第15話 同音異義なその存在

 あいつによく似たそいつは俺に向けて、そっと呟いた。


「潰れろよ_」


 氷戈が最も聞き慣れているであろうその声からは、明らかな殺意が感じ取れた。


「・・・」


 これに対して氷戈は恐怖以上の、





 -『さようなら....氷戈。・・・俺のために、消えてくれ』-


 ずっと一緒に居たとき味わった、あの感情を。


 俺が『死』を明確に拒絶し始めたのはこの日からだった。


 当然、大好きだった兄に突然殺されかけたというトラウマが原因の一つである。

 しかしそれ以上に怖くて、許し難い事実をこの時に知ってしまったのが何よりも大きかった。


 それは『お母さんを殺したのが自分である』という、限りなくの存在だった。


 その日以来、俺は絶望の淵を彷徨った。

 母の死から徐々に立ち直り始め、幼馴染あいつらのお陰で生きる希望が見え始めていた矢先に生じたこの出来事は俺にとって絶望以外の何者でもなかった。


 塞ぎ込んだ俺は学校にも行けず、長い間誰も居ない寂しい家で過ごしていた。


 涙は枯れ果て、恐怖に怯え疲れ、自身に対する怒りと嫌悪が目まぐるしく渦を巻き、どうやっても戻れない過去を乞い焦がれ_


 _生きるための糧が底を尽いてやっと、強く拒絶したはずの『死』に自分自身で近づいて行っている事に気が付いた。

 そして同時に、気付くのが遅かった事にも気が付いて。


 お母さんにやっと「ごめんなさい」って伝えられる、そう思って床に伏していたところを救ってくれたのが力己と力己のお父さんだった。


 病院で目を覚ました俺は力己を含めた幼馴染達に励まされ、こうして今を生きている。

 だからこそ、俺にとって『幼馴染あいつら』と『死』は対義の意を成す。どうしようもないこんな俺に、二度も生きる希望を与えてくれたから。


 一番長い付き合いの力己に至ってはそれに加えて命までも助けられている。







 そのはずなのに_







 、『




 あの時と同じように地面に這いつくばった状態の氷戈の脳内は、ただひたすらに混沌を極めていた。


「あ...ああッ...」


 そんな氷戈の様子など構いもせず、そいつは更に殺意を強めて唱えるのだった。


「_『万有斥力アーレ・グランツェ』」


 その瞬間、氷戈の頭に触れていたそいつの掌が離れ_


 サンっ....!!


 何かが空を切る音が響いたかと思えば、そいつは氷戈から五メートルほど離れた場所へ着地する。

 そして今度はレオネルクが氷戈の目の前に立っていたのだった。


「いやぁ、あっぶないなぁ全く....」


「チッ...流石に太刀筋が鈍かったか」


 どうやらレオネルクはいつの間にか手に持っていたレイピアでそいつの背後から奇襲を仕掛けたらしかった。


「そんなこと無いって。この負荷に耐えながら音も無く近づき武器を振るうって、普通じゃ出来ないからね?」


 そいつは頭上に蔓延るブラックホールのような物体を指さしながら愉快に言った。


「今、あの『排斥ノ陣グランツェス・ロウ』の陣から放たれる斥力の波動は範囲内の対象に約十倍の負荷が掛かるように設定されている。つまりアンタの身体にはアンタの体重の十倍分の負荷が掛かっているはずなんだ。手に持ってるレイピアそれも同様だ。・・・普通なら当然なんだよ」


 そいつは地面に這いつくばって動けずにいるリベルテを見て言った。

 この発言に触発されてかは分からないが、レオネルクは大声で叫んだ。


「くっ....おい、そこの坊主!!こいつはオレが引き受ける、だからどうか姫さんを...リベルテを陣の外へッ...!!」


「ッ....!?」


 突然話しかけられた氷戈は驚きながらも、リベルテの方へ目をやった。


 全身微動だにしないものの、生きるため必死に呼吸する彼女の姿。そいつの言うことが本当であればあの華奢な身体には彼女の体重の十倍、つまりは300kg程の負荷が掛かっている事になる。


「とう...かッ....」


 そのことを理解した氷戈は決意を固め、立ちあがろうとする。


「ウっ...カハッ...!?」


 しかし氷戈が動こうとすればするほどに鳩尾の痛みは増し、吐血を催した。

 どうにか膝立ちの状態までもってこれたものの、腹を駆け巡る不快感は増す一方だった。


 そんな氷戈を見たそいつは笑って言う。


「アッハハ!!あんな状態の奴に大事なお姫様を託しちゃうって、相当余裕がないみたいだ....なッ!?」

 ドォンッ!!

