第15話 戯れの懺悔と決断

アーデルは一人ひとり、家の火床の前で、怒りにまかせて麦がゆを頬張っていた。

どろりとしたそれは、喉を通るたびに胸の奥で重くよどみ、彼女の苛立いらだちを一層募らせる。

ミーナが姿を消してから、もうどれくらいの時間がっただろう。

すぐにでも探しに行きたい衝動に駆られたが、カスパの冷酷な言葉が脳裏をよぎる。


「お前は自分の役割を続けろ。従わなければ異端告発だ」


その声は、まるで呪文のようにアーデルを縛りつけ、身動きが取れないままでいた。

自分はどうなってもいい。

どんな目に遭わされても構わない。

だが、ミーナまで巻き込むカスパだけは、絶対に許せない。


「カスパのやつ、本当になに考えてんだ。おかあさんに何かあったら……どうしよう。そうだ、アイアン・メイデンの刑だ」


鋼鉄の処女――アイアン・メイデン

中世の拷問器具。一般にそう言われがちだが、実際には近世に観光用に作られた物であり、暗黒中世を揶揄やゆする贋作がんさくであった。

しかし、アーデルは考証に興味はなく、思いつく限りの残酷な刑を口に出すことで、どうしようもない怒りを鎮めようとしていた。

口の中の麦粥が、じゃり、と音を立てる。

めるたびに、砂を噛むような不快感が広がった。

森の奥からは、時折、ミーナを呼ぶ捜索隊の声が聞こえてくる。

それは、カスパの指示によるものだろう。

本気で探していることがアーデルにも伝わってくる。


「一応真面目まじめに探しているのか。切り札減ったらジョーカーが暴れ出すよ。傷つけないようにカードを探しなよ」


まるで自分をジョーカーに例えるかのように、アーデルは小さくつぶやいた。

その声音には怒りよりも、どこか冷めた嘲りと、自分自身への苦笑が混じっていた。

ミーナを“札”にたとえたのは、自分を道具のままでいさせるための皮肉だ。

本当は、ミーナは誰の切り札でもなく、誰にも支配されない、ただそこにいてくれる存在。

だからこそ、失いたくない。カードを探しているのではない。

家族を、母を、命のよりどころを取り戻したいだけだ。


アーデルはそれを笑いに紛らわせるしかなかった。

だが、ジョーカーにされた者が本当に大切なもののために動き出すとき――それは、静かで、確実な決意となる。


アーデルは味気ない麦粥を頬張った。


ミーナの本心をカスパに暴かれても、アーデルは動じなかった。

死んだ子の代わりだと思われていたことも、はじめから察していた。

だが、だからといって、ミーナの愛が偽りだったとは思わなかった。

たとえ過去の影を重ねられていたとしても、自分が受けたぬくもりは本物だった。

だからこそ――それでいいのだと、彼女はもうれていた。


気にするべきは、ただミーナの無事。それだけ。

事情も、信仰も、過去の重荷も、どうでもいい。会って話せば、すべて元に戻る。

アーデルは、そう確信していた。


彼女が出現した洞窟も徹底的に捜索されたらしいが、ミーナは見つからぬまま、空は茜色あかねいろに染まり、やがて群青へと深く沈んでいく。

日は落ち始めた。

ヴァルトたちが労働奉仕から帰ってくる時分だ。

このままではヴァルトにも心配をかけてしまう。

やはり、自分が探しに行かねば。

しかし、どこを探せばいい? 

