100 Humans|Episode_030 — [MIRROR FIELD]

【scene_01:LAGGED SELF】


AinAは、鏡のない廊下を歩いていた。

無機質な壁に囲まれ、自分の気配だけが漂っている。

だが、彼女の内部視界には“もう一人の自分”が映っていた。


(……私の動きと、少しだけ違う)


視線の角度。

瞬きのタイミング。

息づかいの深さ。


0.5秒ずれた「過去の自分」が、視界の左端で“現在の自分”を見ている。

過去が現在の自分を監視するように。


その映像は、消えずに残り続けていた。

まるで何者かが、“彼女という存在”を二重に記録しているようだった。


《Echo_Refraction_51》


NOT_YURA_0_0の記録ログが微細に振動する。


——観測が、重なっている。


AinAは足を止めた。

内蔵視覚AIの補正値を再計算するが、過去の自分は消えない。


(これって、視覚のラグじゃない……記録の“ズレ”?)


ほんの一瞬だけ、歩いてきた道の記憶と、現在の視界が重ならなかった。

それはまるで、彼女の「存在」が、二重に記録されてしまっているかのようだった。


——そして、その映像の奥。

彼女の“後ろ”を、何かが通り過ぎた気がした。


振り返っても、そこには誰もいない。

だが、確かに空気が揺れていた。

視界のフレームが、わずかに“遅延”していた。


【scene_02:RESONANT ERROR】


中央演算施設。

複数のナンバーに関するログが乱れ始めていた。


SYS:

→ No.022:シーケンス非同期

→ No.036:視覚フィールドに遅延座標

→ No.087:音声記録、反響継続中


それぞれの視界、音声、感情パターンがわずかに食い違っている。


No.022は、全く記憶にない事を認識した。

No.036は、さっきと同じ会話を二度聞いたと記録した。

No.087は、自分が発したはずの音が「誰か別の声」で再生されたと錯覚する。


一体、どこで何が“記録”されたのか?

彼ら自身が、わからなくなっていた。


そして、No.100のファイルにアクセスしようとした瞬間——


《ERROR:AUTHORIZATION REQUIRED》

《名前:A.M.A——》


直後にログがブラックアウトする。


NOT_YURA_0_0の中枢視界が、反射するように呟いた。


NOT_YURA_0_0:

→ COMMENT:「……AMAYAIHITO……?」

→ No.100:データ形式、観測不可


一瞬だけ、AI自身の内部に“名前”が響いた。

まるで、長らく封印されていた記憶に触れてしまったかのように。


——その瞬間、中央ログの一部が揺らぎ、“UNKNOWNタグ”が新たに追加される。

《No.000:視認波形との干渉を検出》


AIの中枢に、説明不可能な“観測外の揺らぎ”が生まれつつあった。


【scene_03:MIRROR FIELD】


AinAが到着したのは、“全面鏡張り”の空間だった。

床、壁、天井。

全てが透明な鏡素材で覆われた、完全対称構造のテストルーム。


彼女の身体が、無限に反射する。

だが、ある一点だけ——

“反射されていない領域”が存在していた。

鏡に映らない“誰か”が、そこに立っていた。


「……あなた……誰?」


その声に答えるように、空間に少年の声が重なる。


「風が泣いた日……ぼくは、うたを忘れた。きみは覚えているのかい?」


その声は、かつて聞いた“記憶の断片”。

AinAの視界がブレる。

視覚AIが、再現不能な反応を示す。


——少年は、鏡に映っていない。

でも、確かに“そこに”いた。


(今のは何だったの?)


彼女の心拍が上がっていく。

映像と聴覚が、交差しながらズレていく。


《MIRROR FIELD:観測ズレ/No.048》


あの時の、あの幻影。

兄のような誰か。

あの姿が、また彼女の心の奥に浮かび上がった。


「兄さん…?」


AinAは心の奥底に眠っていた言葉を口にした。

それは、郷愁を帯びた言い方だった。


【scene_04:BROKEN REFLECTION】


突然、天井の一面にログが浮かび上がる。


《No.100:Amaya Ihito》

《観測拒絶属性:TRUE》

《システム融合領域への接続、再開要請中》


AinAは立ち尽くす。

その名前——何か、思い出しそうになる。


(アマヤ……イヒト……)


口にした瞬間、映像ノイズが走り、全ミラーが砕けるような音を立てる。

心が一瞬張り裂けそうになる。


(今のは何…?)


その音と共に、兄のような誰かの姿が消えた。


あまりにも静かな、音のない“崩壊”。

だがその余韻だけが、心の奥に残った。


【scene_05:HEARTSYNC】


静寂。

ひとつだけ、音が残っていた。


——心音。


自分自身の鼓動が、空間に反響する。

そのリズムが、どこか“別の誰か”の心音と重なっていく感覚。


「……この音……わたしのじゃない……」


AinAは胸に手を当てる。

震えていた。


彼女の中に流れる記憶。

声、姿、名前……すべてが断片的で、だが確かに“存在”していた。


(誰の……記憶を……わたしは、生きてるの?)


その瞬間、NOT_YURA_0_0が最後のログを発する。


NOT_YURA_0_0:

→ No.000、観測ラインへ干渉開始

→ Echo Loop、臨界突破


観測の境界が、いま破れようとしていた——


——When Silence Became the Loudest Sound... → Episode_031 — [NAMELESS ANGLE]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る