第6話精神科での生活、通院

そして、すぐに精神科に入院した。

ものすごく苦しい入院だった。

3ヶ月間、保護入院だった。

娘が、高校の入学式の帰りに「あゆみに、高校生の入学式の自分を見せてあげたい。」と言ってくれて、母と娘の2人で面会に来てくれた。

母は、私が栃木刑務所にいる時に、お金を貯めてくれ、中学3年生まで不登校だった娘を高校に進学させてくれたのだ。そして、公募推薦をいただいて、東京の短期大学へ受験させてくれたのだ。母に感謝しかない。ガチで。

退院後は、訪問看護師さんに訪問をしてもらいながら通院してた。


その退院後も、私は落ち込むことはもちろんあったが、通院でM先生という主治医になり、もうその時の前向きに、病気を治して行こう!と眠剤を調整したりして、とにかく負けないで前へ前へ進もう!!と思えた。

過去は変えられないけど、今と未来は変えていける!!と前向きにどう思われてもいい。バカにされようが、貶されようが、自分の道を進むんだ!宿命に泣いてるヒマなんてない!って想いだった。

M先生に診てもらいながら生活をしてたら、またまた頭の中で声がした。

その時の自分は、幻聴だと思えず、やはりみんなが敵に見えた。

その日は、ちょうど受診日だった。

私は、病院になんか行かないって言った。

すると娘が、「あゆみ、病院だけは行って。」と。娘にそう言われたら、行くしかないと思って病院へ行った。

その日は、午前11時からの診察だった。

病院に着いて、診察券を出した時間がピッタリ11時だった。不思議に思えたし、それこそその時は今の自分の考えで間違いないと思った。

幻聴なのではなく、やっぱりおかしいのは周りのの人間だと思った。

M先生は、私の話すことを聞き、急にすぐに席を立ち信頼してるG先生に時間かせぎをしてもらい、入院の準備をしたと思う。

G先生は、すごく私のことをわかったフリをしてくれたのを覚えてる。


そして、ベットへ寝るように言われ、その通りにしようと思ったが、ハッと思ってこのままじゃ眠る注射を打たれちゃう!と思い、入院はイヤだ!!と言ったら、体の大きな看護師さんに抑えられ、私に眠る注射を打ったのだった。

起きたら保護室で全身拘束されてた。

その注射は、最大限の体重に対して何ミリ。

身長に対して何ミリという量を打ったけれど、眠ってたまるか!!といつまでも起きてた。入院はイヤだー!と叫んだ。

その時の医師も看護師もこれだけの量を打ってて眠らないのは、あゆみさんだけだよ。と。


入院して拘束されると、色んなことを感じた。

全身拘束され、拘束が取れない場合は看護師さんがご飯を食べさせてくれるのだが、人にご飯を食べさせることがこんなにも大変なことなのかと思った。

噛むタイミング、飲み込むタイミング、次の一口を口に入れるタイミングなど⋯

人にたべさせるのがこんなにも大変なことだと1つ学んだと思った。

そして、意地悪な看護師さんもいた。

私が「ねぇ、私のこと殺したいんでしょ?」と聞くと「そうだよ。あんたみたいな人間は生かしちゃおけない。」と。私は正気じゃなかったから、大きな声で叫んだし、拘束されながらも暴れたのを覚えてる。あと、その看護師さんは、突然、紙コップにグレープジュースを入れて持ってきて⋯

私が「なぜ、持ってきたの?」と聞くと「最後だから。」と。そうやって私のことを刺激してくる看護師さんもいた。

その時、この全身拘束の経験を絶対に忘れるものか!と思った。


私は、お薬を飲むのを拒み続け、主治医と看護師さんが一生懸命に私を説得に来た。

夜、寝る前など特に説得された。

それも、根気強く。それでも私は、「お薬を飲まない」と。「お薬を飲んで3日もすれば拘束も外してあげられるから。」と。それでも拒むと、主治医のM先生が「拘束!!!」と言っていた。