「グっ!!?」


 そいつはまだ話している最中になんの前触れも無くレオネルクへ蹴り掛かる。

 対するレオネルクはレイピアを持っていない方の腕でのガードに成功していた。


「やっぱやるねぇ....でも_」


 そいつは蹴りの状態を維持したまま片手をレオネルクへ向けると_


「_『斥力波動グランフィーツ』」

「クッソがっ!!?」


 先ほどシルフィを源術アルマごと吹き飛ばした斥力攻撃によってレオネルクは城を取り囲む分厚い城壁に打ちつけられてしまう。これで高い城壁が崩れ落ちたため、飛ばされた彼の安否は定かではなかった。


「流石のアンタも十倍のハンデは覆せなかったみたいだな?・・・さぁてと?」

「ッ....」


 レオネルクに打ち勝ったそいつはゆっくりと振り返り、氷戈、リベルテ、また氷戈の順に視線を動かした。


 殺意を纏った眼光にあてられた氷戈は思わず怯んでしまう。

 ニヤリと笑ったそいつは、今度こそ仕留めてやると言わんばかりの殺気を放ち一歩を踏み出した。


 その時だった。


 ズドンっ!!


 その衝撃音と共に辺りの地面が少し揺れる。

 氷戈とそいつは同時に音の出所へ目を向けた。


「やハはっ!!確かニ、こレは効くネ?」


「あ?なんだよ、アンタ?」


 そこには城門から一歩を踏み出し、『排斥ノ陣グランツェス・ロウ』の負荷領域に侵入を果たしたフィズが立っていた。


「ん、ワタシかイ?なあニ、名乗るホどの者デも無いンだ。・・・たダ、約束しタのデね?」


「は?約束だ?」


 フィズは自身の身体を襲う負荷を楽しむかのように、腕をくるくると回しながら言った。


ヒョウカ君を守ル、ってイう約束だ。こレを破ると、指を千本切リ落とさナいトイけないらシいんだ」


「・・・へぇ、そいつは大変だな?」


 恐らくは『指切り』と『ハリセンボン飲ます』が混ざった結果だと思われるが、そいつはフィズの言うことを冗談だと割り切って話を進める。


「だが、心配することはない。・・・死人に指は切り落とせないだろ?」


 そいつはターゲットをフィズに定めたらしく、彼の方へ身体を向ける。


「フむ、同感ダね」


 対するフィズも頷きながら臨戦態勢に入る。


 見たところ、フィズの体重は100kgを超えている。つまり今、彼の肉体には1t近くの負荷が掛かっている事になる。

 リュミストリネ最強と称されたレオネルクですら手も足も出ずにやられてしまったのだ。この対決の勝敗は素人の氷戈にでも分かりきっていた。


 そんな事を思っているとも知らぬフィズはこちらに向かって言う。


「ヒョウカ君!!申し訳ナいんダが、お姫様ヲ頼むよ!!」


「で、でも....」


 戸惑う氷戈だったが、当初の目的がリベルテの回収だという事を思い出すとフィズの行動の理由も理解できた。


 -そうだ、茈結しけつの人たちは元からリベルテを守るため危険を顧みずここまで来たんだ。つまりこれはリベルテをこの領域外に逃すための時間稼ぎ、勝敗なんて見てないんだ-


 腑に落ちた氷戈は無言で頷くと、痛みを堪えながらもゆっくり立ち上がる。そして拙い足取りでリベルテの方へ歩みを進める。


 この様子見たそいつは独り言を呟く。


「三十秒で終わらせれば問題ないかな....さて_」


 そいつもフィズと交えるために構えると、続け様に問う。


「_アンタの戦闘スタイルは体術特化って感じか?」


「フむ、そレが?」


「いやなに、申し訳ないと思ってな?」


「?」


「兄さんまでとは言わずとも、殴り合いには結構自信があるんだ。・・・同じ土俵で勝負してやれなくて悪いな?」


「確かニ、ちょッと不平等かモね...?」


 不穏な事を言うフィズだが、構えは毅然としたままであった。


 そいつは横目で氷戈の位置を確認すると言った。


「けどよ....戦いってそういうモンだろッ!?」


 啖呵を切ったそいつはフィズに向かって駆け出した。


 ドンッ!!


 そいつの繰り出した初撃の拳をフィズは大きな掌で受け止める。


「はぇ、アンタもやるじゃん....ッ!?」


 そいつは感心した後、少し驚いた様子を見せた。


 どうやらフィズは受け止めた拳をそのまま握りつぶしの状態にし、行動を封じたようだった。


「へっ....生意気じゃん、よッ!!」


 そいつは握られた拳とは対になる方の脚を振り上げ、フィズに攻撃を仕掛ける。


 ガシっ!!

