第21話 燈火

 いろはと堀之内は広場の方の花火会場にやって来ていた。先ほどよりも人が多く集まっている。


「この辺りだと花火丁度見える位置だね」

「そうですね」

「堀之内君も来るなら別の子誘ってもよかったのに。ゴメンね先輩たちに着き合わせて。部活とかでも大変じゃない?大丈夫?」

「・・・別に」


 周りはカップルで来ている二人組がたくさんいた。時計を見ながら今か今かと、まだ花火が始まらない空を見上げていた。繋いだままの手を離そうとすると強く握り直された。その行動にいろはは堀之内を見ると黙ったままなにもない空を見上げていた。


「あの堀之内君そろそろ手を」

「先輩は好きな人とかいますか?」

「えっどうしたの急に」


 堀之内の抑揚のない話し方はいつものことだったがその質問の内容に驚いた。そういった話はあまり好まないと勝手に決めつけていたからだ。だから動揺してしまった。いろはは頭に過った人物を慌てて消した。すぐに否定しようとすると堀之内はいろはに視線を移した。真直ぐに見つめられる視線はまるでなにかを見透かしているようだった。

 時計の針が二十時を示すとヒュルルル~~ドンッドドンッと暗闇に大輪の花が咲いた。空が割れてしまいそうな音と共に振動が伝わる。皆が夜空を見上げ大輪の花が咲く度に歓声も広がっていく。


「うわぁーキレイー」


 堀之内に手を握られていることを思わず忘れてしまうほどに見事な花火だった。次から次へと上がっていく花火に魅入っていた。煌めいてか細くなった火が散り散りに落ちていく。


「先輩」


 堀之内に何度か呼ばれていたらしい。いろはは花火から視線を外した。空に咲く青色の花火が堀之内を顔も染めていた。握られた手をもう一度離そうとしたがまた強く握られた。なにか話しているのに気が付いたいろは。花火の音がそれを遮るように邪魔をする。


「どうしたの?」


 花火はどんどん昇り咲き消えていく。堀之内に顔を寄せると爆音に混ざり微かに声が耳に入って来た。そして唇が小さく動いた。


「先輩って桜羽先生のこと好きですよね?」


 そのとき一番大きな花火が上り歓声が湧き上がった。それは花火の大きな音で消されそうな声だった。けれどその意表を突く一言だけはいろはの耳に確かに届いていた。

 今まで自分が桜羽を好きだと言うことは誰にも話したことはない。同じ部活の白峰や友人の美鈴と世那にだって言ったことはない。もちろん気づかれていない自信もある。その隠していた想いが出会って間もなく、しかもあまり話したこともない後輩に気付かれてしまったのか困惑した。


「・・・」


 ラストスパートの花火はいつの間にか終わり辺りは静まり返っていた。それに合わせ、辺りの人々からは名残惜しむ声が零れていた。

 次第に離れて行く人々。気づくと心臓がドクドクと脈打ち首筋にねっとりとした嫌な汗が伝った。


「ご、ごめん・・・なんて言ったか聞こえなかった」


 やっとのことで言葉を紡ぐことができた。堀之内は表情を変えずに「そうですか」と返した。繋いでいたいろはの手を離した。人混みに紛れ引き返す堀之内の後を追ういろは。

 スマホが揺れているのに気づきディスプレイを見た。小波から、『駅にいる』と言う連絡だった。スマホをカゴバッグにしまうと少し前にいる堀之内の隣まで小走りで駆け寄った。


「小波ちゃんたち駅にいるって」

「はい」


 いろはは平静を装いなにごともなかったかのように堀之内に話しかけた。スマホを見ながらいろはに適当に返す堀之内。駅に向かうに連れ人も少なくなっていく。下駄がカランコロンと寂しく音を立てていた。