アーデルは、もういてもたってもいられず、麦粥の入ったわんを乱暴に置くと、家を飛び出した。

カスパたち平等会議に見つからないよう、また村人からの密告を避けるように、家々の影を縫うようにして辺りを探す。


「出たはいいけど、どこ探そう。森にいるなら時間の問題だし、わたし一人増えても足しにならない」


途方に暮れて立ち止まる。

ほかに思い当たる場所はなかった。

洗濯の川や広場の井戸なども頭をよぎったが、そんな誰もが容易に見つけられる場所にミーナがいるはずがないと、すぐに判断した。

その時、アーデルはふと、広場の端にひっそりとたたずむ小さな礼拝小屋の存在を思い出した。

先月の聖体祭儀の時以来、ずっと足を踏み入れていない場所だ。


「そうだ。あそこかも。助祭様……レオヴィヌスさんの時行ったきりだけど」


日が完全に落ち、捜索隊も手ぶらで引き上げていく。

闇に包まれた村の中で、礼拝小屋だけが、どこか別世界の入り口のようにぽつんと建っていた。

アーデルは、用心深くあたりを見回しながら、きしむ音を立てないようにそっと扉を開けた。

明かりは、もはや窓から差し込むわずかな光のみ。

それもみるみるうちに弱まり、小屋の中は深い陰影に包まれていく。

奥まった場所にある祭壇の前に、ミーナがひざまずいていた。

その背中は小さく丸まり、静かに祈りをささげている。

誰にも聞かれない、彼女だけの「無言の告解」のようだった。

アーデルの足音が、静寂を破った。

ミーナは振り返ることなく、それがアーデルだと分かっていたかのように、ただ静かに、祈り続けていた。

礼拝小屋に満ちる宵闇の中で、ミーナの震える声が響いた。


「アーデル、ごめんなさい。私が愚かだった」


深く、深い後悔がんだその声に、アーデルはかける言葉が見つからず、ただ見守るしかなかった。

ミーナは、膝を抱えるようにして顔を伏せ、肩を震わせている。


「最初にあなたに会えた時、ほんの少しだけ、死んだ子が帰ってくれたと思ったの」


ミーナの言葉は、アーデルの胸を締め付けた。

亡くなった娘への深い愛情と、それがアーデルに向けられた複雑な感情。

その言葉の奥底には、計り知れないかなしみが横たわっていることが、アーデルには痛いほど理解できた。

ミーナは続けた。

「司祭様からは、『死者はよみがえらない。だが、祈れば返事が来る。それを待ちなさい』と」

その言葉に、ミーナは救いを見出していたのだ。

祈りが通じ、娘が、形を変えて帰ってきてくれたのだと、純粋に信じていた。

その信仰が、彼女を支え、絶望のふちから救い上げていた。だが、今は違う。


「けど……あなたは、あなたよ」


ミーナの声に、確かな力が宿っていた。

それは、娘の面影をアーデルに重ねていた過去から、アーデルという個人を、今、この場で真正面から見つめようとする、ミーナ自身の決意の表れだった。

アーデルは、ミーナが抱えていた哀しみの深さ、そして、宗教がミーナを救っていた根源を理解した。

それは、彼女の想像以上に深く、純粋な信仰心だったのだ。


「信じてなんて、いまさら言えない。けど、言わせて。死んだ子と同じ様に、あなた自身を愛していた」


ミーナの告白に、アーデルの瞳には熱いものが込み上げた。

込み上げてくる涙をこたえ、アーデルは、ミーナの背中に手を伸ばした。


「それは感じていたよ。お母さん」


アーデルはあえて「お母さん」という言葉を使い続けた。

それは、二人ふたりの間に変わらぬ信頼があることの確かなあかしだった。

その言葉が、ミーナの心の奥深くに、温かい光をともしたのを感じた。


「お母さんとおとうさんと一緒に暮らして、“ああ、前の子は愛されていたんだな”って、安心してた」


アーデルは、ミーナとヴァルトの愛情が本物であること、そして自分も同じように愛されていると感じていたことを伝えた。

言葉を選びながら、ゆっくりと紡ぎ出す。


「そして、同じ様に愛されているんだな、とも感じていたよ。うまく言えないけど、身代わりじゃなくて、別々で、でも一緒みたいな」


アーデルの言葉に、ミーナはかすかに微笑ほほえんだ。

それは、長年重くのしかかっていた心のしこりが、解けていくような、安堵あんどに満ちた微笑みだった。

アーデルはミーナの手をそっと握り、続けた。


「二人姉妹みたいなもんかな? 会ったことないけど、家にずっといるんだなって、そう感じていたよ」


礼拝小屋に、二人の心が通じ合う、温かい静寂が満ちた。

それは、薄暗い小屋の中に差し込む、希望の光のようだった。

二人の間に横たわっていた見えない壁が、この告白と受容の瞬間に、静かに、そして確かに崩れ去った。


ミーナはアーデルの言葉に、これまでの心の重荷が溶けていくのを感じた。

凝り固まっていた心が、春の雪解けのようにじんわりと温かくなっていく。


「そうね、本当にそう。あなたは、私にとって、もう一人の大切な娘よ」


ミーナはアーデルの手をそっと握った。

その手は冷たかったが、アーデルには温かく感じられた。

二人の間に流れる心地ここちよい静寂は、親子の絆が再び結び直された証のようだった。

だが、アーデルは気恥ずかしさに耐えられず、その静寂を破った。


「あはは。なんか告白聞いてるみたい?」


ミーナも釣られて、くすりと笑う。


