一章 素人祓いの乙女
一話 雑祓い
口元を白い布で隠し、黒髪を一つにまとめ、白衣と緋袴を纏う姿はいかにも「専門家」に見えるだろう。
古来より、人々を悩ませる異形の存在「妖」。
それを祓うのが
千依は桃の木で作られた弓を左手に持ち、屋敷の中へと入って行く。
「……」
窓は開け放されているというのに、空気が澱んでいるのはこの屋敷が妖の溜まり場になってしまったからだ。
依頼人いわく、骨董品屋で購入した水墨画の掛け軸を飾るようになってから、屋敷内で妖を見るようになり、住んでいる者達は恐ろしくて眠れない日々が続いているらしい。
……多分だけれど、その水墨画に妖を引き寄せる何かがあるんだろうなぁ。
現在、仕事を円滑に進めるために、屋敷にいた者達は使用人も含めて全員、外で待機してもらっている。
その方が安全なので、千依もそちらに気を取られずに済むからだ。
……それじゃあ、始めますか。
ふぅ、と深く息を吐いてから、千依は右足で思いっきり床を叩くように踏んだ。
──ダンッ!
鋭い音は屋敷内に響くと同時に、千依の周囲の空気は澄んでいく。
踏むという行為には邪気を祓うとされているが、千依の場合は強引に空気を清らかなものへと戻しているように見えるだろう。
「さぁ、さぁ、さぁ! 私に滅されたくない者は、今すぐこの屋敷から出て行きなさい!」
喧嘩を売るように、千依は声を張る。
屋敷に住まう者達に外で待機してもらっているのにはもう一つ、理由がある。
千依の祓い方は、「雑」だからだ。
何故かといえば、「祓い屋」である免許を取得していない、いわゆる違法な祓い屋だからである。
それゆえに、妖を祓う際の呪文など、ない。誰からも学んでいないからだ。
つまり、千依の妖祓いは全て素人の我流によるものなのだが──。
『ぎゃぁぁ! なんかっ! なんかっ、熱いぃ!』
『逃げろっっ! あの人間に近付くと、物理的にぶっ飛ばされるぞ!』
『ぴやぁぁ~~!』
小物の妖達は千依に近付かれるたびに悲鳴を上げては、散っていく。
何を隠そう、この千依、存在するだけで妖が逃げるというよく分からない力を昔から宿していた。
自分の周りには似たような力を持った者がいなかったので、「
おかげで、歩くだけで妖祓いが出来るため、「祓い屋」はまさに天職と言えた。
「ほ~ら、ほ~ら! 消えたくなければ、二度とこの家に近付かないと誓いなさい! でないと地の果てまで追いかけて、じわじわと溶かしますよ!」
『うぐぐぅ、ぎゃあぁぁぁ!』
我こそは、と耐えていた妖もしゅわしゅわとその場で消えていく。
ぎゃあ、ぎゃあと喚く妖達を蹴散らしながら、千依は追い打ちをかけるように桃の木で作られた弓の弦を鳴らした。
いわゆる、
鋭い音が遠くまで響くたびに、澱んだものは祓われていく。
……うーん、とりあえず、屋敷全体を一周してみたけれど、まだ澱んでいる場所があるなぁ。
この屋敷で一番、妖の気配が強い場所へと千依は迷うことなく進んでいく。
破魔体質である千依から、自ら逃げていくのは小物の妖ばかりだ。
中級や上級の妖となると我慢比べのように挑んでくるものもいた。と言っても、そのほとんどは千依を襲おうとして反撃を食らうものばかりだが。
「あ、この部屋だ」
千依は躊躇うことなく、すぱーんっと襖を開く。
そこは床の間に水墨画が飾られている部屋だった。
「うわ、重い……」
どこよりも空気が重いため、普通の者ならばこの妖気にあたって寝込んでしまうだろう。
依頼人の話では、雇っている使用人の中にはここ数日、濃い妖気にあてられて寝床から出られない者もいると聞く。
「ふむ……」
千依は渾身の力を籠めて、弓の弦を思い切りに鳴らした。
びんっという鋭い音が、空気を裂いていく。
だが、それだけでは足りないのは、この部屋に妖気を巻き散らす力の強い妖がいるからだろう。
「隠れたって無駄なのに」
ずんずんと、千依は床の間に向けて歩いていく。
そして、空いている右手に霊力を溜めて、何もない空間に向けて、拳を振るった。
『ぶごっ!?』
殴られた空間からは鈍い声が響き、それまで隠形していた影の塊のような妖が姿を現す。
『なっ、なっ、何故、見破った……!?』
「隠れるのが下手過ぎです。もっと気配を消さないと。……この場に自ら残ったってことは、遠慮なく祓っていいってことですよね?」
千依は弓を背中に背負い直し、両手を空にする。
『まっ、待て! 話せばわか──』
「はい、さようなら」
ありったけの霊力を両手に集め、柏手を打つ。
──パァンッ!
清々しい程の音がその場に響き渡った。
千依にとってはただの柏手でも、妖には衝撃波のように感じられたのだろう。
『にゃぎゃぁっ……!』
「お、意外と粘りますね。それじゃあ、もう一回」
千依は力を籠めてもう一度、「ぱんっ!」と柏手を打つ。
さすがに二度は耐え切れなかったのか、妖は断末魔のような叫びを上げながら、しゅるしゅると空中に溶けるように消えていった。
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