第27話

今回は――


葉が紗英の“初スコーン”の裏話を三谷に話し、それを聞いた三谷がぽつりと語るひとときをお届けします。


マスターだった人が、

今はカウンターの向こうで、若いふたりの成長を静かに見ている。

それは、変わらないようでいて、たしかに流れている時間の物語です。



『似てるね、ほんとうに』


 閉店後の「ひとつぶ」。

 カウンターの席に、三谷がいた。


 葉は厨房で、片づけの手をとめて、

 ふと思い出したように、言った。


 「このあいだ、紗英さんが一人でスコーンを焼いたんです。

 朝、私が仕入れでいなかった日で」


 「ほう。うまくいったのかい?」


 「ちょっと焼き色が強かったけど、

 でも、音がよかった。――“いい音、してました”」



 三谷は、うんうんと頷きながら、

 ゆっくりコーヒーを口に運んだ。


 そして静かに笑った。


 「……なんだか、きみと同じだなあ」



 「え?」

 葉がふと顔をあげる。


 「“きみ”が、リーフで初めてスコーンを焼いた日。

 私がちょっと外出してる間に、勝手に仕込んで焼いてた日だよ」


 「え、それ……覚えてますけど……」

 「帰ってきて、あの独特な匂いにすぐ気づいた。

 “焼きすぎたかな”って顔してたのも、そっくりだ」



 三谷は、カップを置いた。

 しばらく、沈黙が流れる。


 そして、ぽつりと――


 「焼き色なんて、気にしなくていい。

 焼きあがって、誰かが食べて、

 “もう一度食べたい”と思えば、それで充分だ」



 葉は、なんとなく胸がじんわりとした。


 「……あの時のスコーン、マスター、ちゃんと食べてくれましたよね」

 「うん。少し硬かったけど、“音”がよかった」


 「……私も、同じこと言いました」

 「“音がいい”って」



 三谷は目を細めて、窓の外を見た。

 夜のガラスに、カウンターの灯りがぼんやり映っている。


 「……似てるね、ほんとうに。

 自分の“まんなか”を、ちょっとだけ怖がって、

 でもちゃんと手で触れようとするところ。

 ……その感じが、なんか懐かしいよ」



教えたことは、言葉よりも、手に残る。

 言葉にしたことよりも、

 一緒に焼いた朝の匂いのほうが、長く残る。


 三谷は、あの日の“リーフの厨房”を思い出していた。

 そして、目の前のカウンターに、同じやわらかさがあることを

 ちょっと誇らしく感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る