誇り高き自慢の人格者

 そこからの俺は勉強漬けの毎日だった。


 朝起きたら勉強。飯を食ったら勉強。風呂に入ったら勉強。寝る前にも駄目押しの勉強。


 もちろん俺の生き甲斐は筋トレだし、筋肉が縮小してしまっては一大事だからな。ゆえに日々の筋トレだけは欠かすことなく、そこに学習時間を追加した形である。


 言うまでもなく、かなりハードな期間ではあった。


 しかし少しでもサボってしまおうものなら、これからの学園生活にて筋トレできなくなってしまうからな。


 それだけは絶対に避けねばならない。


「筋肉は裏切らないのに、俺が筋肉を裏切ってどうするんだ……!」


「言っている意味がわからないんだけど……」


 ある日の昼下がり。

 俺が机に向かっている隣で、レイナンがため息交じりに呟く。


「あなた、すごい根性してるわね。普通そんなに詰め込められないわよ……」


「まあな。気合いと根性は筋トレで鍛えられた」


「言うと思った……」


 またもため息をつく彼女だが、レイナンもレイナンだ。

 俺の勉強漬けのスケジュールに、彼女はずっと付き添ってくれている。本来は眠いだろうに、それでもしっかりと勉強を教えてくれているのだ。


 しかもそれが非常にわかりやすい。

 俺がこうして頑張り続けられているのも、彼女という存在が大きかった。


 ――そして。


「……驚いたわね。全問正解よ」


「そうか……。それは良かった」


 問題集のチェックをしていたレイナンが、驚きの表情とともに唸り声をあげる。


「信じられない。あなた、今まで本当に勉強サボってたの……?」


「当然だ。兄上からも聞いただろう」


「それにしては、さすがにできすぎなような……」


 ここは俺がやり込んだ乙女ゲームの世界。

 それゆえに、ある程度の知識までは〝すでにある〟んだよな。


 さらに前世も一応はそれなりの大学を卒業したので、勉強のコツくらいは掴んでいる。今までは一切やる気がおきなかったが、彼女がいるおかげで、俺の学習意欲も保たれている状態だった。


