第7話「ざわめく噂」

 6月15日、午前8時。曙浜商店街の中央掲示板に、朝一番で張り出された一枚の怪文書が町に静かな波紋を広げ始めていた。

 『町議会幹部の孫娘と新参者の不適切な関係を疑う声あり。市費の流用計画では?』

 白黒コピーの紙は、掲示板の隅に無造作に貼られていた。差出人名もなく、署名もない。

 通勤途中の商店街の人々がざわざわと立ち止まる。

 「これ……誰がこんなの……?」

 「いやだわ、こういう陰湿なの……」

 「町議会の孫娘って……まさか、優愛さんのことか?」

 静かな囁きが徐々に広がっていく。

 その報せはすぐに6人の耳にも届いた。

 「……最低だな」知樹が朝から渋い顔で掲示板をにらみつけた。

 「悪意丸出しじゃないか。完全にデマだろ」智も腕を組んで眉をひそめる。

 「許せない……!」梨絵はぷるぷると怒りで肩を震わせた。

 優愛は冷静に紙面を凝視していたが、唇を固く結んでいた。

 「悪質な噂を流して計画を潰そうという意図が見え見えね」真理が低く呟く。

 「町議会の中でも反対派はいるからな。誰かが裏で仕掛けた可能性は高い」

 「でもさ、こんなの、ほっといていいの?」梨絵が不安そうに問いかけた。

 「放置すれば尾ひれがついて悪化するわ」優愛が冷静に答える。「これは早急に火を消さないと危険」

 雄太は、騒然とするみんなを静かに見つめていた。そして、そっと口を開いた。

 「僕は、どんな形でも皆さんが傷つくのは避けたいです」

 その一言に、また皆がはっとする。

 「ほんと……こういう時も、まず他人の心配なんだな」智が苦笑する。

 「それが“魔性の男”だもの」と真理が静かに微笑む。

 「けどさ、じゃあ具体的にどうやって沈静化させる? 言い訳しても火に油だろ」と知樹が現実的に問う。

 優愛は深く息を吸って静かに答えた。

 「情報戦は冷静さが勝負よ。確実な証拠で否定し、町内放送を使って事実を整理していくわ」

 「私、協力する!」梨絵が即座に手を挙げた。「町の人たちにもちゃんと説明して回る!」

 「俺も動く。商店街の親父連中は俺の方が話しやすいしな」と知樹が続ける。

 「俺もSNS監視しておくわ。火の手が広がる前に潰す」智が即座に動く。

 真理が冷静にまとめる。「じゃあ、私と優愛さんで正式な説明文書を作成するわ」

 全員の目が揃っていた。ただ一人、雄太だけが静かにその輪を見つめ、深く頷いた。

 「……皆さん、本当に、ありがとうございます」


 その日の昼過ぎ、商店街の裏通りにある小さな喫茶店の奥に6人は集まっていた。簡易のノートパソコンとプリンターを持ち込んで、対策会議は進んでいた。

 「文書の冒頭は簡潔に“事実無根”と否定するわ」真理が画面を操作しながら言う。

 「感情的に否定すると逆効果だしね。理路整然とした事実の提示が大事」と優愛が隣でうなずく。

 「証拠として、町議会からの正式承認書類と自治会の決議記録も添付できるわ」真理が書類を整理する。

 「それを町内放送の告知にも使う?」と智が尋ねる。

 「そうね。誤解を広げる前に、公式発信は絶対必要よ」と優愛が答えた。

 「それでも陰でこそこそ言う奴はいるだろうけどな」知樹が少し渋い顔をする。

 「そこは私に任せて!」梨絵が胸を張る。「商店街のおばちゃんたちに事情説明して回れば、むしろ“庇う声”が広がると思う!」

 「いい案ね」と真理が微笑んだ。「コミュニティの中に味方を増やすのが一番の防御よ」

 智が画面を操作しながら呟く。「一応、商店街の掲示板アカウントにも正式声明文を投稿しておくよ。SNSは拡散力あるから、逆にきちんと使おう」

 雄太は静かに皆のやり取りを見守っていた。そこに、静かな感動が湧き上がっていた。

 (みんな、すごい……僕のために、じゃない。自分たちの意思で、町のために動いてる)