「そうね、神さまの前で懺悔ざんげしたみたい」


アーデルは、これまで以上にミーナに尊敬の念を感じた。

この人になら、ミーナになら、すべてを話せる。

そんなおもいがよぎった。

誰にも打ち明けられない、あの秘密すら、今ならさらけ出してしまいたい気持ちになった。


「じゃあ私も懺悔しよっかな。お母さんが司祭様の役ね」


アーデルの言葉に、ミーナは優しく微笑んだ。

その眼差まなざしは、慈愛に満ちていた。

アーデルは、何の躊躇ためらいもなくミーナの前にひざまずいた。

作法は全くわからない。

だが、ただ純粋な気持ちに従い、両の手を組み、静かに胸にあてがった。

その姿は、まるで昔からそうあるべき儀式の一部であるかのように、自然に、そして神聖に見えた。


「わかったわ。『神の御名において、全てを告白なさい』」


それは、教会の厳粛な秘跡である告解において、司祭のみに許された聖なる言葉であった。

一般信徒がその役割を演じることは、教義上、重大な禁忌とされていた。

だが、信仰のみが厚く、教義の細部に疎いミーナと、信仰すら距離を置くアーデルの、児戯にも似た二人だけの、ひそやかな誓いであった。


この小屋の闇が深まり、二人の間に特別な空間を紡ぎ出す。

アーデルは、穏やかに、最も深く秘めていた言葉を口にした。


「私ね、本当は別の世界から来た生まれ変わりなの」


その衝撃的な告白に、ミーナの胸に一瞬、驚きが走った。

しかし、彼女は決して表情を変えなかった。

それどころか、いつもと同じ、慈愛に満ちた笑顔を絶やさずに、アーデルの言葉をじっと受け止めていた。

その穏やかな眼差しは、どんな荒唐無稽な話であっても、すべてを受け入れるという、ミーナの揺るぎない愛情の証だった。

その深い受容の眼差しに、アーデルは、語り続けるための確かな勇気を与えられた。

ミーナならば、きっと、この信じがたい真実をも、丸ごと受け止めてくれると確信できたからだ。


「その世界は、子供はめったに死ななくて、病気もほとんど治してくれて、殺されることも珍しいの。身の回りの悪いことは、せいぜい泥棒くらいだった」


アーデルは、自らの前世の記憶を一つ一つ辿たどり、言葉として紡ぎ出すたびに、その世界の輪郭が、彼女自身の脳裏にも一層鮮明に浮かび上がった。

それは、今この身を置く、死と隣り合わせの過酷な現実とは全く対極にある、まるで絵本の中の物語のような世界。

しかし、それは決して絵空事などではなかった。

そこには、幼い命が理不尽に奪われることも、病が蔓延まんえんして人々がなすすべなく死にゆくことも、他者によって命を奪われる恐怖も、ほとんど存在しなかった。

ただ、極まれに、誰かのものを奪うという、この世界からすれば些細ささいとも思える悪があるのみ。

語れば語るほど、その世界がいかに穏やかで、安全で、そして想像を絶するほどの「ユートピア」であったかという事実に、アーデル自身が改めて深く気付かされるのだった。

その記憶の重みと、今いる世界の現実とのあまりにも大きな乖離かいりが、彼女の胸を締め付けた。


「誰でもがんばればなりたい者になれて、国の王様にだってなれる可能性がある。平民が王様を選ぶの。奴隷も貴族もいない世界」


アーデルは、改めてこの制度社会のしがらみを痛感した。

「なりたい者になれる」前世であっても、実際にそれを実現できる者は多くはない。

だが、その可能性が、何よりも確かな希望として、人々の胸に息づいていたのだ。

民主主義における国家元首の座は、誰もが容易につかめるものではない。

しかし、その地位を得た者は、己の意思と努力で道を切りひらいたのだ。

それは運命や血統に縛られることのない、紛れもない実力の証だった。


「罰で死ぬこともないの。弱い者は、いつでも誰かに助けてもらえる。税は払うけれど、お金持ちほどたくさん出して、その分、困っている人が使える仕組みなの」


ミーナに理解しやすいよう、アーデルは平易な言葉を選びながら語った。

そうするうちに、改めて前世の社会がいかに手厚い福利厚生を備えていたかを痛感する。

税金が、単に権力者の懐を肥やすだけでなく、弱い者を守り、社会全体に還元される仕組み――

その「税の還元率」こそが、今この身を置く世界との決定的な、そしてあまりにも隔絶した違いだった。


なぜなら、この世界では、弱者ほど多くを搾取され、強者ほど多くの恩恵に浴しているのだから。

アーデルの胸に、その不条理が改めて重くのしかかった。


「戦争はあるけど、私の国はしばらく起きていないんだ。その世界のパパも、戦争を見たことがないって。大勢が殺し合うことのない国だったの」


この世界はあまりにもその対極にあった。

遠征重軍による強制徴用、諸侯の軍役、盗賊の跋扈ばっこ、そして疫病と飢餓。

生と死の境は曖昧で、常に死の影が人々にまとっていた。

アーデル自身、この村に足を踏み入れてわずか初日に、冷たくなった遺体を目撃した。

そして、村人たちは皆、それを何の感情も見せずに、まるで日常の営みのように埋葬する。

この世界では、死はあまりにもありふれた、避けがたい現実だったのだ。


「餓死なんてないの。誰でも病気を治してくれるの。疫病になってもたいてい治る。切れた足だってつながる時もある。そして、皆、年老いて、家族に見守られながら、静かに一生を終えるのよ」


