第32話

 椿と秀雄が一階に戻ると大騒ぎだった。


「秀雄様、こちらへ」


「え?」


 椿は秀雄の手を取ると、会場内の壁際を歩いて庭まで出た。

 庭には椿が見つけた男と、主催者と護衛だと思われる男たちと成孝と……桜子が立っていた。桜子は成孝の腕にしがみついていた。


「成孝様、早く戻りましょう」


 桜子は成孝に必死で戻ろうと言っていた。椿はそれを見て、胸をなでおろした。


(問題の起こった会場から出ようというのは望ましい行為だわ。しかも自分だけが逃げるわけではなく、成孝を誘って下さるなんて……成孝様はいい方を見つけられたわね)


 椿にとって、皆が我先にと逃げ惑う中、成孝と共に逃げようとする姿は大変望ましいことだった。


(でも……胸が……痛いわ)


 とても好ましいはずなのに胸の痛みを感じて、椿は静かに胸を押さえた。そんな中大きな声が響いた。


「誰の依頼だ」


「……」


 椿が庭で捕まえた男は、主催者の井田の護衛に詰め寄られているが、口を開こうとはしない。

 口を割らない男の前に椿は先ほどの拳銃を差し出した。


「椿!!」


「何を!?」


 皆が驚く中、椿は拳銃を解体した。


「見て下さい。この拳銃には細工がしてあり、一度目は、鉛玉が前に飛び出します。しかし……二度目は、後ろに……つまりこれを撃った人物に当たります」


「なんだって!? あいつ騙したのか!?」


 椿は、男を見ながら尋ねた。


「教えて下さい。誰を狙っていたのですか?」


 男は、観念したように言った。


「そこにいる東稔院の若き当主だ。爆発は俺は何も知らねぇし、関係ねぇ」


(やっぱり、狙われたのは成孝様だった……)


 椿は男が持っていた拳銃を見た時から、以前土手で成孝たちを狙った者たちの仲間だと当たりを付けていたので、予想通りだったが、桜子が青い顔をした。


「え? 東稔院様……どういうことですか? お命を狙われていますの?」


 成孝は深く頷いた。


「はい。私には敵が多いですから……井田殿も折角の夜会を台無しにして申し訳ございませんでした」


 井田は小さな声で「私もあなたとかわりません」と呟いた。

 だが、桜子は一歩、また一歩を後ろに下がった。

 そして泣きそうな顔で成孝を見ながら言った。


「東稔院様……あのお話、白紙に戻していただけませんか?」


 成孝が驚いた後にうなずいた。


「わかりました」


「失礼いたします」


 桜子は、足早に去って行った。

 

「はて、何の話ですかな?」


 井田が成孝に問いかけると、成孝は「何もありません」と言った後に真剣な顔をした。


「井田様。今回の招待客の名簿を見せてもらえませんか?」


「それは構いませんが、急遽いらっしゃることになった方々の御名前はありませんがよろしいでしょうか?」


「ちなみに急遽来るになったのは、我々の他にはどなたですか?」


「そうですね……東稔院様の他は、五条様ですね」


 成孝と秀雄は顔を見合わせた。


「そうですか……」


「受付で確認してください。おい、案内を」


 護衛が動くと、秀雄様が「俺が行く」と言って受付に向かった。

 そしてカンカンと鐘の音がなり、警察が到着した。会場内や外も人が多く逃げていたので中々この屋敷に近づけなかったのだろう。


「井田様、我々は失礼いたします。今回のお詫びはいずれ」


「ええ。楽しみにしています」


 成孝は椿の手を取ると、人のいなくなった庭園を足早に歩いた。

 そして、受付で招待客の名簿を確認した秀雄と共に屋敷に戻ったのだった。




 

