第10話「知樹の遠吠え」

 8月12日、午前9時。曙浜町議会・本会議室。

 静まり返った議場には、重々しい緊張感が漂っていた。これまで準備を重ねてきた「レター・フェスティバル」計画の最終審議日だった。前回の一次承認から2か月。今回は正式な開催許可が賭かっている。

 壇上には商店街代表として雄太と優愛、そして発表役として知樹が立っていた。

 議長の合図で時計の針が進むと、知樹がゆっくりとマイクに向かって口を開いた。

 「えー……今回、我々はレター・フェスティバル計画について最終提案を申し上げます」

 少し堅い出だしに、雄太が隣で軽く視線を送る。その目は「大丈夫、落ち着いて」と静かに語りかけていた。

 知樹は小さく息を吸い込み、次第に語気を強めていく。

 「この町は、かつて海運で栄え、今は静かな港町です。でも俺たちは、そこにもう一度新しい“物語”を作りたいと思ったんです」

 議場の空気がわずかに動く。

 「古い手紙が出てきた――ただの偶然に見えるかもしれません。でも、それを『何かに変えよう』と皆で動き出したのは、偶然じゃありません」

 知樹は続ける。まるで胸の底から本音を叩きつけるように。

 「俺たちは最初、右も左も分からなかった。町議会にも自治会にも、たくさんの心配をかけたと思います。でも、その中で俺たちは、町のみんなが支えてくれてることに気づいたんです!」

 議場後方の傍聴席には、商店街の人々が集まっていた。八百屋の親父も、魚屋のおばちゃんも、小さくうなずきながら聞き入っている。

 「何度も壁にぶつかった。でも諦めずに準備を続けてきた。瓦礫を片付け、倉庫を補修し、嵐にも耐えて守った……。これは、俺たちだけの話じゃない。町全体の“挑戦”なんだ!」

 ざわざわと小さな波が議場内に広がり始めた。

 「だから俺は言いたい。形式だの効率だの実効性だの――もちろん大事です。でも、それだけじゃ町は変わらない! 動くのは“人”なんだ! 町を変えるのも、未来を作るのも!」

 議長席で重々しく腕を組んでいた年配議員たちが、思わず顔を見合わせる。

 「どうか、俺たちの挑戦を信じてください。この町が、もう一度輝く瞬間を!」

 知樹は力強く言い切った。

 少し息を荒げながらマイクを離れると、背後で静かに立つ雄太がそっと彼の肩を軽く叩いた。その一拍の静かな励ましに、知樹は思わず胸が熱くなる。


 知樹が席に戻ると、優愛と真理が小さく頷いて迎えた。

 「……よく言ったわ」真理がそっと囁く。

 「うん、あなたの“本音”がちゃんと伝わったと思う」優愛も静かに微笑む。

 「いや、俺、ちょっと勢いでやりすぎたかと思ってた……」知樹は汗を拭いながら苦笑する。

 「いえ、大丈夫です」雄太が穏やかに言った。「僕たちの思いが一番よく伝わるのは、いつも自然体の言葉だと思います」

 再び議長席が静まり返った。

 やがて議長が重々しく口を開く。

 「……皆の熱意は確かに伝わった。町の若い力が動いているのは喜ばしい。しかしながら、町全体の財政・安全・継続性の観点からは、慎重な議論が必要だという声もある」

 その言葉に、少しだけざわつきが広がる。

 「委員各位、最終採決の前に、意見表明を求める。反対意見のある者は?」

 すると、一人の中堅議員が手を挙げた。

 「計画の趣旨は理解します。ただ、現実問題として、イベント後の倉庫施設の維持費が課題です。盛り上げるのは一時的でも、後始末は長期に及びます」

 「そうだそうだ」という小さな賛同の声が幾つか上がる。

 「しかし」今度は高齢のベテラン議員が口を開く。「若い者が汗を流して守った倉庫だ。その倉庫に今さら町が責任を持たないというのも情けない話だろう」

 「そうですな……」

 空気がわずかに揺れる。意見は拮抗していた。

 「……現段階では、即時の賛成多数とはならんようだな」議長がまとめに入る。

 その瞬間、知樹が思わず拳を握りしめた。

 (……くそ、やっぱり簡単には通らないか)