ミーナは、その言葉一つ一つに、これまで自身が知る世界の全てが揺らぐような衝撃を受けた。

そんなユートピアは、これまで伝え聞いたどんな物語や伝説の中にも存在しなかった。

神罰が容赦なく降り注ぎ、災厄が人々を苦しめ、誰もが常に死と隣り合わせで生きてきた、それがミーナの知る世界だったのだ。

だが、目の前で懺悔する我が子の言葉は、あまりにも現実離れしていながら、紛れもない真実の響きを帯びていた。

その一点の曇りもないまっすぐな瞳が、彼女の語る異世界の夢が、決してうそではないことを雄弁に物語っていたのだ。

承知いたしました。ご依頼の通り、地の文を厚くし、感動的な描写に焦点を当てて推敲すいこうします。


「私はそんな世界で暮らしていたんだけど、たまたま死んじゃって、この世界に来たの。知らない子の体を借りて、知らない人の子供になったの」


アーデルは、自身の途方もない物語を、まるで幼い子どもに読み聞かせる絵本のように、優しく、しかし確かな声で締めくくった。

彼女自身、前世の話をしていく間に、あまりにおとぎ話のように感じていた。

目の前の過酷な現実こそが確固たるものであり、はる彼方かなたの世界は、いつか見た夢物語に過ぎないのではないかとさえ思っていたのだ。

だが、今、ミーナに語り聞かせることで、その夢が確かに存在した現実であったことを改めて実感する。

彼女の瞳の奥には、遠い記憶の光と、今ここにいる現実への深い感謝が、揺らめいているかのようだった。


「そうして、『その子供は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ』って、続くんだ」


その言葉が紡ぎ出された瞬間、ミーナの目からは、とめどなく涙がこぼれ落ちていた。

それは、この苛烈な世界への恨みでも、アーデルが語る輝かしい異世界への羨望でもなかった。

ただ、胸の奥から湧き上がる温かいものが、止めようもなく頬を伝い落ちていったのだ。


今、目の前でひざまずくこの小さな子が、ユートピアを捨て、どれほどの秘密を抱えて、この場所、この家族と共に過ごしたのか。

その想像を絶する事実に、ミーナの胸は締め付けられ、深い、深い感動が彼女の全身を駆け巡った。

ミーナの心は、計り知れないほどのいとおしさで満たされていく。


「そうだなー。もし神さまがもう一度、どっちの世界か選ばせてくれるなら――」


アーデルは、その潤んだ瞳でミーナの目を見つめ返した。

その言葉は、一切の迷いもなく、まっすぐに、そして真剣に、ミーナの心に届けられた。


「断然こっちだね。お母さんとお父さんがいるから」


その瞬間、ミーナの胸に、かつてないほどの熱いものが込み上げてきた。

長年、心の奥底に沈み、重くのしかかっていた哀しみや、失われた娘への複雑な思いが、まるで一瞬にして昇華していくようだった。


「アーデル……」


ミーナの声は、感謝と、愛情と、そして何よりも深い安堵に震えていた。

その瞳には、今まで経験したことのない、純粋で、温かな光が満ちていた。

過去の傷がえ、未来への希望が、確かにその光の中に息づいている。


「これからも、家族四人で仲良く暮らそうよ」


アーデルのその言葉は、ミーナにとって、亡き娘をアーデルに重ねていた過去の心の重荷を、完全に肯定し、そしてゆるす、最高の言霊となった。

アーデル自身は、たとえミーナが心のどこかで亡き娘と自分を同一視していたとしても、それは一向に構わなかった。

ただ、ミーナの心の重荷が少しでも軽くなってくれるのなら、それだけで良かったのだ。

そこには、何の打算もない、ただただミーナを想う、純粋な、限りない愛情しかなかった。


「そうね。みんなで仲良く暮らしましょう」


