もうひとり
白が何処までも続く空間で目覚めた彼女は、いつもどおりの席に座っていた。
目の前のテーブルには陶器の食器、銀のカトラリーが綺麗に置かれている。この場所にも数え切れないほど着席しただろうか。小さく息を吐くと、水色に透けそうな蝶たちが少し騒がしくなる。
「もう疲れたのかな」
「やっと会えたのにね」
「でも消えちゃったよ」
柔らかな羽ばたきとは程遠い、心を刺すような言葉が彼女に届く。セーラー服の裾をぎゅっと掴んで、静かに蝶たちへと言い返す。
「こ、今回消えたのは私でしょう」
「そうだね」
「そうだね」
言葉を返すと、蝶たちは決まって相槌のように彼女の周りを飛び回る。白の景色の中で水色に透ける蝶たちは、不躾な暴力とは対極にある柔らかい同意を交互に口ずさむ。軽やかに漂う蝶の言葉は、ここが彼女の居場所ではないという証明だ。ひらひらと浮遊する隣人は鋭利な言葉で人を殺さない。
現実と違う時間が流れる真っ白なこの空間を、彼女は白い箱と称していた。
「黒い人は?」
「いないね」
「そこにいるね」
「もう一度だけ、と承りましたが、まだ花弁は残っているのでは?」
蝶たちの短い相槌とは似つかない、疑問の声が白い箱に凛と響く。何処まで響いているのかは定かではない。端が何処にあるのか、境界線が存在するかもわからない白い箱の中で、それでも心が掬われるような声だと彼女は思い知っていた。
真っ黒なスーツに身を包んだ男が現れ、赤い花弁を陶器の皿へと落とす。黒い手袋を嵌めた指先が、いやに仰々しく視界に残る。
「これで最後にしたいの」と彼女は言った。すると、男は不思議そうな顔をして彼女に問い掛ける。
「あと二度くらいは挑戦できるのではないですか? 貴女に提供された花束は数枚の花弁になってしまいましたが、やり直すには猶予があります。何故、最後にしたいのです?」
男の声は次第に柔らかくなる特徴があった。快活で明るい台詞口調を通って、最後に彼女の要望を尋ねる。囁くように渡される問いは、心情を探る手助けになっていた。ここが、心の深い部分に触れるための場所なのではないかと錯覚するほどに。
「花弁が」
「花弁が?」
白い世界に葬儀屋のような男の黒いコートが揺れる。柔らかそうな裾がテーブルの前を横切る。艶やかな革靴が白い床に影を作っているのを眺めながら、彼女は続きを口にすることをしばらく迷っていた。
「言葉にするのが、難しいでしょうか?」
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