 ほんの数か月前までは赤の他人だった6人が、今はこうして自然に連携し、互いを信じて動いている。その姿が、雄太の胸を温かく満たしていった。

 ふと、優愛が気づいて微笑んだ。

 「……どうしたの?」

 「いえ……ただ、皆さんが本当に頼もしくて」

 「また出た、“魔性の感心力”だな」知樹が冗談めかして笑った。

 「この人、いっつも他人を褒めるのが自然なんだよな」と智も続ける。

 「それが魔性の根源よ」と真理も柔らかく微笑んだ。

 「でもさ、本当にみんなの絆が強くなってきた気がするよ!」梨絵が嬉しそうに手を握りしめた。

 再び6人の間に柔らかな空気が流れた。

 「よし! あとは私が町内放送センターに行って、録音してくる!」優愛が立ち上がった。

 「付き添うわ」真理も続く。

 「俺たちは先に商店街回って説明してくるか」と知樹。

 「うん、私も行く!」梨絵が元気に跳ねる。

 「じゃ、SNS部隊は俺がやっとく」智がサムズアップする。

 「……ありがとうございます」雄太がまた、静かに頭を下げた。

 そして皆は、それぞれの役割へと散っていった。


 午後一時、商店街のあちこちでは梨絵と知樹が、すでに精力的に動いていた。八百屋の店先、クリーニング店の受付、魚屋の裏手、昔から町を支えてきた人々の顔ぶれが並ぶ。

 「そりゃあ、私たちも最初はちょっと心配だったけどさ」八百屋のおばちゃんが言った。「でも、あんたたちがちゃんと準備してるのは見てるもんよ。応援してるからね」

 「ありがとうございます!」梨絵が深く頭を下げる。

 「くだらん怪文書に踊らされてるヒマはないさ」と魚屋の大将が腕を組む。「わしらは、あの倉庫が見事に生まれ変わるのを楽しみにしとるんじゃ」

 「嬉しいです……本当にありがとうございます」知樹も深々と頭を下げた。

 「にしても……」クリーニング店の奥さんが少し悪戯っぽく微笑んだ。「雄太くん、あれだけ働き者で誠実そうで……それでもあんな噂が出るなんて、ほんと不思議よねえ」

 「そうなんですよ!」梨絵が力強く言った。「“魔性の男”って呼ばれてるくらいですけど、でも本人は全然無自覚で!」

 「ふふふ、無自覚ってところがまた罪なのよ」奥さんたちは笑い合った。

 「でもね、町の誰が見たって分かるわよ。あの子は真っ直ぐだって」

 その言葉が、また知樹と梨絵の胸を温かくした。

 商店街の空気は確実に落ち着きを取り戻しつつあった。噂話が一気に広がるのと同じくらい、こうして丁寧に説明を重ねていけば沈静化も早い。

 (――皆の絆が、ちゃんと町に根付いてきてる)

 梨絵は嬉しさで胸がいっぱいになりながら、さらに次の店へと駆け出した。


そのころ、町内放送センターでは、優愛と真理が録音作業を進めていた。

 「町内の皆さまへお知らせです。本日、商店街掲示板に貼られた匿名の怪文書について、一部の誤解が広がっております。正式に申し上げますと、現在進行中の“レター・フェスティバル”計画は町議会・自治会・商店街が正式に承認し進めている企画であり、私的な不正は一切ございません……」