ミーナは、ただその一言をこたえるのみであった。

しかし、その声には、長年彼女の心を縛っていた過去への静かな訣別けつべつと、未来へと確かに踏み出す決意が、深く、深く込められていた。

それは、ミーナの心に、そしてこの家族に、闇を照らす新たな希望の光を灯す、かけがえのない誓いの言葉となった。


礼拝小屋の薄闇は、二人を優しく、そして神聖に包み込んでいた。

そこには、古き哀しみが静かに解き放たれ、全てを包み込むような、新たな始まりの静けさが満ちていた。

この場で、二人の間に確かな絆が生まれ、それはどんな嵐にも揺るがない、強固なものとして、二人の心に深く根を下ろしたのだ。

血の繋がりを超え、魂で結びついた、まごうことなき家族の絆が。


すっかり夜はふけ、村の家々では、火床の明かりだけが、遠くからかすかに光を灯していた。

アーデルとミーナは、互いの手の温もりを確かめるように優しく手をつなぎ、その小さな光を目指して、いつもの家へと歩み始めた。

その足取りは、もう何一つ迷うことのない、確かなものだった。


*


「お父さん、心配してなかった?」


アーデルはわざといじわるそうに聞いた。

その言葉の裏には、ヴァルトの不器用な優しさを知っているからこその、甘えにも似た気持ちが込められていた。

ヴァルトは少し不貞腐ふてくされたように、憮然ぶぜんとして答える。


「ミーナを探してたんだろう。仕方がない。だが、ふたりとも無事で良かった。それだけだ」


そう言うと、ちぎった硬いパンを無造作にスープに浸し、口に放り込んだ。

言葉とは裏腹に、その大きな肩からは明らかな安堵が滲みていた。

アーデルとミーナは目配せをし、くすくすと顔を見合わせて笑った。

この火床に、これほど暖かく、穏やかな空気が戻ってきたのは、いつぶりだろうか。

凍りついていた心が、ゆっくりと溶けていくような、そんな時間だった。


「ねぇヴァルト、実は礼拝小屋でね、アーデルからすごいこと聞いたの」


ミーナが口火を切ると、アーデルは、戸惑いを覚えた。

遊びではあったが、それはアーデル自身の秘事中の秘事。

前世の、そして異世界から来たという、誰にも打ち明けていない真実だった。

もちろんヴァルト相手なら問題ない。

そう頭では理解していても、大切な秘密をあっさり打ち明けられることに、わずかな引っかかりを感じてしまったのだ。


ミーナはアーデルの微かな戸惑いを察したが、構わず、いや、むしろその戸惑いを解きほぐすかのように、温かく続けた。


「実はね、私が前の子のこと気にしてた事、アーデルは最初から気づいていたって。なんだかおかしくなっちゃった」


アーデルは苦笑いを浮かべた。

心のどこかで、転生の秘密を勝手に話してしまうのではないかと、わずかでも疑ってしまった自分が恥ずかしくなった。

ミーナは、あの「ごっこ遊び」であっても、真剣に、そして真摯にアーデルと向き合ってくれていたのだ。

それを信じきれていなかった自身の心が、嫌になってしまった。


「そうか、やはりわかっていたか」


ヴァルトはそう言うと、持っていたスープの皿を静かに火床の傍らに置いた。

熱い湯気を立てるスープは、彼の中の何かを温めるように見えた。

ヴァルトは薪で火床の火を軽く直し、ゆっくりとアーデルに向き直った。

その大きな体から、いつもとは違う、どこか真剣な空気が漂う。


「ならば、俺からも言いたいことがある。俺も前の子のことは後悔していた」


ヴァルトの言葉は、重く、しかし揺るぎない響きを持っていた。

アーデルは息をのんだ。


「女の子が育つにつれ、どうやって相手にしたらいいかわからなかった。何を話せばいいのか、どう接すればいいのか……その結果、距離を置いてしまって、ミーナにまかせっきりだった」


