アルク 第3章|初任務:呪詛士の影

【社内ミーティングルーム】

「──じゃ、ブリーフィング始めるわね」

田村 佳乃が資料タブレットを操作しながら、落ち着いた声で口を開いた。


壁のホログラムに、地図と簡単な現地情報が映し出される。


「対象は、呪詛士と見られる人物のアジト。近隣住民から異常音と振動の通報が複数。

国の術士班じゃなくて、うちに回ってきた理由は“見つけたけど対応できなかった”ってこと」


「つまり、めんどくさいやつってこと?」

澄華が腕を組み、椅子を後ろに倒して不満げに言う。


「そ。おそらく中級前後の術士が絡んでる。警戒はして」


岳は黙って資料を目で追っていた。

「任務」という言葉に、まだどこか実感がない。

だが、体はきちんと反応していた。冷たい汗が背を伝う。



黒のワゴンが静かに住宅街の角で停止した。

助手席の悠生が窓越しに周囲を確認する。


「……来てるな」


「へ?」と澄華が眉をひそめて覗き込む。

視線の先には、艶やかな黒塗りの高級車──

ドアには、見慣れぬ朱の紋が浮かぶように刻まれていた。


「玖珂家……マジか」


吐き捨てるように澄華が言うと、後部座席の岳も顔を上げた。


「……玖珂、って……御三家?」


「そ。よりによってそっちの坊ちゃん軍団よ。最っ悪」


苛立つ声のまま、澄華はスマホを取り出し、画面をタップする。

通話の相手は田村佳乃だ。


「佳乃さーん? 現地ついたけどさ、御三家の“玖珂”が先に入ってるっぽい。

うん。うちの依頼、ぶつかってる。社長に回しといてー。……うん、ヨロ!」


軽口の裏には明確な警戒の色があった。


「静さんが知ってるかどうかはわからないけど……これは、マジでややこしくなる」


悠生は黙って車を降りた。岳もそれに続く。

未だ足元にぎこちなさを感じる岳に、澄華がぼそっと声をかけた。


「初任務から御三家絡みとか……ツイてないね、あんた」


岳は小さく笑った。


「……ま、そういう星の下だったんだろ」




薄暗い部屋の奥、床に刻まれた複数の魔法陣が、微かに光を帯びていた。

その中心でしゃがみ込み、手帳を片手にメモを取る一人の女性──玖珂 彩夢。


「……基礎構成は東洋系。けど、重ね掛けの術式が……違う」


指先で円環の一部をなぞり、魔力を流して反応を確認する。

環の縁が一瞬だけ淡く光った。

その微細な波動を、彩夢の魔眼が捉える。


「……やっぱり。これ、兄さんが調査してた“北関東のアレ”と……同じ反応じゃない……?」


呟いた声は静かで、けれど明らかに動揺を含んでいた。

額にかかる髪を手で払うようにしながら、小さく息を吐く。


「ったく……こんなの、また出てくるとか聞いてないし……」


彩夢は眉間を押さえながら、手帳に乱雑に走り書きを続ける。


「呼ばれる側の“痕跡”が、まだ残ってる……

 ってことは、これ、未遂じゃない。途中まで、実行されてたってことよね」


誰に言うでもなく、ぽつりと言葉が漏れる。


「はぁ……現場指揮どころじゃなくなってきたな、こりゃ」


立ち上がり、スマホを取り出してホログラムのカメラを起動する。


「──静、あんた絶対これ見たら怒るな。……うん、言い訳、考えとこ」


その声色は冷静に戻っていたが、どこかで“親友”の顔が浮かんでいた。


立ち上がりふと外を見るとアルクと書かれた車が停車している


「アルク?!静のとこだわ・・修司を止めないと!」


少し頭を抱えながら扉の奥へと向かった。


-------場面転換--------


黒塗りの車の横を抜けて、岳たちは慎重に建屋の前へと進む。

外観はひどく荒れた、どこにでもあるような廃屋。

だが、何かが違った。気配が、濃い。


厚手の木製の扉が、軋む音を立ててゆっくり開いた。

外観はどう見ても打ち捨てられた廃屋だが、中に一歩踏み入れれば、空気は異様に整っていた。

