2.ホロウ
「よっしゃー、勝ちー!どうよ相棒」
バンバンと背後に座る38番の肩を叩く。
38番は手に持っていたグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと24番の顔を見てめんどくさそうな表情をした。
「……どうでもいい。が、まあ今日は絶好調なんじゃないか。13番の懐もだいぶ寂しくなってきただろ」
38番はテーブルに目を向け、24番の通貨の山と13番の貧相な山を見てそうつぶやいた。
「だろー、ナハハ」
薄暗いバーにその笑い声が響いた。酒と錆びた鉄の匂いが混じり、割れた窓ガラスや穴だらけの床からは冷たさがにじんでいる。歩くたびに床がギシギシと悲鳴を上げた。
さびれた町の一角、唯一残ったバー。ここには飲み残しをブレンドしたようなオリジナル酒や出所不明の酒が並び、料理と呼べるものはなく、残飯が皿に盛られている。
それでも誰も文句は言わない。ここは、そんなはみ出し者たちのたまり場だった。
その笑い声をよそに、俺の胸には小さな苛立ちが残っていた。
俺は気のいい後輩とそんなバーでカード勝負に興じていた。――いや、正確には俺が負け続けて散財しているだけだ。
「アニキー、掛け金払えないなら剣でもいいっスよ。その両腰にある剣、前から欲しかったんスよね~」
「うっせ。すぐに金作って払ってやる」
皮肉混じりの笑い声が、薄暗いバーにこだまする。
13番は負けが続き、負の連鎖を断ち切るべく、苛立ち気味に席を立った。
「そうだ!。アニキ〜、記憶を売って金にしましょうよ、俺買うっスよ」
13番は振り向かないまま「はいはい」と言わんばかりに手を振り、バーカウンターの椅子に座る。
背後では、次のゲームを始めるべくカードを集め始める。
雑談をしている際、「アニキの過去の記憶、気になるっスねー」と独り言が13番の耳に入る。
「13番の席が空いた、さあ次は誰がやる」と別の人間の声がバーの中で響き渡る。
13番はバーテンダーに「一番安い酒をくれ」と要求する。
「ゲームで負けてたが、払う金はあるんだろうな?」と尋ねられるも「いいから一番安い酒を」と答える。
ヤレヤレと肩をすくめ、棚の奥から埃をかぶった瓶を取り出した。
栓を抜くと、ツンと鼻を突くアルコールの匂いが立ち上る。
バーテンダーは、「お前はいつも負けてんな」と失笑しつつ、飲み口がかけたグラスを準備すると酒を注ぎ、そのままカウンターに滑らせた。
13番は無言でそれを受け取り、一気にあおる。喉が焼けるように熱い。
それでも彼は顔をしかめず、空になったグラスを静かに置いた。
「……もう一杯」
その声は酔いと疲れでかすれ、だがどこか乾いた響きがあった。
しかし、次の一杯には行けず、13番はすぐに酔いが回り、顔をカウンターに預けた。
バーテンダーは小さく呟いた。「これ、飲めない奴か」
そして酒瓶を床に投げつけ、音を立てて割れる。
主人公は、かすかな笑みを浮かべるようにして呟いた。
「過去の記憶か。そんなもんねーよ」
そのまま睡魔に襲われ、13番はカウンターに沈んでいくかのように眠りかけた。そんな時――。
「大変だ、助けてくれ」
バーの扉が勢いよく開かれたと同時に大声が部屋の中を支配する。
「そんなに急いでどうした?」
筋肉ダルマのように全身筋肉まみれの男がズンズンと足音を立てながら近寄っていく。
「ホロウが現れた。中央区南、俺達の区画だ」
「警備隊はどうした?!」
「もう警備隊は喰われた」
“喰われた“という言葉を聞いた男どもは時間が止まったかのように鎮まり驚いた表情をする。
「なんだと!、俺の家族もいるんだぞ」
「本当なんだ、俺たちは何も出来なかった」
男は必死に声を上げ、現状を伝えようと声を荒枯れる。
「武器を取れ、行くぞー」
バーの中で雄叫びを上げながら名無し達は自分たちの家族を守るために向かっていく。ただ一人を除いて。
「……13番?。お前の部下はみんな行ったが、お前は行かないのか?」