 優愛の落ち着いたナレーションが流れる。事実だけを端的に、冷静に伝える文言だった。

 「……以上、ご理解とご協力をお願い申し上げます」

 録音を終えた優愛が、ふうっと息を吐く。「……大丈夫だったかしら?」

 「完璧よ」真理が自信たっぷりに頷く。「感情を抑えた語り口が、逆に説得力を生むわ」

 「ありがとう」優愛が微笑む。

 (でも――)

 心の中では、ほんの少しだけ胸が痛んでいた。

 (こうして人の善意を信じて動けるのも、今はまだ少数なのよね)

 だが、真理がそんな優愛の肩を軽く叩いた。

 「大丈夫よ。この町は変わり始めてる。少なくとも、私たちはその中心にいるわ」

 その言葉に優愛は顔を上げ、そっと微笑んだ。


 一方、智は商店街の事務所に籠もり、パソコンの画面を睨んでいた。SNS上の町内コミュニティ掲示板、地元掲示板アプリ、匿名投稿サイト……ありとあらゆる情報網を監視している。

 「……ふむ。怪文書の写真付き投稿が数件。でも想像より拡散は抑えられてるな」

 智は冷静に分析しながら、即座にカウンター投稿を用意する。

 《本日掲示された匿名文書は事実無根であると、町内放送でも公式発表済み。町議会・自治会承認の正規事業としてフェスティバルは進行中です。詳細は商店街掲示板をご覧ください》

 投稿ボタンを押した瞬間、安堵と緊張が入り混じる感覚が全身を駆け巡った。

 「……さあ、これで広がるか収まるか、勝負だな」

 SNSは怖い。だが、正しい情報を素早く丁寧に出し続ければ、必ず空気は変えられると信じていた。

 ふと、画面のコメント欄に新しい書き込みが増え始めた。

 《雄太くん、いつも朝から晩まで働いてるの見てるよ!》

 《倉庫の修復、大変そうだけど楽しそうにやってた》

 《あんな誠実そうな子を疑う人の方がどうかしてる》

 地元住民からの温かい声が次々に書き込まれていく。

 「……よし!」

 智は思わずガッツポーズを作った。

 (やっぱり、ちゃんと見てくれてる人はいるんだ)