ヴァルトの表情には、深い自責の念が浮かんでいた。


「だから、今度はそばにいてやろうと、お前をかばいすぎたのかもしれない。済まなかった」


ヴァルトは、自身の不器用な愛情表現が、かえってアーデルを縛り付けていたのではないかと案じていたのだ。

アーデルは、その言葉に思わず首を横に振った。


「そんなことない。心強かったよ。お父さんが、私を信じて、全力で守ってくれると信じられたから、私も無茶ができたんだ。感謝してるんだよ」


アーデルの言葉は、ヴァルトの心に温かく染み込んだ。

三人の間に、言葉にならない深い理解が生まれた。

互いの不器用な愛情が、今、確かな絆として結ばれる瞬間だった。


ヴァルトは、ほうっと安堵のため息をつき、柔らかな表情になった。


「そう言ってもらえると、救われる。お前は“二度目”の子じゃない。それだけは、わかってほしい」


ヴァルトの言葉には、アーデルをひとりの存在として見つめる、確かな意志が宿っていた。

それは、不器用ながらも誠実な彼なりの告白であり、赦しだった。


ミーナはそっとアーデルの手を取り、微笑んだ。


「そう。二人目の子よ、アーデル」


それは、亡き娘への思いを否定することなく、今ここにいるアーデルへの深い愛を、まっすぐに告げる言葉だった。

アーデルはミーナのぬくもりに、ヴァルトのまなざしに包まれて、自然と頬をほころばせた。


「うん。前のアーデルとは、姉妹みたいなものだって思ってる。そうだなー、重なってると思って。だって……こうして、二人分ふたりぶん食べてるし!」


そう言って、自分のふくらんだおなかをぽんとたたいてみせる。

ふざけた仕草に、ミーナもヴァルトも堪えきれず笑い出した。


火床の火が、静かに揺らいでいる。

ヴァルトは火を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「そうだな……みんな一緒だ」


ミーナも、その言葉を大切そうに繰り返す。


「ええ、一緒ね」


その夜、火床の火は、三人の影をやわらかく映していた。

家族の心が、深く、静かに結び直された、忘れがたい夜だった。


だが、村を覆う恐怖は、それを長く許さなかった。



夜明け前、空にはまだ星の残滓ざんさいが滲んでいた。

静まり返った広場に、奉仕労働に向けて村人たちが集まり始めたその時、

ひときわ鋭い叫びが、その朝の静寂を引き裂いた。


「俺を連れて行くな! 家族を看病できるのは、俺しかいないんだ!」


北の家の男が、二人の村人に両脇をがっちりと掴まれ、地面を引きずられていた。

その声は、懇願と絶望が混じり合い、早朝の冷たい空気に痛々しく響いた。


「頼む、やめてくれ! 誰か、誰か助けてくれ!」


その懇願にも、広場の中心に立つカスパは微動だにしなかった。

むしろ、氷のような声で、男の尊厳を踏みつけるように言い放った。


「泣くなよ。見苦しいぞ。嫁と子どもは一日くらい平気だろ。帰ったころには治ってるさ」


その言葉は、石のように冷たく、男の胸を刺した。

だが、男はなおも抵抗を続け、声を振り絞る。


「ふざけるな! もう、誰も死なせたくないんだ! 頼むから、離してくれ……!」


その叫びには、積もり積もった悲しみと怒りがにじんでいた。

彼はかつて、三人の子どもを病で失っていた――

それが、この村の現実だった。

衛生も栄養も足りず、ほんのわずかな風邪かぜすら、子どもの命を奪っていく。

農村の成人率は、わずか五割。

子どもが死ぬのが当たり前という常識が、この村では静かに、だが確実にまかり通っていた。


アーデルの胸に、怒りがたぎった。

言葉にならないほどの怒りが。


(これが平等? こんなの、ただの見せしめじゃない……!誰の命も軽んじられて、誰のためにもならない。これは、ただ人を黙らせる制度だよ!)


ヴァルトが口を開きかけたその瞬間、

それより早く、普段は控えめなミーナが、鋭く透き通った声を張り上げた。


「私がつきっきりで看病するわ!薬草も最上のものを使うから、任せてちょうだい!」


アーデルは思わず息をんだ。

それは、彼女がこれまで見たことのない、ミーナの姿だった。

静かで、控えめで、誰よりも慎重だったミーナが、今は迷いなく叫んでいた。

その声には、迷いも恐れもなかった。

ただ、守ろうとする意志だけがあった。


だが、その勇気を見ても、周囲の女たちは一歩を踏み出せなかった。


「やめて、ミーナ……私たちまで罰を受けちゃう……」

「そうよ。きっと、なんとかなるから……祈りましょう……」


おびえた声には、平等会議が植えつけた恐怖が染みついていた。

しかし、ミーナは彼女たちを制するように、さらに語気を強めた。


「罰がそんなに怖いの? いいよ、うちが全部払ってやる! 罰麦でも何でも、勝手に持っていきなさい!」


その瞬間、ヴァルトの口元に笑みが浮かんだ。

大きな手で、力強く親指を立てる。

ミーナもまた、不敵に笑って、同じく親指を返す。

その間に、言葉などいらない、深い信頼があった。


アーデルもまた、それに続いて親指を掲げた。

この人が母であることを、誇りに思いながら。


広場の空気が静かに揺れたそのとき、カスパが冷たい視線をアーデルに向け、鼻で笑った。


「おい、アーデル。お前に食わせてる麦は村の資産だぞ? それを三人で食ってたら、不平等だろ?」


カスパの声は、まるでてついた刃のように、アーデルの心臓をえぐった。

アーデルは、怒りに燃える目でカスパを真っ向からにらみつけた。

体中が、彼の理不尽な言葉に対する反発で震えていた。


「そんなこと、一度だってしてない! お父さんも、お母さんも、最初から断ってるよバーカ!」


アーデルの叫びは、その場の張り詰めた空気を切り裂くようだった。

しかし、カスパは、アーデルの激情にも、一切動じることなく、ただ冷淡に告げた。

その表情には、いかなる感情も読み取れない。


「それが本当ならいい。ちゃんと監視はしてるからな。ズルはするなよ」


まるで石のようなその言葉が、アーデルの反論を無意味なものとして跳ね返す。

カスパの視線は、既にアーデルから離れ、引きずられていく男へと向けられていた。


男は、最後の力を振り絞るように、ミーナに向かって叫んだ。


「ミーナ……! 本当にありがとう……! いつか必ず、この恩は返す!」


その声は、広場を離れ、遠く、集団労働の現場へと、絶望と希望がないまぜになった叫びとなって消えていった。

しかし、その残響は、アーデルの胸に深く刻み込まれた。

カスパの支配の冷たさ、そして、ミーナの決断が男にもたらした一縷いちるの光。

朝日は昇り始めていたが、この広場には、まだ暗く重い空気が滞留していた。


*


アーデルは、考え続けていた。

カスパから魔法耕起の割当を受けた時も、雑草に覆われた畑を前にした時も、耕している最中ですらも。


(もう猶予はない。このままでは誰かが死ぬ。病か、過労か、あるいは誰かの手で。だけど本当に恐ろしいのは、誰かが死んでも、止まる保証がないこと。支配が恐怖で成り立つとき、集団はやがて自己破壊に向かう――山岳ベース事件が、それを証明している。今、カスパはその引き金を、確実に引こうとしている)