 雄太は静かに、知樹の背中に手を置いた。

 「……知樹さん、大丈夫です」

 そのわずかな重みが、知樹の胸を少しだけ軽くした。


 議長が議場内を見渡しながら慎重に言葉を続ける。

 「賛成・反対、双方の意見は拮抗している。よって、本日の採決は一時保留し、近日中に最終投票とする。追加資料の提出も認める」

 その決定に、重たい空気が一瞬広がった。

 「くぅー……保留か……」知樹が歯を食いしばる。

 「でも、完全否決じゃないわ」真理が冷静に肩を叩く。「逆に言えば、説得余地が残ってる証拠よ」

 「まだチャンスはあります」優愛もすぐに励ます。「次は“実効性”を補強する説明がカギね」

 「はい」雄太が静かに頷いた。「具体的に“どんな未来像を描くか”を示せれば、きっと皆さんも納得してくださいます」

 議場を出ると、傍聴席にいた商店街の面々が拍手と声援で迎えた。

 「知樹くん、よく言ったぞ!」

 「若いもんがしっかり声上げてくれて嬉しかったわ!」

 「ありがとう、みんな……」知樹が少し照れくさそうに頭を下げた。

 その輪の中で、ふと梨絵がぽつりと言った。

 「でもさ、私……ああいう会議場って、やっぱり怖いなぁ」

 「分かる……俺も本当は手が震えてた」知樹が苦笑する。

 「だからこそ、知樹さんの“本音の叫び”が効いたのよ」真理が静かに言う。「事務的な数字だけじゃ人は動かないもの」

 「うん!やっぱり熱意って伝わるんだよ!」梨絵も満面の笑顔で頷く。

 「とはいえ、残された時間は多くないわ」優愛がすぐ現実に戻す。「次回までに“説得力のある具体案”を固めないと」

 「ここからが正念場ですね」雄太が静かに言った。

 商店街の皆もそれぞれうなずき、6人を後押しする視線を送ってくれた。

 「よし、じゃあまずは本部に戻って作戦会議だな」智がきびきびと指示を出す。

 「うん!やろう!」梨絵が元気よく答えた。

 「……任せろ。今度はもっと“刺さる”提案作ってやる」知樹も静かに闘志を燃やした。

 こうして、彼らは再び前を向き、次なる戦いの準備に動き出した。


 午後の商店街本部。6人は改めて資料を広げ、次の作戦を練っていた。

 「やっぱり“イベント後の維持管理”が一番の焦点だな」智がタブレットを指差す。

 「今はボランティアで修復を続けてるけど、イベント後にそれをどう持続可能にするか……そこを突かれてるわけね」真理が整理する。

 「つまり、町議たちは“財政リスク”を最も恐れてるわけだ」知樹が唸る。

 「だからこそ、逆にそこを具体的に示せば一気に賛成に傾く可能性もあるわ」優愛がきっぱり言った。

 「例えば?」梨絵が身を乗り出す。

 「観光誘致プランの中長期案だな」と智がすぐに反応する。「イベント後も、倉庫を“曙浜レター資料館”として常設化して、観光資源化するんだ」

 「展示の中心は、未投函ラブレターと町の歴史資料。地元学生のボランティアガイド育成、修学旅行誘致……」真理が即座に加筆する。

 「それなら年間維持費も算出しやすいし、町の人も文化財としての誇りを持てる」優愛も数字を弾く。

 「さらに隣接広場を年間レンタルイベントスペースにすれば、収益の一部を倉庫維持に回せるわね」真理が続ける。

 「おお!いいね!フェスティバルが“点”じゃなく“線”になる!」梨絵が手を叩く。

 「よし……こうしてみると、もう町議を動かす“芯”は見えてきたぞ」知樹がゆっくりと拳を握った。

 「僕も協力します。施設の運営マニュアルのたたき台、作っておきます」雄太も自然に役割を申し出た。

 「出た、“魔性の事務力”!」知樹が笑う。

 「本当にあなた、何でも静かに引き受けるわね……」真理も少し呆れ顔で微笑む。

 和やかな空気が広がりつつも、全員の集中力は高まっていた。

 「ならば、数日中に資料を仕上げて提出しよう」優愛がまとめる。「次回こそ、決着をつけるわよ」

 「うん!」梨絵も力強く拳を握る。

