第28話
今回は――
三谷が孫の女の子を連れて、紗英の焼いたスコーンを食べに「ひとつぶ」へ訪れる日をお届けします。
味覚は記憶とつながっていて、
ひとの手から受けとるやさしさは、きっと世代も超えて届く。
そんな、小さな午後の物語です。
⸻
『この味は、はじめまして』
その日、「ひとつぶ」は少し賑やかだった。
とはいっても、いつもの静けさは変わらない。
ただ、カウンターの端に、三谷と、小さな女の子が並んで座っていた。
「おじいちゃん、このお店、しずかだね」
「うん。声を出さなくても、味がちゃんとしゃべってくれる店なんだよ」
女の子の名前は咲良(さくら)。
小学一年生。三谷の孫。
⸻
「スコーン、今日は紗英さんが焼いたんだって」
三谷がそう言うと、咲良は興味津々な顔でのぞきこんだ。
紗英は、奥の厨房からそっと現れた。
少し緊張していたけど、咲良のまっすぐな視線に、思わず笑ってしまう。
「こんにちは。お口に合うかわからないけど、どうぞ」
⸻
テーブルに置かれた、
少し丸く、ほんのり焼き色のついたスコーン。
咲良が手で割ってみると、ぱかん、といい音がした。
「わっ、あつい……ふわってした」
「いい音だろ?」と三谷。
バターの香りがほんのり立ち上がる。
⸻
ひとくち食べて、咲良が目をまるくした。
「……おいしい。
かりってして、ふわってして、さとうがちょっといる」
「よく味わえてるね」
三谷は静かに笑う。
⸻
「このスコーン、なんか……やさしい味する」
咲良の言葉に、紗英が目を細めた。
「やさしい味……それ、すごく嬉しいです」
「やさしい人がつくった味だと、わかるんだよ」
と、三谷がそっと続けた。
⸻
“うまい”じゃなくて、“やさしい”という言葉は、
たぶんいちばんまっすぐな感想。
厨房のドアの隙間から、葉がそっとその光景を見ていた。
紗英が、誰かの初めての「やさしい味」になっている。
それが、ちょっと誇らしくて、
でもなにも言わずに、そっと鍋に湯を足した。
⸻
帰り際。
咲良はカウンターの下から、絵を描いた紙を取り出した。
「これ、さえさんに」
そこには、湯気がたってるスコーンと、
ちょっと照れてる笑顔の人が描かれていた。
⸻
紗英は紙を受け取りながら、ぽつりとつぶやいた。
「この味は……咲良ちゃんの“はじめまして”なんですね」
「そうだね」
三谷が頷いた。
「そして、きっと忘れない。
“やさしい味が、あったな”って、ふと思い出す日が来るよ」
⸻
やさしい味は、
たくさんの言葉より、ずっと遠くまで届いていく。
咲良の指に残ったバターの香りも、
紗英の胸に残ったちいさな絵も、
ちゃんと未来へ連れていかれる準備をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます