第7話 虚勢
翌日。いろはは桜羽がいない時間帯を見計らい職員室を訪れていた。昨日提出できなかった夏合宿の申し込み表を桜羽の机の上にわかるように置いた。いつ見ても桜羽の机の上は整理整頓が行き届いている。ボールペンなどは散らばっておらず、プリント類もまとめられている。いなかったことに安堵しつつも、どこか後ろ髪を引かれる思いで職員室を出た。
「小鳥遊さん?」
職員室を出ると白峰の姿があった。昨日の雨のせいか湿気を含んだままの空気は、白峰のカールのかかった髪をいつもよりも大きくみせた。白峰は浮かないいろはの表情に気付いたらしく首をかしげている。
「どうしたの?元気なさそうね」
「白峰さん。そんなことないよ。いつも通りだよ」
「そう?期末テストの結果が悪くて落ち込んでいるのかと思った」
「期末は・・・アハハまぁそうだね。図星カナ。あっそういえば白峰さんも合宿参加するんだね。よかった」
「受験生にとっては息抜きも大切だと思ってね。合宿は二泊三日だし気分転換には丁度いいわ。それにこれで最後だもの」
『最後』という言葉にいろはの胸がざわめいた。三年になり全ての行事に『最後』という言葉が添えられてくる。最後だから後悔がないように、この夏は戻って来ない。散々言われる。けれどそう言われてもどうすればその後悔が残らないのか教えて欲しいと感じていた。
「最後なんてちょっと寂しいよね。この頃、先生たちもよく言うし」
「そう?」
「白峰さんは寂しくない?」
「別に。そんなに深く考えたことないわ」
「私は寂しいよ。なんか全部終わっちゃうみたいで・・・」
いろはと白峰の横を生徒たちが駆け足で通り過ぎた。『廊下を走るな!』と後ろから教師の声が響く。日常でよくある光景は来年にはそうでなくなっているのが不思議だった。人生と言う長い目で見たら自分がここにいることなど一瞬なんだろう。卒業してからの方が人生は遥かに長い。いろはの口からは気づかないうちにため息が零れていた。
「そんなことないわよ。最後ってことは次にやってくることは新しいことでしょ?そう思えれば寂しくわないわ」
「白峰さん・・・」
そっけなくも自信に満ちた白峰の言葉にいろはも頷いた。
「ところで卒業制作順調?」
「うん。もうすぐ仕上がる予定」
「相変わらず早いわね。今年はなにを描いてるの?」
一瞬いろはは言うのを躊躇った。
「・・・今年はヒマワリにしてみた。上手く描けるかわからないけど」
「へぇそうなの。小鳥遊さんらしくていいんじゃない」
「一度描いて見たくて。白峰さんは?」
「私はまだなの。いい案が思い浮かばなくて。だから今から桜羽先生に相談しようと思って」
職員室の前で話していると白峰の後方に桜羽の姿が視界に入ってきた。いろはの胸がギュッと痛みを伝える。それに逃れるようにすぐに視線をそらし体の向きを変えた。
「あれ二人でどうしたの?職員室に用事?」
「桜羽先生、卒業制作のことでアドバイスを頂きたくて。今いいですか?」
「もちろんだよ。小鳥遊さんも?」
「えっあっいえっ・・・私は、私はあの、合宿の申し込み表を机の上に置いといたので後で確認しておいてください!」
いろはそれだけ言うと、逃げるようにその場から離れた。いろはの姿がほかの生徒たちに紛れていく中、桜羽はその後ろ姿を追っていた。
□□□
「はぁー・・・」
しばらくして足を止め、廊下の窓を開け外の空気を胸いっぱいに取り込んだ。湿った土の匂いがする。
二階の窓から一階のエントランスに視線を移すと、旬を終えたあじさいの花がまだ少しだけが咲いていた。昼休みのため、売店があるエントランス付近にはたくさんの生徒が出入りしている。
昨日の桜羽と女子生徒のやり取りが脳裏にリフレインする。止めようとしても隙をつき何度も何度も蘇ってくる。自分も桜羽にとっては大勢の生徒の内の一人で卒業したら忘れられる存在なのだろう。現に先ほどの桜羽は昨日のできごとなどなかったように普通に過ごしている。
「私は先生のこと絶対に忘れないのにね・・・」
夏に近づく生温い風が頬をなでる。胸の中でぽつぽつ沸いてくる感情に必死で蓋をする。それでもそこから滲み出て来る恋情が心の中にじんわりと広がっていく。気づいて欲しくないのに、どこかで気づいて欲しいと勝手なことを思いながら、いろはは腕の中に顔を埋めた。
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