その翡翠き彷徨い【第52話 光の子】

七海ポルカ

第1話




「ガルドウームまで行って来たよ」




 いつも通り旅先で入手した色々な物をテーブルの上に出しつつ、メリクは椅子に座った。

 珈琲を貰って戻って来たエドアルトが向かいの椅子に座る。


「足は大分いいみたいだね」

「はい。もうほとんど杖もいらないです」


 エドアルトが笑うとメリクは良かったね、と微笑んだ。

「ガルドウームは【有翼の蛇戦争】以後治安がとても悪いって聞いてます」


「うん。ほとんど国として機能してないからね。

 あそこは代々門閥の一族が長となって貴族の子息達は男も女も騎士団に入るのが伝統なんだけれど、その伝統も今はほとんど名ばかりになってしまっている。団員はほとんど傭兵だったから。貴族子飼いの自警団という所かな……。元々ガルドウームの名のある門閥貴族達は【有翼の蛇戦争】時の内紛で討ち合って死んでいるからね。

 貴族達はそれぞれに傭兵を雇って自領で怯えているようだ」


「そうなんですか……」


「……あの国の混乱はもっとずっと長引きそうだな……」


 メリクは畳んでいた布を広げた。そこに色とりどりの鳥の羽根が重ねられている。

「綺麗ですね」

「うん。さっきここの子供達に見せてあげたら喜んでたよ」

 これは普通の鳥の羽根ではない。

 魔力を帯びるモンスターの羽なので護符や道具に加工出来る物だ。

 エドアルトは布に紙を敷き一枚一枚丁寧に並べている。

 ここで数日完全に乾かすのである。

「でもそんな治安の悪い国、危険な目には遭いませんでしたか?」

「うん。大丈夫だよ」

「ガルドウーム王国は、これからどうなって行くと思いますか?」


「悪くなって行くだろうね」


 メリクは宝石の分類を始めた。

 安い物と高価な物、そして魔石にメリクはいつも分ける。

 だがこの判別はエドアルトには出来なかった。

 宝石の価値も魔石の価値も彼にはまだ分からないからである。

 だからエドアルトはメリクが分けた物を区別無く綺麗に拭く作業をする。


 メリクにこういう事をしろとか手伝えとか言われた事は一度も無い。

 メリクがしているのを見て覚えて、エドアルトが自分から何となくするようになったのだ。

 エドアルトがそこにあった一枚の銀貨を手に取った。

 青く錆びてはいるがそんなに古い物ではないようだ。

 桶に溜めていたお湯にコインを入れて、布で表面を強く擦ると錆びは剥がれ落ちた。


「ガルドウームの銀貨ですか?」

 裏に二つ首の蛇が描かれている。

「何か文字が書いてある……」


 表を火に照らした。

 エドアルトにはそこに刻まれた字が読めなかった。



「【我が二言にごんを伝えよ】」



 メリクの顔を見る。

 彼は宝石を調べる視線をあげないまま言葉を続けた。


「二つ首の蛇はガルドウームの神話によく出て来る生き物だ。

【ルテシア】という『死の女神』の使い魔なんだよ」


「死の女神……」


「【死に服従せよ】

【凍れる時を愛せ】。

 蛇はこの二言だけを女神から与えられているんだ。

 女神が死の鎌を振るう前に、人間の前にこの蛇が現われ女神の言葉を伝える。

【凍れる時】――というのは魔術観では死と深く結びつく単語なんだ。

 精霊や魔力の影響を受けない完全なる死の世界という意味でね。

 まぁ魔術観で【凍れる時】は魂の劣化を防ぐ、

 完全なる世界という側面も持っているんだけど……」


 メリクはじっとエドアルトが自分の話を聞いているのに気付いた。

「メリク?」

「ああ。……まぁそういう意味でガルドウームの神話によく出て来る二つ首の蛇なんだけど、近頃ガルドウームでそのコインがよく出回っていてね」

「今まではなかったんですか?」

「うん。新しく作られた物だから」

「へぇ……内乱状態だって聞いたけど……」

「確かに治安は悪かったね。……でもこの前行った時と、別の感じもしたな」

 メリクは頬杖をついてエドアルトの持ってるコインを受け取った。

「別の感じ、ですか?」


「――何か別の空気が生まれて来ているような……」


 エドアルトは首を傾げる。

 メリクは銀貨を指で弾いてエドアルトに返した。

「君にあげるよそれ。

 とにかくガルドウームでは、

 その蛇はちょっと曰く付きな信仰の証だってことは覚えておくといいよ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 メリクは宝石の判別を続けた。

