弐
「分かった。まずは状況を整理しましょう」
浮葉が開いたばかりの蓮池の周辺に
きっちりと後頭部でひとつに結わえ上げられた黒髪には、水晶の飾りがついた髪紐がキラキラと輝いていた。生成地に淡い青色が挿し色として使われている
──うん。こっちの方が私らしいわよね、やっぱり。
『紅の邪仙女』として
「今は
横道へ
麗麗が
つまり今、麗麗はあの日から五年と半年近く前の世界にいるということになる。
「どうにもこれは夢じゃなくて、現実であるらしい」
かつての自室で目を覚ましてから、今日で三日になる。その間、麗麗はひたすら『夢を見ているのではないだろうか』と目の前の光景を疑い続けていたのだが、一向に麗麗の目が覚める気配はない。
覚めない夢などない。ならばこれが今の麗麗が置かれた現実であるのだと、受け入れるしかないのだろう。
「つまり今の私は『紅の邪仙女』ではなく、翠熙も『救国の仙君』ではない。次期掌門の座も、一番弟子の座も、私と翠熙で競り合っている最中。どちらとも定まっていない」
『大事を取って、数日休養します』というもっともらしい理由をつけて、麗麗はこの三日、修行からも任務からも離れていた。
だが言葉通りに大人しく部屋に引きこもっていたわけではない。この数日、麗麗はひっそりと祝家の中を歩き回り、状況把握に努めていた。
「今の私達は、まだただの祝家の弟子の状態」
『紅の邪仙女』と呼ばれることになる麗麗と、『救国の仙君』と呼ばれることになる翠熙は、元々二人とも
麗麗は、掌門の
生まれに天と地ほどの差があり、性別も違った。歳も翠熙の方が麗麗よりふたつ上だ。
それでも優れた素質を持つ者同士、そして何より同じ日に祝家の門をくぐった者として、麗麗と翠熙は常にともにあった。座学も武芸もその他の芸妓もともに学んだし、祝家に持ち込まれる妖魔修祓依頼をともに片付けもした。
好敵手であり、最高の相棒。麗麗としては片恋の相手でもあった。
そんな麗麗と翠熙が
──このまま、私が知っている通りに事態が進むなら……
そもそもなぜ皇帝の御子である翠熙が、珀鳳山に落ち延びることになったのか。
端的に言えば、翠熙が邪魔だったからだ。
──生まれが遅い第七皇子。母親の身分は宮廷呪術師。……お母様の身分は貴族でさえなかったって、翠熙は言ってた。
翠熙が生まれた時、すでに琳王宮は次代の皇帝の座を巡る争いが勃発していたという。
末の生まれで母親の身分も低かった翠熙は、後ろ盾らしい後ろ盾もない。
度重なる我が子の命の危機と、次第に激化していく帝位継承権争い。その渦の中からこれ以上我が子を守ってやることができないと覚った翠熙の母は、かつて同僚として懇意にしていた宮廷術師の
元から帝位継承権が低かった、身分の低い妃が生んだ子供だ。姿を消した当初こそ騒ぎになったらしいが、すぐに翠熙の存在は王宮から忘れ去られた。それが翠熙が七歳の時のことであったという。
母の才覚を引き継いでいた翠熙は、生まれながらに術師としての才に恵まれていた。翠熙自身の努力もあり、年が長じるにつれ、翠熙は祝家の仙師として頭角を露わにしていく。
それでも、王宮が翠熙に再び目をつけることはなかった。『珀鳳山祝家に名の通った仙師がいるらしい』『もしかしたらそれが行方不明になっている第七皇子かもしれない』という憶測自体はあったようだが、『まぁ、珀鳳山に引っ込んでいてくれるならば、捨て置いておけばいい』というのが王宮のおおよその反応だった。王宮は王宮で、内で争う毒蛇達の抗争を捌くのに手一杯だったのだ。
そんな状況が一変したのは、翠熙がとある事件を解決に導き、『救国の仙君』という名で民から信奉を集めるようになったからだった。
「確か、あれが起きたのは……」
翠熙は祝家の弟子達を率いて、大きな修祓現場を片付けた。現場には麗麗も同行していたが、妖魔の根城に単身で乗り込み、事の元凶になっていた妖魔を討伐したのは翠熙だ。町へ侵攻してくる小物の妖魔を麗麗が引き付けている間に、翠熙が根本を撃破するという形になっていた。
思えば、その割り振りがよくなかったのだ。
──翠熙を一人で行かせていなければ、翠熙だけが『救国の仙君』なんて呼ばれることもなかった。
そのことに、麗麗は地面についた両手をグッと握りしめる。
翠熙が乗り込んだ妖魔の根城には、町から
助け出された人々は、誰もが翠熙を伏し拝んだ。思えば翠熙は他の現場と変わることなく、己が
そんな扱いを受けていながら、翠熙自身は人々を助け出した後もいつもと変わらず、邪気の浄化やら、怪我人の救護やらと、珀鳳山の弟子として、人々の評価に
その姿も、翠熙の名声を高める後押しになった。
珀鳳山祝家の
助けを求めるならば、翠熙様に。何か困ったことがあれば、翠熙様に。
現場になった町の人々から、評判は口々に方々へ広がっていった。この事件をきっかけに、長年麗麗と翠熙で争っていた次期掌門の座が翠熙に定まったことも、その評判の後押しになったのだろう。
人々に祀り上げられても、己が次期掌門に正式に指名されても、翠熙の寡黙で律儀で謙虚な姿勢は変わらなかった。ひっきりなしに祝家へ持ち込まれるようになった依頼のひとつひとつに誠実に向き合い、祝家の力が及ぶ限りの対応をした。
麗麗はそんな翠熙が誇らしくてたまらなかった。翠熙を褒め称える評を出先で耳にするたびに『そうでしょう? 翠熙はすごいやつなのよ!』とひっそり胸を張っていたくらいだ。
次期掌門の座を翠熙に譲り渡すことになった。そのこと自体は悔しかったが、それ以上に翠熙が評価されることが嬉しかった。麗麗は喜んで翠熙の補佐を引き受けていたし、それは翠熙が正式に掌門の座についても変わらないと思っていた。
ずっと二人で、祝家を支えていくのだと、思っていた。
翠熙が次期掌門に指名された翌年。
琳王宮が『李翠熙を宮廷術師として仕官させよ』と、珀鳳山に遣いを寄越してくるまでは。
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