第25話(番外編) 爽昧


 授業を終えた堀之内は美術室に向かっていた。入部して二ヵ月が過ぎようとしている。美術室がある二階の廊下から見えた桜の花もいつの間にか散っていて新芽が息吹き始めるようになった。

 珍しく堀之内は急いでいた。昨日描き始めた石膏のデッサンがまだ途中だったのでそれを仕上げたいと思っていたからだ。最初は部員全員で描いていたが、もう少し描きたいと桜羽に相談したところ石膏に合わせて水差しとドライフラワーを設置してくれた。その配置の仕方が気に入り堀之内は何枚か描き続けていた。あっという間に時間が経ち続きを今日に持ち越した。それなのに授業が少し押してしまい向かうのが遅くなった。石膏の位置をずらされていたら面倒だ。特に一つ上の桃山は色々と煩い。堀之内は足早に向かっていた。


「おっいたいた!ねぇ君!」


 上級生らしき二人組が堀之内を呼び止めた。見覚えのない顔に辺りを見渡すが、やはり自分に話しかけていたようだと堀之内は渋々足を止めた。


「一年の堀之内君だよね?」

「俺二年の橘とこっちが赤津」

「はい」

「君背、高いよね。入学したときから思ってたんだ。体格いいし中学のときなにか運動してた?」

「特にしてないです」

「部活とかってもうどこかに入った?」

「俺たちバスケ部なんだけどよかったら見学だけでも来てみない?」

「俺もう部活入ってます」

「えっそうなの!?でも君と同じクラスの子が帰宅部だって話していたんだけどな」

「水野ってバスケ部員。堀之内君と同じクラスだろう?」

「水野?あーはい。でも俺美術部なんで」


 橘と赤津が目を丸くした。瞬きを数回繰り返し首をかしげ始めた。堀之内は今日の休憩時間に水野と話していたことを思い出した。水野もまたこの二人同様に堀之内をバスケ部に入ることをすすめてきた。


「美術部?」

「美術部なんてうちにあったのか?」

「さぁ?俺は知らない」

「じゃっじゃあさ掛け持ちとかでもいいから一回来てみてよ」

「いや。いいです。突き指とか怪我したら描けなくなるんで。失礼します」

「あっちょっと堀之内君!」


 再び美術室へ向かう足は更に早くなっていた。やはり昨日の内に描き終えておけば良かったと堀之内は思った。もしくはメモなどを残すとか、部活が終わったときに誰かに動かさないで欲しいと声をかけておけば、遅くなったとしてもこんなに焦る必要もなかった。でも誰に声をかければよかったのだろうか。桜羽にでも頼めばよかったのかもしれない。一年は自分だけだから、先輩に言うと角がたちそうだった。


「うわぁ~この石膏難しすぎる」

「俺はもっと別嬪の石膏さんがいいなぁ」

「文句言わないの。デッサンはなにごとも基本が大事って私もよく言われたんだから」

「はーい」


 美術室から聞こえてきた声に堀之内は『遅かった』と落胆した。桜羽が設置した角度は水の屈折が少なく光が入っていない。それでいて奥行きのある綺麗な置き方だった。もう昨日の続きは止めて新たに違う物を描き始めようか。堀之内は美術室のドアを開いた。


「おせーぞ堀之内!一年なんだからもっと早く来いよ」

「アンタだってさっき来たばかりでしょう」

「すみません。授業が長くなって・・・」

「まだ大丈夫だよ。今からデッサン始めるところ」


 堀之内は教室に入りカバンを置いた。他の部員たちはデッサンの準備を始めている。


「だいたいなんで倉庫から石膏持って来たンすか。そこにあるのに重労働反対~俺たち文化部~」


 堀之内が振り返ると教室の真ん中には初めて見る石膏が準備されていた。よく見るとそれは昨日まで自分が描いていたビーナスの石膏ではない。思わず辺りを見渡した。昨日描いていたビーナスの石膏には布が掛けられている。その布を取ると昨日描いていたそのままの配置で石膏と水差しとドライフラワーが設置されていた。安堵するよりも驚きの方が大きかった。


「堀之内君まだ途中だったでしょう?昨日熱心に描いてたからそのままにしておいたの。あっでも勝手に布かけちゃったからもしかして微妙にずれてたらごめんね。大丈夫そう?」

「・・・はい。大丈夫だと思います」

「良かった」


 いろはは後ろ手でエプロンを結びながらデッサンの準備を始めた。小波と桃山もそれに続いている。中央に置かれた石膏を囲むように座っている。


「あっこの石膏欠けてますよ」

「結構古そうだからね。でもまだ使えるよ」

「そういえば白峰先輩まだ来ないですね」

「白峰さん今日は進路相談で遅くなるみたいなの。先に初めてよ」

「うぃーす。堀之内ーどの辺で描く?俺ここでもいいか?」

「はい。俺も今行きます」


 昨日誰かに伝えておくべきだった。それは顧問である桜羽でも美術部の部長でも先輩でも良かったのだと堀之内は思った。今度からはそうしようと、カバンから鉛筆とデッサン帳を取り出し席についた。

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