その病院のルールで入院する時は主治医が変わるとのことだけど、その時M先生は「僕が主治医をやります!!」と強く出て、M先生が主治医をしてくれた。

お薬を飲まずに、眠れないから拘束をされたまま、生食という眠らせるお薬を点滴された。

でも、看護師さんが夜中に私の様子を見に保護室へ入るとさっと起きてしまう状態だった。

その看護師さんは優しくて、「気配で起きちゃうんだ。先生に伝えておくね。」と。

でも、その生食のおかげで少し眠ることができたせいか、ご飯を自分で食べたいなと思った。

拘束から外されたいと思ったのもあるし、眠りたいと心から思った。だから、主治医の先生に「今日からお薬飲みます」というと、ものすごく喜んで下さった。

飲んで、一晩たったら3日と言っていたのに、拘束を外してくれた。自分でご飯を食べることができたが、まだまだ頭の中の声が消えなかったし、私もその人とずーーーーっと話してた。

主治医が「どうすればその頭の中の人と話すことがなくなるかな?」と聞いてきたので、その時に私は、そこで初めて、私は1人でしゃべっているんだ!!って確信できた。

それは、眠ったからであると自分でもわかった瞬間だった。だから、主治医に紙とペンを許可してください。そしたら、口に言葉を出すことがなくなると思うし⋯なんとなくだけど抜け出せそうな気がするから挑んでみたいと相談すると、そのようにさせてくれ、紙に書き始めたら頭の中の人と話すことがなくなり、頭の中の声も幻聴だと思うことができた。

そして、少しずつ保護室から30分だけとか一般病棟に出ることになり、ある日の夜は、今日は夕飯を一般病棟で食べましょう。ということになったのだが⋯また頭の中で声がしたのだ。


「御膳をひっくり返しせ」と。

私は、迷った。

ここで御膳をひっくり返したら、また全身拘束なんじゃないか、でも、言うことを聞かなかったら次はなにが起きるんだろと怖くなり、御膳をひっくり返し、両手を上げて「拘束して下さい!」と叫んだ。正直に、ありのままに。

すると、看護師さんの中で1番偉い人が来て、保護室まで一緒にきてくれ、今なにがあったの?と。ことの経過を話すと、大丈夫。拘束しないよ。と言ってくれた。「自分の体なんだから、自分の好きなようにやればいいんだよ。頭の中で声がしても、自分が間違ってないってことを貫けばいいんだよ。」と言ってくれてから、ハッとした。

自分は臆病だったと。勇気を出してもう一度立ち上がろうと思えた。そして、それを主治医に伝えると一般病棟の個室に移してくれた。


時間が有り余ってるから、病棟内を歩こうとしてたら男性が話しかけて来て、「おれのタイプだから一緒に歩いてもいい?」と聞いてきた。

それがすごくイヤでイヤでたまらなくて、個室に引きこもって、ノートに自分の気持ちをひたすら書いて過ごした。本も、たくさん読んだ。


すると、主治医が来て、1人暮らしをするなら、ご家族も面会に来てくれるし、退院も決まるよと。

私は、病院から出れるのであればなんでもしようと、1人暮らしをすると答えた。娘も高校生だったし、私の病気には着いていけないと思ったのでしょう。当然のことだししっかり納得した。

森先生の診断はやはり、解離性障害だった。

脳の中の伝達物質が多量に出てしまったからであると、それを抑えるお薬を飲んだ。


あれから、もう2回しか頭の中で声が聞こえることはなかったし、聞こえたけど幻聴だと自分でわかるようになっていった。そして、入院もしてない!

多重人格障害から、解離性同一性障害となり、解離性障害まで病名が下がったのだ。

障害年金は、解離性障害は日本で認められてなく、年金をいただくことは出ないが、障害者手帳が2級になった。

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