第10話 ウィル
ケイトリンは教会に来ていた。ピークタイムは過ぎていたので、店番はルクスに任せていた。
ここは世界的に信仰されている一神教の教会である。需要の高さを表すように、トゥルグの西側の大通り脇に居を構えている。ケイトリンがここにやって来たのは礼拝の為では無かった。そもそも彼女は神に祈る事に意味を見いだしていなかった。
教会の役割とは別の目的で来ていたので少し居心地の悪さを感じつつ、教会の中に入る。どこの街でも教会の中には独特の空気が満ちている。大通りの喧騒から隔絶されたような静けさと教会独自の装飾で彩られた室内は、来訪者の気を引き締めさせる。この中で生活している司祭たちはすぐに肩が凝ってしまうだろうとケイトリンは常々考えていた。
探している人物はすぐに見つかった。教会の最奥にある壇上で神の教えとやらを説いていた。もう終わっている頃だと思っていたが、どうやら長引いているようだ。ひとまず長椅子に腰掛けて終わるのを待つことにした。
彼の説教はしばらくして終了したが、その後は信者への挨拶で忙しそうにしていた。そんな彼の様子を眺めていると、彼はケイトリンの存在に気付いたようで、こちらを見てしかめっ面を作った。
信者に対する柔和な表情とは正反対の表情に思わず笑いがこぼれる。そこからしばらく待つと、彼はケイトリンの元へやってくる。
「来るなら事前に教えて下さいといつも言ってるでしょう」
「そしたらウィルは露骨に私の事避けるでしょ?」
「あなたが来る時はいつも厄介事と一緒ですからね」
ウィルは孤児院での魔物退治で同行した魔法使いで、教会お抱えの魔法使いだ。戒律という名前のルールでがんじがらめになっているはずだが、トゥルグという辺境の地で司祭をしているため、それなりに行動の自由がある。気難しくて堅物の気はあるが、なんだかんだでお人好しな所に好感の持てる青年だ。
普通、教会の魔法使いが軍や一般人と一緒に魔物退治に赴く事は無い。しかし、トゥルグが教会の本部から遠く離れた街である事、ウィルがお人好しな事が合わさって、各地の魔物退治に同行してもらっていた。というのも、ウィルは使い手の少ない回復魔法を使用する事が出来るのだ。
この街に定住している魔法使いは少ないため、街の要請による魔物退治にはウィルとケイトリンが赴いている。魔法使いという肩書きがあれば贅沢三昧の生活を送る事が出来るので、街からの要請という報酬の少ない依頼を受ける人間はいなかった。
ケイトリンは街での地位を確立するため、街からの依頼は積極的に受けるようにしていた。その甲斐あって、この街における彼女の影響力大きくなっていた。そういった打算もあって彼女は依頼を受けているのだが、ウィルの場合は完全に彼の善意によるものである。
以前、ケイトリンはウィルに聞いていた。
「なんで見返りの少ない仕事をやりたがるの?」
「回復魔法が必要とされる場所に行かずに何をしろと言うんですか」
当然だろうという風に、彼は大まじめな顔をして答えた。
それまでは気難しいだけの好かない奴だったが、その返事を聞いてからウィルはケイトリンの”お気に入り”になっていた。魔法使いとしては珍しく性根がまともなので、ケイトリンは事あるごとに彼を訪ねては様々な”相談”をしているのだった。
「ルクスって覚えてる?」
「あぁ、あなたが引き取った子供ですよね。それがどうかしましたか?」
「それがあの子、もしかしたら天才児かもしれなくて」
「結婚してなくても親バカになれるんですね」
深刻な話では無いと分かってウィルは興味を無くしたようだった。そのまま仕事に戻ろうとする彼をケイトリンは慌てて引き留める。
「話の本題はここからなの」
「なんですか?」
「魔法教育を手伝ってほしくて」
「私じゃなくて良いでしょうが」
「回復魔法を教えてあげて欲しいの!」
途端にウィルの顔は曇る。
「本当に教えて大丈夫なのですか?」
ウィルは癖が付いてしまうのを恐れていた。というのも、回復魔法を習得した魔法使いは攻撃用の魔法を使えなくなると言われているからだ。回復魔法を使用する事で体内の魔力が変容するとされており、元々の魔法を使えなくなる事例が数多く報告されていた。もちろん、どちらの魔法も高水準で使用出来る者はいるが、そういった魔法使いは”天才”の類であり、それだけで歴史に名が残るような者達である。
教会勤めの魔法使いは戒律によって人を傷つける事を禁じられているので回復魔法の使い手に転身する事が多いが、一般的に攻撃魔法を使えた方が稼げるため、回復魔法を使おうとする者は非常に少ない。また、教会が回復魔法を格安で提供しているので、怪我をしても教会で施術を受ければ良く、これも一般の回復魔法使いの希少性を高めていた。