山岳ベース事件――日本の山奥で起きた悲劇。

それは、閉鎖された山小屋で、過激な思想のもと、仲間同士が凄惨な「総括」と称する粛清を繰り広げた事件。

妊婦を含む約四割が拷問により命を落とし、後の「あさま山荘事件」へと繋がった、歴史的な事件だった。


アーデルの前世時代、父は時々、興味もない本を無理に読ませた。

この事件の記録もそうだった。最初はうんざりしていたが、気づけば最後まで読んでいた。

言葉が暴力になり、誰も止められなくなる恐ろしさ――

それは今、目の前で起きつつあることと酷似していた。


(どうしたらいい。みんな、この先の悲劇を予感している。でも予想しているのは私だけ……考えなきゃ)


連日の魔法耕起で、彼女の腕は確実に上がっていた。

いまでは、土の気配だけを頼りに、最小限の魔力で最大の効果を引き出せるまでなった。

作業はほとんど反射の域に入り、意識は別の場所を漂っていた。


(どんな方法がある? 暗殺? 説得? 革命? 何か他に、カスパの権威を失墜させる方法はないの? 暴力ではなく、彼の統治の矛盾を暴き、村人たちの目を覚まさせる方法は。外部に助けを求めることはできない? 村の中でもいい。誰かがこの空気を終わらせられないの?)


胃腸はすでに朝の食事を消化し終えていた。

魔法の発火以来、何度も酷使されてきたその内臓は、黙々と燃料を処理し続けている。

だが、今はもう、耕しながらチーズをかじることすら許されていなかった。

それもまた、平等会議の“決定”の一つだった。


(レオン、相談したい……カスパが意図的に私から遠ざけている。アンドレ……私のこと嫌いみたいだけど、村のことをよく考えているはず……でも、村の教義や信仰について考えているだけ? 少しはまともな感じがした――だからか……アンドレも姿を見ないってことは、レオンと同じ、作為的な孤立状態なんだ。意見を言いたくても、まだ事件が起きてないから動けない。けど、起きてからじゃ遅いんだよ……)


遮るもののない畑に、風が吹きすさぶ。

最近では、筋肉の衰えさえ自覚するようになっていた。

不意の強風にあおられ、アーデルの身体はわずかによろめく。

それでも、彼女は黙って作業を続けた。


(カスパを排除する。それが最も直接的な解決策に見える。でも、どうやって? それに、もし実行したとして、私はどうなる? 警察も法律もないこの世界で、『殺人者』として生きる? カスパを排除して、この村の根本的な問題は解決する? 彼の思想が、やり方が、村人たちの心に深く根を下ろしていたら? 第二のカスパが現れるだけ?)


作業を終えて帰路につく。

道中、村人たちが目を伏せながら洗濯や水路掃除、草取りにいそしんでいた。

子供たちも混じっている。

除草された部分と、まだ手のついていない範囲は、地面の色で明確に区切られていた。


(この村の問題は、カスパ個人の暴走だけではない。いや、カスパは結果であって、原因ではないかもしれない。本当の問題は、村人たちの心に深く根付いた『恐怖』と『諦め』だ。カスパは、それらを巧みに利用しているだけ。だから、カスパを排除したところで、根本的な解決にはならない。村人たちの心が変わらなければ、畑の雑草を抜いても、また生えるだけだ)


家では、朝から煮続けた麦粥が出迎える。

弱火で温め続けた鍋はすでに底が焦げ始めていた。

アーデルはいつものように、こびりついた焦げをこそげ取り、かき混ぜてから、まずその部分から食べはじめた。


(説得……それが理想だ。カスパと話し合い、彼の『秩序』が村を破滅に導いていると理解させる。でも、今朝けさの彼の態度。絶望的だ。彼は自分の手の中に村があると思い込んでいる。恐怖をエスカレートさせ、全てをコントロールできると。そんな相手に、理性的な話し合いが通じるはずがない。まるで壁に向かって話すようだ――それでも、試すべきなの? もし、わずかでも可能性があるのなら、そこにけるべき? 何か交渉材料はある? 魔法耕起すら『なくてもなんとかなる』と言っている)


ささやかな塩味が、粘りのある粥にじんわりと染みている。

食べ物というより、燃料だった。

それでもアーデルは、ひと言もこぼさず、黙々と口に運び続けた。


(私の武器は、機械的な魔法、曖昧な前世の知識、それだけ。これでどうやってカスパを倒す?――演説なんてしたことない。名言なんて覚えてないよ。魔法でできることは、トラクターと放水だけ。他の魔法の可能性なんか試せる余裕はなかった。仮に体力があっても、目立ちすぎる。公園で手品の練習をするようなものだよ)