「この調子ならとりあえずは問題なさそうね。私もそろそろ疲れたし……そろそろティータイムにしない?」


「ああ。そうするか」


 彼女の提案を受け入れる形で、俺たちはいったんリビングルームで紅茶をしばくことにした。






「ん……?」


 リビングルームに足を運ぶと、そこにはすでに先客がいた。

 俺の兄こと、フィクス・フォ・アルボレオだ。


「これは失礼。私はどきますから、お二人の時間をお楽しみください」


 兄はできた男だ。

 俺たちが部屋に来た時点で、何を目的にしているのかを悟ったのだろう。

 嫌な顔ひとつすることなく、ソファから立ち上がった。


 まさにイケメンだ。

 眩しすぎる。


「ネスト。おまえも最近は勉強を頑張っているようだな」

 そのイケメンは、退室する寸前に俺に声をかけてきた。

「レイナン様とも打ち解けられたようで、兄としては何よりだ。どうか粗相のないようにしてくれよ」


「ええ。この筋肉のためにも頑張ります」


「……はぁ。おまえは」

 さっきまで優しそうな表情だったのに、急に額を抑え始めるフィクス。

「申し訳ございませんレイナン様。こいつにはよぉ〜〜〜く言っておきますので」


「いえいえ。私も彼には助けられておりますから」


「はぁ。だといいのですが……。まったくネストはいつも…………(ブツブツ)」


 う~ん。

 こうして兄フィクスとレイナンを間近で見ると、やはり感じてしまうよな。


 ――俺なんかといるよりも、レイナンは兄といたほうが幸せだって。


 片や超絶イケメン。片やゴリラ顔。

 乙女ゲーゆえにこの世界には美男美女が多く、俺もこの容姿を何度も馬鹿にされてきた。もちろん、同格以上の貴族にだが。


 いかにレイナンが勘当されたとしても、兄は伯爵家の長男だ。

 今後を考える意味でもやはり、兄と一緒にいたほうがいいだろう。

 そもそもからして、この縁談も無理やり組まされたものだしな。


 彼女の幸せを考えたら――ここは大人になるべきか。


「すみません。俺、もう少し勉強を続けたいと思います。せっかくの機会ですし、ここはお二人でお過ごしになってください」


「え? ネスト、どうして……?」


「急にやる気が湧いてきたんだよ。それじゃあな」


 ドタン! と。

 俺はこれ以上何を言うこともなく、自室へと引き返していった。


 レイナンは魅力的な女性だし、こんなに自然体でいられる人は他にいない。しかも献身的に勉強を教えてくれていたので、恋愛感情が浮かんでこないでもなかったが――。

 彼女を守るだけなら、旦那でなくともできること。


 そう考えると、俺にはやはり、彼女の幸せを踏みにじることはできなかった。



★  ★  ★



「えっと……」


 無理やり取り残された私――レイナンは、突然の事態に困惑していた。


 いきなり勉強の意欲が湧いてきたって、いったいどういうこと? 適度に休憩を取ることの大事さは、きっと彼だってわかっているはずなのに……。


 きっとフィクスだって気まずいはずだろう。

 ここは適当なところで切り上げるのが最適――いや。


 考えてみれば、せっかくの機会だ。

 フィクスとは一度、こうして話しておきたかったところだ。


「ごめんなさい、フィクスさん。彼もああ言っていますし……少し、お話の時間を頂戴できるかしら」


「え、ええ……。それは構いませんが」


 明らかな困惑顔で、フィクスは私の正面に腰を落ち着ける。


 その際に私の好きなハーブティーを淹れてくれていたし、その整った容姿も踏まえれば、たしかに魅力的であることには違いない。


 けれど――。


「もしよければ、可能な範囲で教えてほしいの。彼の――ネストの生い立ちについて」


「なるほど……。生い立ちですか」


「ええ。あんなに筋肉を追い求める貴族なんて、どこを探したっていないから」


「ははは……。本当にすみません、あんな弟で」


 そう言って、再度頭を下げるフィクス。


 けれど――気のせいだろうか。

 その表情がやはり、どこか優しそうに感じられたのは。


「たしかに貴族としては、ありえない立ち居振る舞いをしています。勉強なんてまったくしませんし、筋肉ばかりを追い求めていますし、本当にどれだけ頭痛に悩まされてきたか……」


 そう言って、フィクスは私をまっすぐ見つめて言った。


「しかし、私にとっては自慢の、誇りの弟なんです」



 ――今から十年ほど前でしょうか。

 アルボレオ家はたしかに貴族ではありますが、爵位としては伯爵家。


 貴族社会の中では地位の高いほうではなく、それゆえに公爵家や侯爵家からいびられることもありました。


 ……いえ、そんなに申し訳なさそうな表情をしないでください。


 このような社会構造になっていることは、なんらレイナン様に非のないことでしょうから。


 自分で言うのもなんですが、私は昔から器用なタイプでした。勉強も運動もそつなくできて、人から容姿を褒められることもあって……。


 そのことが、きっと〝上の方々〟の気に障ったんでしょうね。


 容赦ない暴行。聞くに堪えない罵詈雑言。果ては両親の悪口に至るまで。

 同じ年齢の上級貴族から、連日のようにいじめられ続けてきました。


 あの時は本当に辛かったですよ。

 両親に訴えようにも、相手は爵位の高い貴族ですからね。対策なんてしようもなく、貴族だから仕方ないと……そう諦めざるをえなかったんです。


 しかし、弟ネストだけは違いました。


 私がいじめられている現場を目撃した彼は、すごい雄叫びをあげて貴族たちに殴りかかっていって……。当時は今のように筋骨隆々でもなかったですから、ボロボロになりながらも、気合いと根性だけで相手を追い払って……。


 そして、こう言ったんです。


 もっと兄ちゃんを守りたい。

 もっと強くなりたい。

 それができないのなら――貴族なんてどうでもいい。


 本当に馬鹿だと思います。

 こんなことやったって、今度は彼自身が痛い目に遭うだけなのに……。


 それでも、彼は気にしないと言うんです。


 すごいですよね。

 彼は昔からああいう容姿でしたから、それを揶揄する声もあったのに。それでも彼には、決して他人には曲げられない芯があった。


 ……はは、私なんかよりよっぽど大人ですよね。

 貴族社会の中では、彼は無鉄砲で配慮のない馬鹿者として知られています。

 きっとこれからの学園生活も、同じようにいびってくる貴族がいるでしょう。


 ですが――彼はそんな低俗な人間ではありません。


 彼こそが本物の人格者であると、私が知っているからです。


 ……もちろん、このままでは少し心配なのも事実。


 だから少しくらい貴族らしく振る舞えと何度も言っているんですが……彼はもう、今の貴族社会にうんざりしているようですからね。


 いまだに筋トレばかりを繰り返している彼を見ては、やはり心配になっている自分がいるんです。

 自分のことよりも、どうも他人を優先しすぎるところがありますから。


「……ですから、レイナン様」


 長い一人語りを終えたフィクスは、ふいに立ち上がると。

 なんとそのまま両手両膝を地面につき――深々しく土下座をしてくるではないか。


「ネストは、私にとって自慢の弟なんです。ですからどうか……お願いします。彼を、ネストを見捨てないであげてください」

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