 安価なものはいつも通りエドアルトにあげるよとくれた。

 エドアルトは最初いただけませんと言っていたが、エドアルトが受け取らないとメリクは本当に、ただここに置いて行くだけなので、今では受け取るようになった。


 分別を終えるとメリクはテーブルから離れて鳥籠を覗き込んだ。

 眠っていた白いバットの雛を取り出して自分の手の平に乗せて撫でている。


「メリク、そいつやっぱり青いヤツかもしれないですよ。ちょっとお腹の所の毛の色が変わって来てるんです。まだ灰色っぽいけど」

「へぇ~青いのか。青いのは毒性一番強いからね。成獣すると魔法も使うし。ちゃんと毒性弱らせておくんだよ」

「はい」

 エドアルトが食器を持って行こうとするとメリクが声をかける。

「いいよ。俺が下に持って行くよ」

「大丈夫です。もう階段の上下も出来ますし」

「普通に暮らすならね。でも君の場合は完全に治さないとダメだろ?」

 エドアルトは笑った。

「はい。ありがとうございます」



 ――――夜。



 部屋の明かりは消えている。

 窓辺に蝋燭が一本。

 

「メリク」


 メリクは手琴を拭き調子を整えている。

 エドアルトはすでにベッドに入って時折聞こえて来る弦の音を聞いていた。

「うん? なに……うるさかったかい?」

「あ、いえ全然」

 エドアルトは体の向きを変えメリクの方を見た。


「メリクは、今まで旅をして来た中で人に騙されたり……そのことで悩んだりしたこと、ありますか?」


 メリクは手琴を抱えたまま小さく笑った。

「人を信じるのが怖くなったかい?」

「…………よく分かりません」

「まぁ旅に出た当初はね、それは足元見られたり絡まれたりはしたよ。

 でも、騙されたりはあまりなかったかな」

「そうなんですか?」

「うん。まぁ君と違って俺はもともと他人を疑う所から始める事の方が多いから。一人旅には良かったんだろうね」

「そうですよね。段々信じれなくなるより、最初は疑っても段々と信じられるようになる方がいいですよね……」

「まあ別に段々信じるようにはなってないけど。それに騙され難かった理由はきっと他にあるよ」

「?」


「俺は魔術師だからね。【万物には魔力や精霊が必ず宿る】……この意味が分かるかい?」


「いえ……」

「つまり、魔術師というのは常人が見る世界に並行して、同時に、魔術師だけが見れる世界も見ているんだ。君はこの部屋に息づく魔力や精霊の色や匂いを感じる事は出来ないだろう?」

 エドアルトは部屋を見て、頷く。


「魔術師は普通の人間より感じ取れるものや見れるものが少しだけ多いって思えばいいよ。

 だからもし邪な考えを持って寄って来る人間がいると、普通の人間より多いその情報量がそれを教えてくれる事があるんだよ。

 人は魔法を使わない人間でも必ず魔力を持ってる。もちろん強弱はあるけどね。

 感情は少なからず魔力や精霊に影響を及ぼす。ある意味で魔術師でない人も日常的に魔法には関わっていると言っていいのかもしれない。

 だからそれを感じ取れれば回避出来る危険は増えるんだ」


 エドアルトは身を起こす。

「?」


「……メリクってもしかして……嘘ついてます?」


「嘘?」

「不肖の弟子とか逃げ出したとか大した事無いとか言ってますけど……もしかして実はものすごい魔術師なんじゃないですか、本当は」

 メリクは翡翠の瞳を瞬かせてから吹き出した。

「嘘じゃないさ。どうしたの突然」

「そうかなぁー。だって俺、あんまりそんな話聞いた事無いし。メリク何気なく話してますけどそれって魔術師皆が簡単に出来る事じゃないんじゃないですか?」

「そんなことないよ。俺が言っているのは誰もが理解出来る魔術観の事さ」

「ほんとかなぁ……」

 エドアルトは首を捻りつつベッドに仰向けに戻った。

「ふふ……」

 振り返るとメリクが手琴を抱えた姿で微笑っていた。

「君のいい所は分かってないのに分かったフリは決してしない所だよね」

「え?」



「――――そういう人間はね、魔術を学ぶには『向いてる』よ」



 エドアルトは驚いた。

 彼は昔から魔法が苦手だった。それは自分でも向いていないと認めていたのだ。

 ……魔術に向いてるなんて言われたのは初めてだった。


「ほんとですか?」


「こんなことで嘘は言わないよ。嘘をつくのは体力いるからね」


 メリクは立ち上がった。

 いつも通りソファを整え毛布に包まり寝そべる。

 メリクは旅生活が長過ぎて今ではベッドで寝る方が落ち着かないらしい。

 

「メリク。俺早く足を直しますから。そうしたら、今度こそメリクの旅にどんなところでもついていきますから」


 メリクは笑ったようだった。


 おやすみ、と静かな声が聞こえた。



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