公爵令嬢、辺境でスローライフを送る



 港町シーアン。

 アルボレオ伯爵家が居を構えているその町は、きっとレイナンにとっては田舎そのものだろう。


 各種売店に宿屋、そして数えきれないほどの飲食店……。

 ここにいれば大抵のものは揃えられるが、かといって都会ほどギラついているわけでもない。


 耳を澄ませば波の音が聞こえてくるし、のどかに鳴いている鳥の声も響いている。

 慌ただしく動き回っている王都と比べても、ここ港町はゆっくりと時間が動いているというか――どことなく長閑のどかな場所だった。


 けれども、俺はこの雰囲気が嫌いではない。

 前世では東京で社畜人生を送っていたが、あんなにせわしない毎日はこりごりだからな。


 自然に囲まれた静かな場所で、粛々と筋肉を鍛え上げていく……。

 そんな理想の筋肉ライフを送るには、まさにうってつけの場所だった(もう少し自然豊かだと尚いいが)。


 そして。


「おお、ネストじゃねえか! 今日も鶏むね肉をお探しかい⁉」

「おやぁ、ネストちゃん、もしかしてそこにいるのは婚約者さん?」

「大きくなったねぇ~。ネストちゃんも女の子を連れるお年頃か」

「がははは! いつもながらすげぇ筋肉だなぁ、おい‼」


 町に出てしばらく経ったあと、俺たちは住民たちに即座に囲まれることとなった。


 その全員は平民で、一方の俺は貴族。

 本来であれば、彼らが俺にタメ口を利くことはありえないはずだが――まあ、もちろん俺はそんなこと気にしない。


 だって前世では平凡な日本人だったしな。

 貴族になったからといって横柄になる気はならないし、どちらかというと、権力をふりかざして偉そうに振る舞っている奴が嫌いだった。


 むしろこうして対等に接してくれたほうが、俺としてもやりやすいからな。


「町の人から好かれているのね……あなたは」


 そして、それから十数分後。

 町民から解放された後、隣に並ぶレイナンが疲れたといった表情でそう言った。


「しかも全員と友達のように話しているし……。私のお父様が同じことをされたら、激怒じゃ済まないと思う」


「ははは、それはそうでしょう。兄上からも窘められていますよ、こればっかりはね」


「……でも、これがあなたの〝やりたいこと〟ってことよね。貴族という枠組みに囚われることのない、あなたの本当にやりたいこと」


「はい。おっしゃる通りです」


「…………」


 レイナンが黙りこくった、その瞬間だった。


「はい。おねえちゃん、ぷれぜんと」


 ふいに走り寄ってきた男児(たぶん五歳くらいだろう)が、レイナンに右手を掲げた。

 よくよく見てみると、その手には赤色の飴が載っている。


「ぷれぜんとって……私にくれるの?」


「うん! パパからのおくりもの!」


「パパ……?」


 眉をひそめたレイナンが脇に視線を向けると、男児の父親と思わしき男性がにこっと快活な笑みを浮かべていた。


 そうか。

 たしかあのおっちゃんは――。


「ありがたく受け取ってみてください、レイナン様。この飴はただのお菓子じゃありません。当人のHP……もとい体力を回復させる活力剤です」


「そう! パパがね、おねえさんが元気なさそうだから、これをあげてきてって‼」


「そ、そんなこと……」


 やっぱりレイナンはなかなか芯の強い女性のようだな。


 男児の〝元気なさそう〟という言葉に対して、まずは反論しようとしていたが――。

 さすがに子ども相手に熱くなるべきではないと思ったか、すっとその炎を収めた。


「ありがとう。ありがたく受け取っておくわね」


「うん! あと、これとこれとこれもあげるって‼」


「い、いや……。さすがにそんなには持てないけど……」


「あと、これとこれとこれと……」


「あ、あはは……。ありがとうね、ぼく」


 男児の熱量に根負けし、彼女はすべての飴を受け取るのだった。




 数分後。

 俺は馴染みの喫茶店に入ると、店員に個室を案内してもらった。


 貴族の権力を濫用するつもりはないが、相手は公爵令嬢様だからな。会話の内容を周囲に聞かれてもまずいし、今回ばかりは個室へ通してもらうことにしたのである。


「……驚いたわね。あなたもこんなお洒落な喫茶店を知ってるなんて」


「礼儀を知らないに、兄上が無理やり連れてきているだけですよ。見ての通り、の外見はゴリラのようだし、全然スマートじゃないし……あっ」


 途中まで言いかけて、初めて口調が崩れていたことに気づく。

 公爵令嬢を前に、自分のことを俺と呼んでしまうなんて……。また兄フィクスが暗~~~い表情になってしまうかもしれない。


「いいわよ別に。気にしないでちょうだい」


 丁寧な所作でハーブティを口につけつつ、レイナンはあくまで淡々と言う。


 う~ん、さすがは公爵令嬢。

 ひとつひとつの動作が様になっていて、マジで俺とは比較にならないな。


 片やゴリラ、片やお姫様。

 前世でも似たような映画があったけれども、実際自分が同じ立場になるとまったく落ち着かない。


 それでなくとも、相手はゲームのラスボスであるわけだからな。


 というか……ん?

 ちょっと待て。

 彼女は今なんと言った?

 口調を崩してしまった俺に対して、そのままでも構わないと言ったのか?


「いいのですか? 俺なんかが、あなたにこんな口調で……」


「構わないと言ったでしょう。婚約者なんだから、これくらい当然だと思うのだけど」


 ことん、と。

 レイナンはハーブティーをテーブルに置くと、どういうわけかしたり顔で言葉を紡いだ。


「それに、自分で言ってたわよね。貴族のしきたりなんて興味がない。自分のやりたいようにやればいいってね」


「……はは。そうですね。それは間違いありません」


 驚いたな。

 お堅いだけの公爵令嬢とは違って、それなりの柔軟性を持ち合わせているようだ。

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