バーテンダーは、カウンターで座ったまま、いや寝そうな13番に声を掛けたが反応がなかった。
人が飲めない酒を提供し、飲ませたのも悪いのだが。
「お前が行かなくてあいつらを守れるのか?。皆死ぬんだぞ」
「……うるせぇ、アイツ等ならやれるさ」
「ホロウだぞ!、もう何人も食ってるかも知れない。被害が大きくなるんだぞ、それでもいいのか隊長さんよ?」
「俺は今いい気分なんだ。そっとしといてくれ」
「そうかい」
バーテンダーは床に置いてある水が入ったバケツを手に取り13番の頭に豪快にぶっかけた。
「あいつらが死ねば俺の商売上がったりだ。ツケ無しにしてやるからさっさと行ってこい」
「チ、分かったよ。ツケは無しだからな」
13番は重い腰を上げ、黒いフードを纏うと店を出た。
慣れた足取りで店が並ぶ商店街へ辿り着くと、逃げ惑う人々の中で、商品の略奪をしている者、店主とやり合う者などいつも以上に混沌とした風景が広がる。
「むさ苦しい所だ。さっさと上層に行って優雅に暮らしたいもんだぜ」と一人毎を呟いていると、主人公の足元に何かがぶつかる。
目線を下に向けると、そこには子供の姿があり、盛大に主人公の足元にぶつかっていた。
ぶつかった子供に「ママ見てー、タグがな”い名無し”だー」と指をさされる。
母親は、「名無しと話しちゃダメ」と叱って子供の手を取り急いでその場から離れて行く。
「チ、クソガキが」と13番は吐き捨てる。
商店街の先では爆発音や悲鳴が聞こえ、逃げ惑う人々が13番の横を通り抜けて行く。
「こりゃー想像以上にヤバいかもな」
* * *
「……ねえ、どこに行ったの?」
暗くて狭い裏路地に一人の少女が取り残されていた。
所々破れた薄汚れた布の様な服。肩まで伸びたボサボサの髪に、擦り切れたウサギの人形を胸に抱いている。
裏路地では錆びた配管から水滴が落ち、ネオンは痙攣するように点滅している。
少女の回りには殺された人の亡骸が何体も転がり、空気は錆びた鉄の臭いがして重く感じる。
誰も寄せ付けないそんな空間に、少女は一人暗い路地をさまよっていた。
――ジャリ。
物陰から、ひとつの影が滲み出た。
皮膚はひび割れ、眼窩の奥には光の粒が揺らめいている。
記憶を失い、名を奪われた者。〈ホロウ〉。
ホロウの口からは血が垂れている。
「……な ま え……」
掠れた声が、少女に伸びる。
だが、少女は怯えなかった。
ただ小さく首を傾げ、ウサギをぎゅっと抱きしめ直すだけ。
「……あなたの名前を教えて……」
少女の言葉にホロウの動きが止まる。
少女は呻きながらも、少ほから目を逸らせない。
祈るように、縋るように。
「……そのひかり…を…よこせー……」
何人もの人間を殺したホロウが少女の目の前まで近寄っても、やはり少女は怖がる素振りを見せない。
――その瞬間、乾いた風の中、上空から影がひとつ、ゆっくりと落ちてくる。
まるで死神が舞い降りるかのように。
漆黒のローブをまとった男が、夜の帳を裂くように地面へと着地した。
「チ、こんな所もにいやがった」
低く響く声。
男は震える手に力を込め、無造作に両手を上げると両腰に背負っていた双剣を抜き放つ。
銀の刃が街灯の明かりを反射し、冷たく煌めいた。
「フゥ」と息を整えへ心を落ち着かせる。
手の震えはピタリと止まり、そのまま地を蹴る。
空気が弾け、黒い残光を残して男の姿が消えた――と思った瞬間、ホロウの体が吹き飛んだ。
「っ……!?」
男の蹴りを受け吹き飛ばされた化け物が壁に激突し呻き声を上げる。
ホロウは男の行方を目で追ったが男の姿を見つけられなかった。それはなぜか、男はすでにホロウの懐にいたからだ。
「……掃除の時間だ」
静かに告げた声が、路地裏の闇に染み渡る。
次の刹那、銀の弧が閃いた。
――斬撃。
音もなく、ホロウの身体が裂ける。
血と共に黒い霧が滲み出し、鉄臭い風に溶けていった。
「あ……」
少女は思わず声を漏らした。目を見開き、立ち尽くす。