 屋敷に戻ると、成孝が口を開いた。


「恐らく今回、これまでも我々を狙っていたのは五条だろうな。西条と手を組むことが漏れたのかもしれない」


 椿は、成孝と秀雄を見ながら言った。


「私、その方のお顔を見ました」


「え? 見たのか?」


 秀雄が驚いたので椿は頷いた。


「はい。長い黒髪を束ねた長身の男性でした。成孝様くらいありました」


 秀雄と、成孝はゴクリと息を呑んだ。


「五条で間違いない」


 成孝が眉を寄せた。


「相手は五条か……過激なことを止めろと言っても、警察は動かないだろうな……」


「ああ。しかも代議士と繋がっているはずだ。権力者からも守られているぞ……」


 秀雄の言葉に沈黙が訪れた。そしてしばらくして秀雄が口を開いた。


「とにかく、今日はもう休もう!! そして俺はどうにか五条に警告できないか考えてみる。それに明日は西条との会談だろ?? とにかく頭と身体を休める!! おやすみ」


 秀雄が部屋を出ると、成孝と椿は二人きりになった。


「成孝様もお疲れでしょうから、私はこれで……」


 椿が歩き出そうとすると、成孝が椿の手を取った。


「椿、実は先ほどまで桜子さんとの婚約の話があった」


 椿は成孝を見た。

 成孝はそんな椿を真っすぐに見つめながら言った。


「そして、先ほど解消された……」


 成孝は、泣きそうな顔で身体をかかめて椿の方に額を付けた。


「正直、ほっとしている。すでに私は生涯を共にしたい相手が出来てしまったようだ。もう、その者以外と夫婦になる気はない……」


(つまり……私のお役目は……ここでおしまいか……)


 椿は寂しさを堪えて口を開いた。


「わかりました」


 椿の言葉を聞いた成孝が、椿を見て微笑んだ。


「本当か?」


「はい」


 嬉しそうに微笑む成孝を見て椿は、心を凍らせながら答えた。


「成孝様、今夜はこれで失礼いたします」


「あ、ああ、そうだな……私も……これ以上二人でいたら……止まれなくなりそうだ」


 椿は成孝に頭を下げて「おやすみなさい」と言って成孝の執務室を出たのだった。




 その日の深夜。

 椿は、袴を着ると髪を結い上げた。地図を広げて場所を確認した。

 そして仕込み杖ではなく、模造刀を脇に差した。


「成孝様、どうか勝手をお許し下さい」


 明日の成孝の予定。それは――西条宗介を交えての鉄道事業の重鎮との会談。


 宗介を狙う者の執念はかなり根深い。

 そんな彼らが、明日の会談に目を付けないわけがない。


 しかも……


 椿は彼らのその執念の原因と決して無関係ではない。


(……帝都南の造船所)


 椿は先ほどの地図で五条が潜んでいると思われる場所を把握した。

 明日の襲撃に向けて、準備をしているだろう。


 しかも椿の足ならば、半刻と四半時で行ける。

 馬の通れない、屋根などの上を飛び直線距離ならば半刻でも行ける。

 椿は、誰にも告げずに二階の窓から屋敷を抜け出したのだった。




 椿が屋敷を抜け出して、一刻ほど経った頃。

 成孝は、妙に目が冴えて眠れずにいた。


「椿と想いが通じて浮かれているのか……明日は大切な会談があるというのに……」


 成孝は何度かベッドで寝がえりをうったが眠れなかった。そうして夜風に当たるためにベランダに出た。

 月が美しく輝いていた。


「椿は今頃、どんな夢を見ているのだろうか?」


 成孝は、ベランダから椿の部屋を見つめた。

 すると椿の部屋の小窓からカーテンが外に飛び出して揺れているのが見えた。


「ん? 窓が開いているのか? さすがに朝は冷える……閉めてやるか……」


 成孝はノックをした。

 だがもちろん返事はない。


(やはり寝ているか……)


 成孝は椿の部屋に入った。椿の部屋は扉がなく、寝室が奥にある。

 成孝はべきるだけベッドのある部屋を見ないように、窓に近づいた。

 そして異変を感じた。


 窓の隙間からロープが見えたのだ。


「椿!?」


 成孝が急いで椿の寝ているはずの寝室に入った。


「いない……」


 成孝は部屋中を探したが椿の姿が見えない。

 成孝は、隣の秀雄の部屋をノックした。


「おい、いるか!!」


 成孝が秀雄の部屋に入ると、秀雄不機嫌そうに言った。


「おい、こんな時間にどうした?」


「椿がいなくなった」


「なんだって!?」


 秀雄も瞬時にベッドから飛び降りた。

 そして成孝に尋ねた。


「心当たりは?」


「わからない……いや、もしかしたら明日の西条との会談が関係しているかもしれない……」


 秀雄が青い顔で言った。


「まさか……椿……五条を止めに行ったのか?」


 成孝が、大きな声を上げた。


「西条家に行くぞ。もしかしたら西条に報告に行ったかもしれない」


「わかった!! 急いで着替える」


 成孝と秀雄がバタバタとうるさかったので、政宗も部屋から出て来た。


「こんな夜中に何?」


 成孝が青い顔で言った。


「椿がいなくなった。今から西条家に行く」


「は? え? 椿が……俺も行く!!」


 そして、三人は自動車に乗り込んだのだった。

 





 


 

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