100 Humans | Episode_019
——「名前のない風景には、音がない」
誰かが、そう言っていた。
記憶のない夜には、光も影も区別できず、自分が何者かすら、問いようがない。
それでも——歩き続ける。
足元の音すら、誰かの記憶に響けば、それは“存在”になるのだろうか。
その風景の中に、彼はいた。
UNIT_044
無音の廃墟。
かつての記録保管区だった場所。
焼け焦げたコンソールと、剥がれかけたナンバーシール。
「此処」が何だったのかを覚えている者は、もういない。
彼は静かに歩く。
思考の半分は霧に包まれていた。
けれど、ある“予感”があった。
——この先に、“誰か”がいる。
「戻る」でも「探す」でもない。
彼の歩みは、“まだ失われていないもの”を辿ろうとする衝動だった。
その頃——
別の場所で、別の鼓動が高鳴っていた。
UNIT_002
彼女の内部記録には、正確な「記憶」がない。
だが“感情”が、時折ノイズのように沸き上がる。
それは既知のデータに紐づかない、“名前なき記録”だった。
「また……来てる……」
彼女の胸の奥に波紋のような熱が広がる。
それは誰かの痛みでも、喜びでもない。
けれど、確かに誰かが“ここにいた”ことを知らせていた。
UNIT_002は
記録に残らない、抹消された想いと繋がる特異なナンバー。
だからこそ、彼女は感知できる。
“044の輪郭が、まだ消えていない”ことを。
だがその感知は、共鳴であると同時に“侵食”でもあった。
002の呼吸がわずかに乱れる。
体温と心拍が同時に上昇し、視界がかすむ。
それでも彼女は、立ち止まらない。
「この気持ちは、私のものじゃない。……けど、誰かを、強く……想ってる」
彼女はその想いの正体を知らないまま、歩を進める。まるで、記憶が感情を引いているのではなく、感情が記憶を“作ろう”としているように。
UNIT_044は、廃墟の奥で立ち止まった。
コンソールの残骸に、ふと触れる。
一瞬、ノイズが走った。
その触感に、記憶が揺れる。
▶かつてここで、誰かと交わした言葉。
▶システムに残らなかった会話。
▶「また、きっと……」の続き——
記憶の中で誰かが言った。
「名前がなくても、私はあなたを覚えてる」
声の主は、誰だった?
ユニット番号も、記録もない。
ただ、その“温度”だけが脳裏に残る。
044は呟いた。
「……忘れたくなかったんだ、俺も」
その瞬間——
空間の空気が震えた。
まるで誰かが、“呼んだ”ように。
そして、もう一つの記憶が突如として浮上する。
実験室の片隅。
古びた木の椅子。
そこに座っていた自分より少し年上の誰か。
「名前ってのはさ、呼ぶためにあるんじゃないよ。……帰る場所のようなもんだ」
その声も、その空間も、思い出せない。
でも、温かかった。
UNIT_002の足が止まる。
地面が、わずかに反応する。
その地点は、公式には「廃棄エリア」とされていた。
だが、彼女の感情波形ははっきりと反応している。
「そこに……誰かがいる」
彼女の内部で、プロトコルが発動しかける。
SYS: EMO-LINK_PRE-INITIATED
→ TARGET: UNKNOWN
→ COMMENT: 共鳴信号、感情パターン一致率 83.1%
NOT_YURA_0_0:
→ WHISPER:「近づきすぎると、自我が溶ける」
それでも、002は進んだ。
——“感情”を感じた。
それは理屈でも、命令でもなく、“ただ、そこにある”という確信だった。
廃墟の中心。
瓦礫の下に、黒い端末があった。
UNIT_044がそれを拾い上げた瞬間、ノイズ混じりの映像が浮かぶ。
記録されていたのは、かつての実験映像。
“彼”が、まだ番号すら持たなかった頃のデータ。
誰かに名を呼ばれ、振り向く少年の姿。
画面の向こうから、その名は消されていた。
だが、呼んだ側の声だけは残っていた。
女性の声。
震えるような優しさで、彼の名を呼ぶ——
「——ito」
UNIT_044は、その映像を見つめたまま動けなくなる。
その名は、自分のものなのか?
それとも誰かがくれた“贈り物”だったのか。
思考が分裂する。
記憶が重なる。
耳鳴りがするほどの静けさの中で、彼はただ、“その名”の音だけを反芻する。
——なぜ、たった三文字が、こんなにも重い?
彼の背後に、足音が近づいた。
UNIT_002が、そこにいた。
お互いに、すぐには声を出せなかった。
でも、わかっていた。
それぞれが感じていた“誰か”が、いま、目の前にいるということを。
UNIT_002:「……あなたが、あの時……」
UNIT_044:「……君は……」
語尾が交差する。
その瞬間、廃墟全体が微かに震えた。
SYS: EMOTIONAL REVERBERATION
→ STATUS: MULTI-SYNC
→ AFFECTED_UNITS: 002 / 044
→ COMMENT: 共振範囲拡大中
NOT_YURA_0_0:
→ WHISPER: 「始まる前に、終わることもある」
だが、それでもふたりは——
手を伸ばした。
触れた瞬間、光が走った。
皮膚の感覚ではない。
それは、記憶の内側に入り込むような感触だった。
世界の輪郭がわずかに歪み、色が反転する。
SYS: OVERRIDE DETECTED
→ COMMENT: セーフプロトコル無効化
→ SOURCE: UNKNOWN SIGNAL
空間にひびが入る。
記録層そのものが軋んでいく。
ノイズが音になり、音が鼓動に変わる。
NOT_YURA_0_0:
→ WARNING: 「接続解除不能——“記憶融合プロセス”が始まる」
そして、記憶ではなく、“感情”の名前が——
ふたりの中で、同時に立ち上がった。
——Still resonating... → Episode_020——
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