という訳で司祭として生きる道を選ばないのならば、回復魔法は使わない方が良いと信じられている。
「うちのルクスなら大丈夫だと思うの」
だというのにケイトリンはルクスに回復魔法を仕込もうとしている。
ウィルはどうしても悪い想像をしてしまった。
ケイトリンは打算的な考え方をすることが多いが、どちらかといえば善性の人物である。本当にルクスの将来を考えての相談なのだろう。
しかし、ケイトリンが持ち合わせる事の出来ない”回復魔法”を、ルクスを利用することで埋めようとしている可能性を捨てきれなかった。自分でも最悪な想像だと分かっているが、ここまで突拍子の無い話をされると想像するなという方が難しい。
自分の疑問を解消する方法は単純だった。
「じゃあルクスの才能とやらを見せてもらいましょうか」
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ルクスとケイトリンとウィルは街外にいた。場所は彼女たちの修練場で、小高い丘と申し訳程度のベンチがある。
ウィルは教会勤めなので、本来は許可なく教会を離れる事は出来ないのだが、トゥルグという辺境の地では戒律の解釈は非常に自由で、道を踏み外そうとしている友人を改心させるため、という解釈を用いて街の外に出てきていた。
「……」
「……」
「はい、こちらウィル先生でーす!」
ウィルは、自分が子供に好かれない性質なのを知っているためルクスに気安く話しかけないようにしていた。ルクスは、ウィルの事を取っ付きずらい人間だと思っており、尚且つ宗教関係者に下手な事を言ったら面倒くさそうだと考え黙す事にした。ケイトリンが仲立ちをするしか無く、絶妙な空気が漂っていた。
「回復魔法を教える前に魔法の腕前を見たいんですが」
「はいはい分かってるわよ、じゃあルクス、色々とやって見せて」
(何なんだこの状況は……!)
俺は困惑していた。
用事があるからと出かけたケイトリンを見送って大人しく店番をしていただけなのに、気付けば愛想の悪い男と一緒にここにいる。なのに、孤児院からの道中で同じ馬車に乗っただけの男の前で魔法の腕前を披露しろと言われている。
それに回復魔法を教えてくれるって何なんだ。回復魔法を使うと回復魔法しか使えなくなるはずで、自分の今後の人生がここで決まりますと言っているようなものだ。今しばらくは回復魔法を覚える気は無かったというのに……。
(魔法が下手くそだと分かれば帰ってくれるだろうか)
しょうもない考えが頭に浮かぶ。ケイトリンのの前で適当に魔法を使っても、やり直せと言われるだけだろう。
それなら、抜群の腕前を見せてやればどうにかなるだろうか。回復魔法で上書きしてしまうのは勿体ないと思わせれば良いのだ。
そうと決まれば自分の全力を見せようと思った。最初に魔法を使用してから5日が経っており、魔法をそれなりに上手に扱う自信はあった。
手始めに小さな土塊を10個作る。全て同じ大きさで作りそれを宙に浮かび上がらせる。土塊の一つを杖先の動きにリンクさせる。指揮者のように杖を振ると追従するように土塊も動く。
最初の一つを追従するように他の土塊を動かしていく。最初の土塊の軌跡をなぞるように他のものも整列しながら動く。DNAの二重螺旋構造を思わせるような軌跡をループさせて、回転の速度を徐々に上げていく。
残像が見えるほどの速度になると遠心力で土塊が自壊してしまうため、土塊の強度を向上させる魔法をかける。更に速度が上がって土塊の作る軌跡は茶色い線になる。 そこに火属性魔法を混ぜる。杖先から生じた小さな火球は螺旋構造に合流して、軌跡は赤色になった。
動きが安定したところで、魔法の制御を”切り替える”。螺旋状に回転させたまま、更に土塊を10個作り出して同じように螺旋の軌跡を描かせる。二つ目の螺旋には水属性魔法による水球を混ぜる。
赤色と青色の螺旋構造を作りあげ、回転を維持したまま螺旋構造ごと動かす。二つの螺旋構造は円を描くように俺の周りをゆっくりと公転する。かなり練習したため、視界に収まっていない状態でも綺麗な螺旋運動をしているはずだった。
土属性魔法→無属性魔法→火属性魔法→水属性魔法という見栄え重視のパフォーマンスだった。これだけの魔法を捨ててまで回復魔法を使うつもりは無いと、ウィルとケイトリンの方を見る。
「ほら!やっぱりあの子は天才よ!」
「……親バカっていう言葉は撤回しますよ」
俺の予想とは裏腹に、彼らは回復魔法を習得させる算段を立て始めていた。
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