第16話 海辺の怪異

 鬱陶しかった梅雨が終わり、夏がやって来た。


 冷房の効いた支部の中は涼しいが、一歩出た途端にむっとした暑さが襲ってくる。

「なんか夏って年々過酷になってません?」

 装備を車のトランクに積んで、運転席のドアを開けながら揺月が言うと、

「んねー。もう、どこ行っても暑い」

 助手席に乗り込みながらうんざりした顔で櫻が答える。


 今回の任務は支部から車で小一時間の所にある海水浴場に現われた怪異の討伐だ。

 夕暮れ時、辺りが朱に包まれたかと思うと、波打ち際に巨大な蛸を思わせる怪異が現われ、海水浴客を襲ったらしい。

 幸いけが人などはなかったが、海水浴場は閉鎖され、海辺で商売をする人々にとっては商売あがったりなのだそうだ。

「海辺にタコ、かぁ……終わったら焼いて食おうよ」

「美味しくないと思いますよ。っていうか、夕暮れ終わったら死体、消えますし」

「異世界に帰ってんのかなぁ……タコにも帰る家があるのか」

「異世界ごとぶっ潰したいですけどね」


 そんなやりとりをする内に海辺に着いた。

 まだ日は高い。

 現場で待っていた海水浴場のオーナーから詳しい話を聞く。


 日焼けしたいかつい顔にアロハシャツという、いかにも海の家にいそうな感じの中年男性は言う。


「その日もワタシ、海の家におったんですわ。そしたら浜の方からワーって。

 そしたらなんか、黒いでかいのが暴れてましたわ。あれはタコ入道でしたわ。怪異にタコ入道っておるんですかねぇ」

 話を振られて二人は顔を見合わせたが分かるはずもない。


「一応、妖怪みたいな怪異ってのは居るって言えば居るんです。ええと、タコ入道ってのは、すごくでっかいタコってことで間違いないですか?」

 櫻が確認を取る。

「そうです。めっちゃでっかいタコ。でも黒かったですわ。夕暮れに飲み込まれたんでようわからんかったんですが、黒かった。あと、目がいっぱい付いてましたわ」

「目?」

 海水浴場の親父はこくこくと頷いた。

「めっちゃ目が付いてましたわ。それがぎょろぎょろ動いて……ああ恐ろしい」

 真夏だというのに鳥肌の浮いた腕をさする。


「……この辺は怪異溜まりがあるもんで、怪異は出んって、みんな思っとったんですけどねぇ……地球も終わりなんですかねぇ……」

「怪異溜まり?」

 聞き慣れない言葉に揺月は思わず声を上げた。

「……なんですか、怪異溜まりって」

 櫻もメモを取る手を止めて親父を見詰める。親父はいかつい顔の割に黒目がちな目をぱちぱちとさせた。

「ご存じないですか? ここだと、ほい、あそこの崖の下にあります」

 海水浴場から少し離れた、陸地が突き出て崖になっている場所の下を指す。

「あそこに、引き潮の時だけ小舟で入れる洞窟があるですよ。あそこに引き込まれた怪異は二度と出て来れません。天然の、ねずみ捕りみたいなもんです」

「ちょっと待って下さい」

 櫻が両手を軽く挙げて親父を制すると、考えを纏めながら言った。

「あそこに、怪異に対する天然のトラップがあると?それは、あなたたちが作ったんですか?」

 親父は首を傾げた。

「いんや怪異溜まりは、昔からあったです。昔は、落ち武者の霊とかを捕らえとったんですが、怪異が出てからは怪異を吸い込むようになって。とにかく、悪いもんを吸うんです。あれは」


