第11話「智の即興革命」

 8月14日、午前6時。フェスティバル当日の朝。

 曙浜港の旧倉庫前広場には、既に早朝から準備スタッフが集まり、最終チェックに追われていた。夜明け直後の空は晴れわたっていたが、緊張感が走っている。

 なぜなら――停電が発生していたのだ。

 「電力ケーブルの中継盤がショートしてる!?」

 智の声が場内に響く。倉庫内のステージ照明、プロジェクター設備、音響システム……すべてが電源供給を絶たれていた。

 「復旧は?」優愛が即座に尋ねる。

 「電力会社も復旧班は出てるけど、本番には間に合わない可能性が高いって……」智が苦い顔で答える。

 「このままだと光のオブジェも点灯できない……」真理が固唾を飲む。

 「一番の目玉が……」知樹も顔を曇らせる。

 「こんな直前で……」梨絵の目にじわっと涙が滲み始める。

 スタッフも商店街の人々も、ざわざわと不安げな空気に包まれていた。

 その中で雄太はただ静かに、全体を見回していた。

 そして、淡々と口を開いた。

 「……僕たちには、まだ時間があります」

 その一言に、全員がはっと顔を上げた。

 「智さん」雄太が静かに言葉を投げる。「非常用電源や代替手段は、現実的に考えられますか?」

 智は一瞬目を閉じ、頭の中で計算を走らせた。

 「……もし、倉庫屋根のソーラーパネルを非常用電源として即席で繋げれば、一部設備は最低限稼働できるかもしれない!」

 「できますか?」

 「できる……やる!」智は一気に表情を変えた。「正規の配線じゃないから認可設備としてはアウトだけど、仮設運用ならやれる!」

 「お願いします」

 雄太の静かな励ましに、智は拳を握った。

 「よし!みんな、協力してくれ!屋根に上がるぞ!」


 屋根へ向かう梯子に、智が真っ先に駆け上がる。続いて知樹と雄太も後を追った。

 「ケーブルはここから直接引き回せるはずだ!」智が叫ぶ。

 「ロープと工具持ってきた!」知樹が腰道具を振り上げた。

 「配線保護は僕が担当します!」雄太も既に作業手袋を嵌めている。

 突貫工事さながらの作業が始まった。

 太陽が昇り始める中、屋根の上で3人は手際よく動く。

 「ここだ!パネルのインバーターはまだ生きてる!」智が端子を確認する。

 「変換効率は?」雄太がすぐ尋ねる。

 「理論値60パーセント!十分だ!」

 「やるぞ!」知樹が声を張る。

 地上では真理と優愛が代替電源の分配計画を練っていた。

 「メイン照明は捨てて、最低限の演出だけ残しましょう」真理が図面を確認する。

 「スピーカーも必要最小限。司会マイクと誘導アナウンス優先ね」優愛が次々と指示を飛ばす。

 「子どもたちの安全灯は絶対外さないわよ」

 「もちろん!」

 梨絵はスタッフに飲み物を配り、慌ただしく動き回る皆に明るく声をかけていた。

 「みんな、顔上げて!私たち、絶対に間に合わせるんだから!」

 その笑顔に勇気をもらい、商店街の人々も再び動き始めた。

 現場は一つにまとまり、いつしか焦りではなく、強い一体感が漂っていた。

 (――これが、私たちの町の力だ)優愛は静かに胸を熱くしていた。


 午前8時30分。屋根上の作業はほぼ完了を迎えていた。

 「仮設配線、全系統接続完了!」智が最後の端子を締め付ける。

 「安全カバーも固定しました!」雄太がすぐ後を追う。

 「動作チェックに入るぞ!」知樹が声を張った。

 地上では真理がモニターを見つめる。

 「……パネル発電量、規定値クリア!」

 「非常系統、点灯確認!」優愛が叫ぶ。

 その瞬間、会場の一角がふわりと光に包まれた。

 スタッフから拍手が沸き起こる。

 「やった……!」梨絵が両手を広げて空を仰いだ。

 智は屋根の上で、大きく息を吐いた。全身に汗が噴き出していた。

 「……間に合った……!」

 「ほんと、お前すげえよ……」知樹が隣で呟く。

 「即興革命だな」真理の声が無線から聞こえてくる。

 「ありがとう、智!」優愛の声も重なった。

 「いえ、俺だけじゃない!みんなのおかげです!」智が笑う。

 その言葉に、雄太がゆっくりと頷いた。

 「……智さん、素晴らしい判断と実行力でした」

 「いや、お前が最初に“まだ時間がある”って言ってくれたからだよ」

 「出た、魔性の励まし力!」知樹が笑う。

 青空の下、屋根の上の3人は小さく拳を重ねた。

 「よし!あとは本番まで、きっちり仕上げるぞ!」

 全員の気持ちは一つになっていた。


 昼前には、すべての設備チェックが完了していた。

 「よし、最小構成とはいえ、十分に演出可能よ!」真理が最終確認を終えた。

 「オブジェの光も点灯シミュレーション完了!」優愛も報告する。

 「音響もOK!観客誘導用マイク、生きてるぞ!」智が胸を張った。

 「もう泣きそう……本当に間に合ったんだ……」梨絵が胸を押さえたまま、瞳を潤ませる。

 「大丈夫、梨絵。今夜は必ず最高の光景になるわ」真理がそっと肩に手を置く。

 「よーし、じゃあ一旦昼休憩だ!」知樹が号令をかけると、スタッフたちからも自然と笑顔が広がった。