 6人の視線が自然とひとつに集まり、改めて静かに決意を交わした。


 翌日、曙浜町役場の一室。6人は完成した追加資料を整え、町議会事務局に正式提出に来ていた。

 「ふむ……ここまで詳細に作り込んできたか」事務局の担当職員が資料をめくりながら唸る。

 「はい。短期収支だけでなく、中長期維持プラン、観光誘致案、文化教育提携案も含めています」と優愛がきっぱり答える。

 「町内高校との連携プログラムは新しいな」と職員が感心したように頷く。

 「実際、若い世代が関わる仕組みがあれば、この施設は単なる“倉庫の維持”じゃなく、“町の教育資源”に昇華できます」と真理が続ける。

 「町外からの旅行者数試算も、去年の海祭りデータを基準に現実的な数字を弾いてあります」智も数字を指し示す。

 「将来的には“町の顔”になり得る施設です」知樹が真剣な表情で続ける。「だからこそ、初期の負担を乗り越えれば大きな循環が生まれると確信してます」

 担当職員は資料を閉じ、改めて6人を見回した。

 「……ここまで準備してくれた若い人たちが、この町にいること自体が何よりの財産だな」

 その言葉に、6人は自然と微笑み合った。

 提出を終えた帰り道。夕暮れの港を歩きながら、知樹がぼそりと呟いた。

 「……ふう。俺なりに精一杯やったけど、正直な話、やっぱり不安は残るな」

 「当然よ。人を動かすってそういうものだわ」と真理が静かに返す。

 「でも今回、俺……雄太のおかげで“本音で叫ぶ”ってことができた気がする」知樹が少し照れたように言った。

 「僕ですか?」雄太が驚いたように問い返す。

 「お前がずっと、ぶれずに静かに積み上げてきたからだよ。お前みたいに“無言の背中”を見せ続けられる人間にはなれねぇけど――」

 知樹は照れ隠しのように拳を突き出した。

 「せめて俺は、たまに遠吠えくらいはできるようになったぜ」

 雄太もその拳に、穏やかに拳を合わせた。

 「はい。知樹さんの遠吠え、とても力強かったです」

 静かな夕焼けの中に、温かな笑い声が広がった。


 数日後、町議会の臨時本会議が開かれた。

 提出された追加資料は各議員の手元に配布され、事前に精読も済んでいた。

 議長が議題を読み上げ、最終採決の時が訪れる。

 「それでは、レター・フェスティバル計画、および旧倉庫活用の将来計画案について、賛否を問う」

 静寂の中、議場の投票ランプが一斉に点灯していく。

 最初の数秒間は、青と赤の票が拮抗していた。

 だが次第に、青ランプ――賛成票が、ひとつ、またひとつと増え始める。

 やがて賛成多数が確定した瞬間、議場に微かな拍手が広がった。

 「……賛成多数により、計画は正式承認とする」

 議長の言葉に、商店街の傍聴席からも拍手が起きる。

 知樹がゆっくりと息を吐き、思わずその場で小さくガッツポーズを作った。

 「……通ったぞ」

 「やったぁ!」梨絵が思わず声を上げる。

 「本当に……よかったわ」優愛が安堵の表情を浮かべた。

 「ようやくスタートラインに立てたわね」真理が静かに微笑む。

 「ここからが本番だな」智も肩の力を抜きながら言った。

 雄太は静かに議場全体を見渡したあと、皆を振り返った。

 「……皆さんの力が重なった結果です。本当にありがとうございます」

 「出た、“魔性の感謝力・議会承認バージョン”!」知樹が笑った。

 「でも、こうやって何度もピンチを乗り越えたからこそ、この空気が生まれたのよね」真理が柔らかく言った。

 「うん、私たち、ほんとに“仲間”になったよね!」梨絵が笑う。

 「じゃあ改めて」智が手を差し出した。

 全員の拳が次々と中央に重なる。

 「レター・フェスティバル、本番まで――突っ走ろう!」

 6人の掛け声が、夕暮れの空へと高く響き渡った。

 外では蝉の声が鳴き始め、夏の夜がゆっくりと深まっていく。


第10話 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る