 櫻はしばしストップモーションして考えている。揺月は揺月なりに怪異溜まりについて考えてみようとしたが、上手く行かなかった。

「……それで、その怪異溜まりってのは、あの一カ所ですか?」

 やがて思考を中断したように櫻が聞く。親父は答えた。

「いえいえ。ここら辺りはもう五、六カ所あるですよ。それでこの辺は夕方でも海水浴とかやっておれたです」


 完全に聞いた事のない話だ。揺月は思わず櫻の方を見たが、櫻は鋭い顔でなにやら考えている。

「……とにかく、ここに出る巨大タコをなんとかするって話でしたよね。そろそろご主人は避難を始めて下さい。後は僕らがなんとかしますから」

 櫻に代わって揺月が親父に避難を促す。もう日が傾き出している。取りあえずは巨大蛸をなんとかしなくてはならない。


 海水浴場のオーナーが去って行くのを見送って、まだなにやら考え込んでいる櫻に、揺月は声を掛けた。

「櫻さん、取りあえず目の前の怪異退治に集中しましょう。ぼーっとしてると命取りになりかねませんよ」

 櫻の目の前でパンパンと手を叩くと、櫻はようやくはっとしたように我に返った。

「あっ、そうだ。タコだ」

 小声で呟くと、そのまま海水浴場の入り口に停めてあった車の方に向かう。

「……大丈夫かな」

 揺月はため息をついて櫻の後を追った。



 *



 車に戻って装備を調えて浜辺へと帰る途中、ふと揺月の口から言葉が漏れた。

「……でも意味あるんですかね。斬っても、異世界に帰るだけだったら、またこっちの世界に戻ってくるかも知れない」

 それは揺月の中で何度となく繰り返された問いだった。

「そういう話も聞くけどね。少なくとも、今まで揺月が斬った怪異たちは戻って来てない。多分、ちゃんと斬れてれば、現世との繋がりごと断ち切れるんじゃないかな」

「現世との繋がり……?」

 揺月が首を傾げると櫻は人差し指を立てた。

「怪異って大体同じ場所に繰り返し現われるじゃない。まるでその場所に取り付いてるみたいに。

 それはその怪異がその場所としか繋がりを持ってないからじゃないかと思うんだよね。揺月はそれを断ち切れる。

 断ち切られた怪異は、少なくともその後暫くはその場所に現われることが出来ない。まぁ例外もあるけどね。白いワンピースの怪異は揺月の家の周りで一度現われただけだし」


 白いワンピースの怪異。揺月は思わず背筋を強張らせた。父と兄を奪った怪異だ。その詳しい経緯については既に櫻に伝えてある。

「なんで、あの怪異は例外なんでしょうか」

 櫻は眉根を寄せてううん、と唸った。

「性質が違うのか、格が上なのか。揺月の話を聞いた感じだと別格って感じがするけどね。顔を見ただけでアウトな怪異なんて聞いた事がない」

 そうなのだ。父も兄もワンピースの少女の怪異と目が合った途端、ばたりと倒れて動かなくなった。

「なんで俺は……無事だったんでしょうか」

 揺月もその怪異の顔を確かに見たのだ。しかしその顔は思い出そうとしても真っ黒に塗りつぶされたように思い出せない。

「揺月がアタッカーの素質を持ってる事と関係あるんじゃないかな。怪異を倒せる素質があるなら、何らかの耐性があっても不思議じゃない」


 支部に入る時受けた説明によると、アタッカーの素質は先天的に持っているもので、後天的な要素は関係無いらしい。

 

 なぜ自分だけがアタッカーの素質を持って産まれたのか。父と兄にその力があれば。

 つい黙ってしまった揺月の内心を気遣うように明るい口調で櫻が言う。

「とりあえず、今は巨大タコだ。あのアロハのおっさん助けないと。海水浴場が開けなくて困ってる。怪異を追い払う事しか出来なくても、困ってる人を助けることはできるよ」

「……そうですね」

 揺月は頷いた。

 元々は自分の復讐の為に始めた怪異狩りだが、このところ人を助けるため、という気持ちも心に馴染みつつある。主に櫻のお陰だ。

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