「ッんな...?」


 ところがフィズはこれも空いている方の掌で受け止めてしまう。

 そして流れるように脚を掴んだ腕を高く上げ、そいつを逆さ吊りの状態にする。


「何しやが_」


 そいつがフィズに反撃しようとしたのも束の間。

 フィズは脚を掴んだ方の腕を頭上で振り回し始めたのだ。


 そうしてからやることは一つだろう。

 遠心力の乗ったそいつは勢いよく投げ捨てられ、城の壁へ直行する。


「うッ...おらァ!!」


 しかしそいつは直撃しそうな壁へ自身の両手を咄嗟に向け、例の斥力波を発生させることで勢いを殺す事に成功する。


 事なきを得たそいつは地面に着地すると苛立ちを隠せない声と共に顔を上げた。


「あんのオッサンめ_」

「ヤあ?さっキぶり。ソして_」

「ッ!!?」


 見ればもう既に剛腕を振り上げたフィズが目の前で構えており_


「_サヨうなラ」


 ジェイラの腕を粉々に砕き割った渾身の一撃を容赦無く振り下ろす。


「『グラ_」


 そいつは焦ったように掌をフィズに向け『斥力波動グランフィーツ』を放とうとするも、それでは遅かった。



 一方その頃、氷戈は横たわるリベルテの元に辿り着いていた。

 託された通り、彼女をこの負荷領域から連れ出すために抱き抱えようとした時だった。


 ドッゴォン!!!


 後ろから聞こえてきた何かと何かがぶつかる音に、氷戈は思わず振り向く。


「ッ!?な...?」


 氷戈が目にしたのは、フィズの一撃を顔面に喰らって弾け飛んでいるそいつの姿_




 _では無く。


「随分と手こずっているようだな、リゼ」


 フィズとそいつの間に割って入り、振り下ろされる拳を前腕で受け止めた張本人は落ち着いた口調で言う。

 同時に、その声からは凄まじい威圧感も感じられた。


 どこかで聞いたような、恐ろしい声。


 その声を発した人物の姿を見るや否や、それが氷戈にとって『恐怖の対象』であった事を思い出す。


「ヴィルハーツ....なんでここに...?」


 遠くでサイジョウと戦っているはずの彼がそこに居る事実は、氷戈を震え上がらせた。


 思い返せばずっと続いていた地面の揺れは収まっており、その時点で既に決着が付いたと考えても何ら不思議では無い。

 そして今ここにヴィルハーツが居る事を考えると、あの凄まじい戦闘の勝敗は考えるまでもなかった。


 その事実に氷戈はこれ以上ない驚きと絶望を覚える。


 だが、ヴィルハーツに『リゼ』と呼ばれたそいつが放った次の一言は、氷戈をこの上無く驚嘆させたのだった。


「あ、あはは....危うく死ぬところだった。・・・お礼を言わないとね_」


 否、氷戈を驚かせたのは一言ですら無い。

 一言に含まれる、たった三文字の単語であった。


「_ありがとう、




「・・・・・・・は?」


 兄に救われるそいつの図は、まるで自身の過去を強く否定しているかのように映った。

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 ☆登場人物図鑑 No.13

 ・『アウスリーゼ・ローツェンハイツ』 

 ラヴァスティ所属/15歳/168cm/63kg/カーマ万有斥力アーレ・グランツェ


 赤毛と黒毛が入り混じった短髪の青年。その髪色と身長以外は新田 力己とほぼ同じ容姿であるが因果関係は不明。通称『リゼ』。

 ラヴァスティ最高司令官であるヴィルハーツを実の兄とし、兄弟仲も別に悪く無いらしい。好きなことは空中浮遊と掃除、一人静かな場所で過ごす事。苦手なものは甘いもの全般と細かい作業、異性。


 カーマ万有斥力アーレ・グランツェ』は『万物に斥力を作用させられる』というもの。旧ローツェン・クロイツ王家相伝のカーマであり、兄のヴィルハーツがこれを発現しなかったので弟のアウスリーゼに遺伝した。彼自身はこの事をラッキーだと思っている。


 斥力を作用させる対象に大きな制限は無く、汎用性が非常に高い。物だけで無く人間に対しても効果があるため、自身に作用させて空を自由に飛び回ることも可能。

 大きな荷物を運ぶ時などに兄に呼び出され、こき使われることがしばしば。斥力の出力は本人の技量次第でどこまでも引き上がる。









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