入口の大麻布が、かすかに揺れる。誰かがのぞいている。

それはもう、毎日のことになっていた。

やましいところは何もない。

だが、その視線は、耳元にまとわりつく虫のように、彼女をじわじわとむしばんだ。


(助けを求めるのはどうだろう。この村は閉鎖的だ。だけど、完全に孤立しているわけではない。外の世界がある。状況を外部に伝え、協力を仰ぐ? でも修道院も領主の場所、方角すらわからない。頼っていいものかすら……首謀者と原因の私を処刑して終わりとかは困る――外世界の人物、助祭様しか知らない。彼がまた来た時、私が助けを求めたらどうなる? レオヴィヌスさんは優し過ぎる。諭して終わりなら、後で私か、両親が殺されるかも)


夜、ヴァルトとミーナが戻った。

ミーナは少し顔色がよくなっていた。看病の甲斐かいがあったのだろう。

アーデルはうなずいてみせたが、思考の奔流を止めることはなかった。


(革命? 熱く語ることなんてやったことがない。付け焼き刃で人の心を動かすなんて……そもそも、歴史上の革命はどうやって起きたの? 教科書ではその年号と共に一瞬で描かれるけど、そこに至るまでには、きっと長い年月と積もった不満があったはず――そう、ポップコーンのように。はじけた瞬間だけを真似まねしても、無理なんだ……”アラブの春”、ジャスミン革命か。青年が警官の横暴に抗議して、焼身自殺をした。同じ不満を持っていた民衆が、ネットでその動画を見て、瞬く間に広がった。各国の独裁政権で暴動が起き、政変が連鎖した。熱気、熱量、魔法発火、火刑に焼身自殺。……これが“え展開”ってやつかな。)


やがてアーデルは先に床についた。

深夜からは火の番の当番だ。

目を閉じ、静かに、次の思考へと身を沈めていく。


(私が消えれば、それで犠牲になったことにできるかもしれない。“消えた”という事実が、みんなの恐怖を冷ますかもしれない。「もうこれ以上、何かを失いたくない」「争いの原因の魔法がなくなった」って――カスパがおかしくなった原因、ゼバスチャン一家の夜逃げ……あれをカスパが思い出してくれれば、恐怖政治も止めるかも。三つのうちどれかになってくれれば、死人が出る前に、元の村に戻れるかもしれない。……できれば村の一員として暮らしたかった。魔法を出す前、掴み麦でお礼が済む素朴な村の仲間に)


眠れぬまま時間が過ぎ、肩を軽く揺すられる。

ミーナだ。

アーデルは静かに起き上がり、場所を譲る。

炉の傍らで火の番に入る。


壁際に積まれた薪から、太めのものを選んだ。

早く燃えすぎないように、まだ火が起きないように、灰の奥深くに差し入れる。

それでも、白い煙が立ちのぼり、目をかすかに刺した。


(おかあさん、昨日きのうの夜、話してくれてうれしかったよ。本当の親子になれた気がした。)


ミーナは早々と眠りについた。いろんなことが起こった今日きょう、彼女は満足して眠りについた。


(お父さんも、そばにいてくれて、守ってくれてありがとう。朝の二人、とてもかっこよかったな……できれば、これからも一緒にいたかった。)


ヴァルトも、日々の強制的な労働奉仕で疲れ切っていた。寝息をたて、起きる様子はなかった。


(いつか、お父さんにも話したかった。けど、きっとお母さんが黙っててくれる。ううん、きっと懺悔の秘密として、ずっと胸の中にしまってくれるよね。)


二人は長い間、二人で居続けた。哀しい出来事もあったが、関係は強固な、自然なままここまで続いていた。


(迷惑かけてごめんね。これからすることは、きっと親不孝だ。でも、どうしても止めたいんだ。)


アーデルは静かに、二人を起こさないよう立ち上がる。


(……あの頃みたいに、麦を一掴ひとつかみ渡すだけで、お礼が済む村に。もし戻れるのなら。誰かがその一歩を踏み出すなら、私が、そうなってもいいかなって。)


彼女はミーナに近づき、頭巾を脱いだ。


(じゃあ二人とも、愛してる)


そう小さくささやくと、ミーナの枕元に頭巾をそっと置いた。


おそらく前の子の愛用品だったそれは、

このうちに来てから、自然と日常の一部になっていた。

最初は違和感があったはずなのに、今はもう、ない方が落ち着かないほどだった。


(つけてるのが当たり前くらいには、ここにいたんだね)


アーデルは すっかり慣れた木靴で、静かに灯の届かぬ戸口へ向かった。

足音ひとつ立てず、影だけが先に夜へと溶けていった。


枕元には、頭巾が安らかな寝息と並んで、静かに横たわっていた。

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