 心の底から安堵と喜びが込み上げる。この町の住民たちの善意が、少しずつだが噂の火種を消し始めていた。

 その時、扉が開き、知樹と梨絵が戻ってきた。

 「こっちも順調だぞ!」知樹が満面の笑みを浮かべる。

 「みんなちゃんとわかってくれてるよ!」梨絵も頷く。

 「SNSも順調に味方が増えてる」智が誇らしげに報告する。

 「これで大方の火消しは終わったわね」と真理も追って事務所に戻ってきた。

 「お疲れさま。町内放送も予定通り流れたわ」優愛も安堵の表情を浮かべた。

 そこに、最後にゆっくりと雄太が入ってきた。

 「……皆さん、本当にありがとうございます」

 「また出た!」知樹が笑う。「“魔性の感謝力”発動!」

 「でもほんと、雄太くんが静かに感謝してくれると、私たちも“もっと頑張ろう!”って思っちゃうのよね」真理が柔らかく笑った。

 「私も、胸がぽかぽかする!」梨絵がにっこり。

 「うん。こうしてると、この町がもっと好きになるよな」智も素直に言葉を継いだ。

 静かな達成感に包まれながら、6人はまた一歩、結束を強めていった。


 夕暮れ時、商店街の裏通りを6人はゆっくりと歩いていた。夕日が低く差し込み、長く伸びた影が石畳に重なる。

 「……今回、ほんとに危なかったわね」と優愛がぽつりと呟いた。

 「でも、みんなで動いたから乗り越えられたんだよ!」梨絵が元気に応じる。

 「最初に怪文書を見た時は、正直冷や汗かいたけどな」知樹が苦笑する。

 「情報操作って怖いものね……冷静に潰していかなかったら、ほんとに悪評が定着してたかもしれない」と真理が少し真剣に言った。

 「でもこういう時こそ、人の本性も見えるな」智が柔らかく続ける。「俺、今回改めて町の人たちの優しさに救われた感じだよ」

 優愛は静かにうなずく。

 「確かにね。昔から地元で支えてくれてる人たちは、案外こういう陰湿な噂を見抜く目があるのよ」

 「それに、“雄太くんの人柄”が守ってくれた部分もあるわよ」真理が静かに微笑んだ。

 「……え? 僕ですか?」雄太は、やはりどこまでも無自覚だ。

 「そう! そこがまた魔性!」梨絵が得意げに指を立てた。

 「お前が静かに真面目に働いてる姿を、みんな見てるんだよ」知樹が肩をすくめる。「普段の積み重ねって、こういう時に効いてくるんだな」

 「まさに“無自覚な信頼残高”だよな」智が面白そうに言った。

 「……ありがとうございます」雄太はまた、素直に頭を下げる。

 「出た、魔性の感謝力・追加ポイント」真理が笑った。

 6人の笑い声が柔らかく重なり、夕暮れの静かな通りに溶けていく。

 その時だった。少し離れた路地の角に、何やら背中を丸めて隠れている人影があった。6人は目を合わせ、そっと視線を向ける。

 「……あれは?」優愛が低く声を落とした。

 「怪文書の張り主……かもしれないわね」と真理が鋭く目を細めた。

 知樹が動こうとしたが、智が肩を押さえた。

 「待て。下手に追い詰めると逆効果だ」

 雄太は、ただ静かにその影を見つめていた。逃げるように小走りに去っていく背中に、彼は淡々と呟いた。

 「……誰であっても、傷つく人が出るのは悲しいです」

 その穏やかな声に、全員の胸がまたじんわりと熱くなる。

 (――こういう時にも怒りより“悲しみ”が先に来るのが、この人なのね)

 優愛はそっと心の中で呟いた。


 夜になり、商店街の集会所に6人は最後の確認のため再集結していた。窓の外には静かな港の灯りが揺れている。

 「今回の件、ひとまず収束方向で間違いないわね」真理が整理する。

 「町内放送の効果もあったし、商店街の人たちも理解してくれた」と優愛が微笑む。

 「SNSももう拡散は止まった。逆に擁護のコメントが増えてるくらいだよ」智が誇らしげに言った。

 「俺たち、なかなか良いチームじゃねえか?」知樹が肩をすくめる。

 「うん! ほんと、すごくいいチームだよ!」梨絵が両手で丸を作って嬉しそうに跳ねた。

 そして自然と全員の視線が雄太に集まる。

 雄太はゆっくりと皆を見回し、静かに言葉を紡いだ。

 「……皆さんが力を合わせて動いてくださったから、ここまで乗り越えられました。本当にありがとうございます」

 またしても、その素朴な感謝が皆の胸を温かく満たす。

 「ほんと、どこまで魔性なのよ、あなたは」真理が冗談めかしてため息をつく。

 「“魔性の男”もここまでくると、もはや安心材料だな」知樹が笑った。

 「でもね……」優愛がゆっくりと言葉を紡いだ。「私は、こういう騒動が起きたことで、むしろ確信が強まったの。私たちはこの町にとって必要な動きをしてるって」

 「うん!」梨絵が大きく頷く。「たくさんの人が応援してくれてるもん!」

 「ならばもう迷わず、フェスティバル成功に向けて進むのみだな」智が腕を組んで宣言した。

 雄太は静かに、その言葉に頷いた。

 「……必ず、成功させましょう」

 静かな決意がその場を包んだ。これまで以上に6人の結束は固くなった。その中心には、やはり“魔性の男”・雄太の静かな存在感が揺るぎなく立っていた。

 窓の外には、満天の星空が穏やかに輝いていた。レター・フェスティバル本番まで、残された日々は少しずつ、確実に近づいていく――。


第7話 完



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