 休憩所に集まった6人は、簡易テーブルでおにぎりを頬張りながら改めて話し合った。

 「……まさか最後の最後で、智の即興が炸裂するとはな」知樹が呆れたように感心する。

 「ほんと、智くん、今日のMVPだよ!」梨絵が笑った。

 「……即興は得意でも、ここまで綱渡りなのは珍しいけどね」智も苦笑いする。

 「でもね」優愛がゆっくりと続ける。「智くんが“即興”を成功させられるのは、普段から丁寧に全体の構造を把握して準備してるからよ」

 「そうだな。結局、土台があるから柔軟になれるんだ」真理が補足する。

 「まったく……みんな本当に成長してるな」知樹がしみじみ呟く。

 「いや、何だその“保護者目線”」智が吹き出した。

 「うん、でも私もそう思うよ!」梨絵が明るく頷く。「あの日、春の雨の中で初めて出会った時から、すっごくみんな変わったもん!」

 その言葉に、雄太は静かに微笑んだ。

 「……変わってきたというより、皆さんが“重なり合って強くなった”んだと思います」

 「……また出た、魔性の名言力」知樹がぼそっと呟き、全員が吹き出した。

 和やかな笑い声が、昼下がりの陽だまりに溶けていく。


 午後の最終リハーサルも順調に進み、あとは夕方からの本番を待つばかりとなった。

 「天気も完全に回復ね。星空も期待できそうよ」真理が夜空を仰ぐ。

 「風も穏やかになってる。オブジェの光もきっと綺麗に映えるよ!」梨絵が嬉しそうに跳ねる。

 「今度こそ、誰にも邪魔されずにやり遂げような!」知樹が拳を握る。

 「うん!今日は絶対最高の日になる!」智も力強く言った。

 その横で、雄太がゆっくりと目を閉じた。

 (――ここまで来られたのは、皆さんのおかげだ)

 最初に古書店で出会ったあの日から、季節は巡り、絆は育った。

 雄太にとっては、この短い数か月が、まるで何年にも感じられるほど濃密だった。

 「……雄太?」優愛が小さく声をかける。

 「はい、大丈夫です。ただ――」

 雄太はふと、皆を順番に見回しながら微笑んだ。

 「……今日ここに、皆さんと一緒に立てていることが、本当に嬉しいです」

 その静かな言葉に、6人全員が一斉に笑顔を浮かべた。

 「ほんと、最後まであなたは“魔性の男”のままだわね」真理が肩をすくめる。

 「魔性の男、完成形!」知樹が指差して茶化す。

 「だって、私たちこうやって今、最高に楽しいもん!」梨絵が満面の笑顔を浮かべる。

 「うん、最高だよ!」智も拳を突き出す。

 「さて、そろそろ準備に戻りましょう」優愛が締め直す。

 いよいよ、レター・フェスティバル本番まで、あとわずか――。


 日が沈み、夜の帳がゆっくりと降りた。港の海面には月明かりが反射し、無数の星々が空に広がっていた。

 旧倉庫前広場は、すでに多くの観客で埋まっていた。町内外から集まった人々が、静かに開演の時を待っている。

 舞台裏では、6人が最後の確認を終えて並んでいた。

 「――いよいよだな」知樹が低く息を吐く。

 「うん。きっと最高の夜になるよ」智が穏やかに微笑む。

 「準備は万全。もう何も心配する必要はないわ」真理が淡々と断言する。

 「大丈夫。あとは楽しもう!」梨絵が緊張しつつも元気に言った。

 「この町の物語が、今始まるのね」優愛が深く頷く。

 雄太はゆっくりと深呼吸した。

 「……さあ、行きましょう」

 司会進行の合図で、場内の照明が一段落ちた。

 静寂が広がる中、音楽と共にプロジェクターが点灯し、倉庫の外壁に美しい映像が映し出された。

 未投函だったラブレターの全文が、柔らかなフォントで一文字ずつ浮かび上がっていく。

 それに合わせて、オブジェのライトがゆっくりと輝きを増していった。

 観客たちが息を呑む中、最後の一文が浮かび上がる。

 《もしもこの手紙が、誰かの心に届くなら――》

 光のオブジェが一気に満天の星空のように煌めいた。

 観客席から拍手が巻き起こり、次第に大きな歓声へと広がっていく。

 「……成功だ!」智が小さくガッツポーズを作る。

 「……うん、完璧だったわ」真理が微笑む。

 「泣きそうだよ……!」梨絵はまた目を潤ませていた。

 「本当に……皆さん、ありがとうございます」雄太が静かに言った。

 「また出た、魔性の感謝力・本番完成版!」知樹が小声で茶化す。

 その時、司会から紹介された雄太がゆっくりとステージに進み出た。

 マイクを握ると、観客全体が静かに耳を傾ける。

 「――この曙浜の町に、こうして新しい光を灯せたことを、心から感謝します」

 彼の静かな声が、夜の空気に溶けていく。

 「僕たちは、町の誰もが支え合う姿を見てきました。困難を乗り越え、手を取り合い、今日ここに立っています」

 観客の誰もが真剣に聞き入っていた。

 「これからも、この光が消えぬよう、皆さんと共に歩んでいきます。本当に……ありがとうございます」

 満天の星の下で、大きな拍手が会場を包んだ。

 こうして――レター・フェスティバルは、静かに、そして確かに、町に新たな歴史を刻んだのだった。


第11話 完

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