲しい」
彼女は叫ぶような大声で答えた。
「親が決めたいいなずけとやらが出てきたの!」
おれはショックを受けた。
「元華族で、数百年前には皇族だった人なの!」
「すっげー! えっ、なに? 怖いもの見たさで結婚してほしい」
「いやーっ! 絶対いや! キモキモキモ! 令和にもなって見ず知らずの男と血を保つために結婚して家の存続のために子供を産むとか、ありえないありえないありえない!」
ちょっと考えてしまった。おれの強い姉はレズビアンで女性との壮絶な恋愛の果てにオランダに引っ越して現地で結婚してしまったが、人間がそこまでして求める結婚というものを強要されるというのは女性にとって大変なことなのだろう。いや、男性のおれも嫌だけど、今は仕事が楽しくてカノジョを作っていないからぴんとこない。
「家を出る。髪を切る。切って。金ならある」
おれは考えた。
髪を切るのは自由の象徴。
今時失恋で髪を切るような女性は、まあ実はゼロじゃないんだけど、ほとんどいない。女性にとって長さはそれほど重要なものではなくなってきた。それでも髪は彼女たちにとって大切なもので、特別なものなのだ。
「よし。おれも覚悟を決めたぞ」
大きく頷く。
「ただ、ひとつ提案がある」
「なあに?」
「ヘアドネーションさせてくれ」
彼女は睫毛をぱちぱちさせた。
「何それ」
「切った髪の毛を寄付する制度のこと。病気で髪が生えない、もしくは抜けちゃった人のために、人毛のウィッグを作るんだよ。これ、長さと量がある程度ないとできないことだから、高秋さんのように長くて美しい髪はぜひ! 寄付してほしいんだけど」
そう説明すると、彼女はすぐ「わかった」と頷いてくれた。
「嬉しい。わたしの髪が人の役に立つんだね。わたしにとって束縛の象徴だった髪が」
「そうよ。もしかしたら憧れのロングヘアになれる子供とかいるかもしれないわけだ。人毛でロングを作るの、大変だからな」
「ぜひぜひそうして。寄付する」
「ありがとう」
というわけでおれは彼女の髪を小分けにして特別な縛り方でまとめ、緊張で震えそうになる手を抑えながら彼女の髪にハサミを入れたのだった。力士の断髪式より重い。いや力士の髪切ったことないけど。
最終的に、彼女の髪は肩上のセミロングとなった。彼女の望むショートにするのは気が引けた。彼女が今後何回美容院に来るかもわからないし、また伸ばすならこのまま放っておけばいい、という考えから提案したものだ。彼女はちょっと不満そうだったが、「ある程度長さがあるとスタイリングもいろいろしがいがある」と言うと納得してくれた。いや、マジで次いつここに来てくれるかわからないけど。
彼女の髪の毛先をアイロンで巻く。ふんわりとした仕上がりになる。印象がぜんぜん違う。
「わあ……! これがわたし! すごい垢抜けた!」
喜んでくれて何よりだ。美容師として満たされる。綺麗にしてあげたい、もそうなんだけど、それはおれ側の勝手な願望。本人が満足してくれるのが一番だ。
「風呂、楽になるぜ」
「ほんとだね!」
アイロンを冷ますために棚の上に置く。
「で、これからどうするの? 余計なお世話かもだけど、これ、隠せるものじゃないぞ。もう見た目からしてぜんぜん違うから、家に帰っただけで一発アウトじゃないの」
「でもいいよ。すっきりした。さっき家を出た時は頭に血がのぼってて何も考えられなかったけど、高梨くんとしゃべってだいぶ落ち着いたし、頭が軽くなってハッピーだから、落ち着いて荷造りできると思う。親もこの頭見たら諦めるでしょ」
「そうだといいね。それで、その後は? どこか行くあてあるの?」
「ない」
あちゃー、と言い掛けた、その時だった。
「高梨くんち行こうかな」
「えっ」
「その元華族とかいうキモい男と婚約破棄して高梨くんと結婚して、毎朝ヘアセットしてもらいたいなあ」
「なんだって!?」
「ずっとあこがれてたんだよねえ」
彼女がふにゃりと笑った。
「十年前、教室で髪の毛をいじってもらっていたクラスの女の子たちが、うらやましかった。わたしもあんなふうに扱ってほしい」
おれは一瞬真っ白になったが、そこは大恋愛の末にオランダに引っ越した姉をもつ弟である。世の中には本当にいろんな人がいて、恋も愛も何をきっかけに目覚めるかわからない。人生には急展開なんてあるあるなのだ。
それに、姉も妹も出ていった実家には空き部屋があり、おれの親は毎日女の子がいない、女の子がいない、と嘆いているので、それはそれでいいのかも。
「おれと高秋さん、個人でLINE交換したことなかったっけ?」
「あるよ」
「車出すから荷物まとめたらLINEして」
「やったー!」
まあ、人生いろいろあるよなあ、と思っておれは意気揚々と店を出ていく彼女の後ろ姿を見送るのだった。
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【あとがき】
しょっぱなからすげー長くなるじゃん………………。
次回からはこの半分以下にします。
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