男は一歩、二歩と歩みを止めずに通り過ぎ、背後で崩れ落ちる気配だけが響く。
「……まったく。もう少し静かにしてくれれば、寝ていられたんだが」
ローブの裾がふわりと揺れた。
「大丈夫か?怪我はないか?」
誰もいない路地に、ただ男の声だけが響く。
少女は不思議と――恐怖はなかった。
胸の奥を締めつけたのは、“死”そのものを初めて目の当たりにしたという実感。
いや、“殺される”でも“消える”でもない。
――“存在が終わる”瞬間だった。
その光景をみて、初めて胸の奥から震えが込み上げ、喉が詰まる。
ホロウは崩れ落ちながらも、かすかに少女へと手を伸ばした。
まるで、何かを訴えるように――。
「な……まえ――――」
ホロウは最後の力を振り絞った様な掠れた奇声を発する。
「まだ生きていたか」
男の動きは一片の迷いもなかった。
冷たく、静かに。
突き放つような一撃が、ホロウの胸を貫く。
「……終わりだ」
刃が抜けた瞬間、ホロウの体は赤い霧となって霧散した。
霧が少女の頬をかすめ、冷たく濡らす。
男は双剣を軽く振り払い、血の一滴さえ残さず鞘へと収めた。
「……ザザザ、ん。番、聞こえているのか13番」
首元に手を付けると埋め込んだマイクがONになる。
「脳に響くから大声でしゃべるな。この肉だるまが」
「テメーが早くでないからだろう。それより、治安部隊の機械が遅れてる。そのせいでこっちの損害がひどい、早くこっちに合流しろ、ホロウが何体もいやがる」
「こっちも今戦闘中だ。自分達で何とかしろ」
「な、おいな……ザザザー」
13番はマイクをOFFにするとその場から振り返らず、少女にただ短く言い捨てる。
「……まだホロウがいる。ここから離れろ」
少女が息を呑む間もなく、奥の闇がうねった。
腐敗した臭いとともに、もう一体――いや、ひときわ巨大なホロウが現れる。
血走った瞳が二人を捉え、咆哮がビリビリと空を裂いた。
地面が震え、瓦礫が弾け飛ぶ。
13番は静かに構え直し、唇の端をわずかに吊り上げる。
「……あいつはやべぇな」
闇の中、双剣が光を受けて閃く。
ジリ……ジリ……と、二人の間の空気が焼けるように張り詰める。
13番とホロウ、互いの呼吸がリズムを奏でるかの様に聞こえるほどの距離。
13番の目の端に、小さな影が映った。
少女だ。まだ逃げていない。
「そこのガキ――速く逃げろ。オレも逃げられねーじゃねーか」
少女はビクッと体を動かしたが、その場から逃げようとしない。
その瞳は、まるで何かを見失ったように一点を見つめていた。
「ちっ、フリーズしてやがる……!」
次の瞬間、路地の奥から轟音が響いた。
この街に場違いな、鉄の脚をボウルのように丸めた歩行型のロボ――治安部隊の
無機質なセンサーが赤く点滅し、ホロウをロックオン。
「……最悪のタイミングだ」
13番は咄嗟に少女へと駆け出した。
ディフェンダーがホロウを確認した瞬間、即座に攻撃態勢へ入った。
「やべっ――!」
13番は少女を抱きかかえ、その場を跳び出した。
直後、轟音とともに白光が走る。
――高出力レーザー砲。
空気が焼け、地面が溶ける。
ホロウの叫びが一瞬、空を震わせ――次の瞬間、跡形もなく蒸発した。
少女は13番の腕の中で、焼け焦げた空間を見つめていた。
指先が、無意識に消えた方向へと伸びる。
「待って……みんなが……」
震える声。
その胸元にそっと手を添え、ぽたりと一粒の涙が零れ落ちた。
「……ごめんなさい」
13番は何も言わなかった。ただ、黙って走り続ける。
遠ざかる足音。
やがて白い砂塵が宙を舞い、闇の中でゆっくりと漂った。
風が通り抜け、耳の奥にかすかな囁きが響く。
――それは言葉ではなかった。
色のようで、匂いのようで、どこか懐かしい“記憶の残滓”。
少女の涙が頬を伝い落ちた瞬間、街は再び静寂を取り戻した。
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