「あっいろは先ぱーい!堀之内ー!」

「ごめん!はぐれちゃって」

「大丈夫です」


 ニッコリ笑う小波にいろはもつられて微笑んだ。隣にはちゃんと桃山もいる。小波に手を引かれたいろは小声で耳打ちをする。


「堀之内大丈夫でした?アイツ無口だからつまんなかったですよね。すみません。先輩にせっかくついて来てもらったのに」

「大丈夫だよ、花火見てただけだから。それよりも桃山く―――」

「あぁあっ!!桜羽先生だっ!!」


 背後でした桃山の大きな声が、いろはと小波のところまで届いてきた。小波は桃山の声の方へ勢いよく振り返った。


「うそっ?あ!!本当だっ桜羽先生!!」


 小波もその姿を見つけると直ぐに駆け寄っていく。下駄の音が遠ざかっていく。いろはは遅れながら振り返った。そこには昨夜妄想でしか会えないと思っていた浴衣を着た桜羽の姿があった。信じられない偶然に一瞬、息が止まりそうになっていた。桜羽は浅葱色の浴衣に黒の帯を締めていた。


「あれ、みんなどうしたの一緒に来たの?」

「先生浴衣だ!かっこいい!!」

「ええっ!?この人先生の彼女!?」

「超キレイな人っ!なんだ桜羽先生やっぱり彼女いたんだー」


 桃山が桜羽の後ろにいた女性に気付いた。その女性の姿がいろはの視界にも入ってくる。紺地に朝顔の花が描かれた浴衣は大人びたその女性に実に似合っていた。結われた髪に、覗く項からは大人の妖艶さのようなものが漂っている。


「違うよ。彼女は高校の時の同級生で今日はたまたまこっちに帰省しているだけだよ」

「たまたま帰省してる人とお祭り来ちゃうんすかー先生~」

「陽一君の学校の生徒さん?」

「ん?そうだよ。美術部の子たち」


 いろはの視界に二人の姿が映った。心臓が痛いくらいに押し潰されていく。なにかに殴られたような感覚が全身に走ると急に指先が冷えていくのがわかった。突きつけられた現実になにかが音を立てて崩れていく。

 桜羽が後方にいたいろはに気付きいつものように微笑みながら声をかけている。目が合っているのなにも感じ取ることができない。思考が停止していた。

 桜羽の口が動いている。けれど声が届いてこない。賑やかな人の声も煩い駅のホームの音もターミナルに並ぶ車のクラクションも一切聞こえなくなった。

 いろはの様子を心配し桜羽がこちらへ二歩三歩と近づいて来る。同時に押し寄せてくるのは、知らないことへの恐怖と終わりが見えた絶望。いろはは目の前の現実に後退りした。


「じゃぁ先輩、俺たちお邪魔なんで先帰りますね」


 突然、堀之内が桜羽を遮るように前にくるといろはの腕を掴みホームへ向かった。


「えっ私もいろは先輩と帰るよ」

「小波先輩は桃山先輩とに決まってるじゃないですか」


 堀之内はそう言うとタイミングよく来た電車にいろはを押し込んだ。桜羽がいろはを心配そう見つめる。


「小鳥遊さん顔色悪いみたいだけど本当に大丈夫?」

「・・・さぁ」


 桜羽の質問に堀之内が返した。電車のドアが閉まっていく。いろはの耳に桜羽の声が微かに聞こえた。ドア越しに振り返った。桜羽の隣の女性も心配そうにこちらを見ている。

 進みだした電車は加速しその場からいろはを引き離していく。電車の蛍光灯がやたらと眩しく感じる。車内は人がまばらにいるだけでガランとしていた。電車が大きく揺れ堀之内はいろはを座席に座らせた。


「・・・先輩」


 いろはの目から先ほどの光景が離れない。ようやく声が聞こえると、つり革にぶら下がる堀之内を見上げた。


「やっぱり好きなんですね・・・桜羽先生のこと」

「・・・」


 それは先ほどの質問に確信を持っていた。聞こえないふりをした質問。答えたくない、答えてはいけない質問。なぜこの押し込めていた気持ちが気付かれてしまったのか考える余裕がなくなっていた。急に視界が滲むと頬に生暖かい涙が流れた。今まで溜め込んでいた感情に抑えが効かなくなっていた。次から次に溢れてくる。先程の桜羽と女性の光景が頭から離れない。桜羽を名前で呼ぶ女性が消しては現れてくる。


「私は・・・好きなのに。先生は先生だから・・・こうなることはわかってたのに。それでもずっと桜羽先生が好きだった」


 ほんの数秒間のできごとにいろはの隠してきた恋情が初めて人前で零れ落ちていく。

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