祭壇のような一角、幾重にも重なる円環の魔法陣、壁際に並ぶ礼装と生活用品──

ここは、ただの拠点ではない。

明らかに、“長く使われている空間”だった。



少し開いた扉から漏れる冷たい空気と、どこか焦げたような臭い。


澄華は廊下を進みながら、苛立ちを隠そうともせず舌打ちした。


「ったく……“先に殲滅してた”じゃ済まされないんだけど」


そして、奥の間──

そこには既に血臭と焼けた香の残る空間、そして一人の男が立っていた。


黒い詰襟に、赤い目。

玖珂家・次男、修司。


「アルク……民間の介入班か」


修司の声は驚くほど落ち着いていた。

だが、瞳の奥には爛々とした怒りが宿っていた。


「不法移民は、生かしておく必要がないだろう? わからんか、女」


「いやいや、殺しちゃったら内情聞けないでしょうが~! ……ねー、岳」


澄華が笑いながら言った。

しかしその笑みは乾いていた。


「それとも何かな~? 御三家ってのは頭より手が──」


その瞬間、空気が変わった。


澄華の動きが、止まる。


まるで“何か”に囚われたように──硬直。


「……父を。俺の家を愚弄するのは、許さん」


修司の目が赤く染まり、澄華へとゆっくり歩み寄る。


「辱めて、嬲ってやろう。俺の“玩具”としてな」


魔眼──“誘惑の魔眼”。

女という性、快楽という支配。

強制的な刷り込みによる、精神の崩壊を誘う呪いの視線。


澄華は抗っていた。

けれど──限界はすぐそこだった。


(だめ……頭が……うるさい……気持ち悪い、でも……)


足元に力が入らず、思考が霞む。


「……やめてもらえないかな?」


低く、静かな声が響いた。


岳だった。


彼はゆっくりと修司の間に立ち、漆黒の魔力を指先に灯らせていた。


「うちの花形なんでね、すみかさんは。話ができるように、術解いてもらえると助かるんですけど」


修司の瞳が、岳に向けられた。


──しかし、効かない。


(……なんだ、こいつ……魔力密度……“黒”!?)


「丁度いい。全力を試す機会だ──」


「──双方、動くな」


凛とした声。


ガコンと扉が開かれ、玖珂 彩夢が現れる。



その声は鋭くも凛としていた。


開かれた扉の向こうに立っていたのは、

玖珂家・副当主、玖珂 彩夢。


その目には冷徹な判断の光が宿っていた。


「修司。……動かないでね」


一瞬で、空気が張り詰める。


修司の身体がビクリと跳ね、次の瞬間、ピタリと動きを止めた。


(まさか……術が発動した? いつ……?)


呪言。

しかも、対象を選別して発動する高等術式。

精密に、確実に、修司の動きを封じていた。


「……くっ」





修司の動きを封じた後、玖珂 彩夢はスマホを取り出す。

ちょうどその瞬間、端末が震え、画面には「楠原 静」の名。


《……いるでしょ》

彩夢は小さく笑みを浮かべ、通話を繋ぐ。


「わかる?そっちのが魔力探知上手いものね」


《彩夢。ちょっと、何なの? 修司が魔眼使ったって本当!?》


「うん。私が止めなかったら、現場マジで崩れてたわ」


《はあ!?》


彩夢の口調が僅かに落ちる。


「……1人、魔眼を受けた」


《──うちの女性社員が!?》


間を置いて、静の声が爆音になった。


『──何やってんのよアンタの弟はぁああああ!?!?!?』


通話口から響く怒声に、思わず彩夢は片目をつむる。

慣れてはいる。だが、音量だけは容赦ない。


「ほんっっっとごめんて!! ちゃんとフォローするし、

今後の案件もこっちから回すし、修司には──当主から雷落とすから!!」


彩夢は自ら、早口でまくし立てた。

怒りと謝罪と責任が詰まった“全力の釈明”だった。


通話口の向こうで、静が息をつく音が聞こえた。

怒りは消えていない。けれど、信頼がそこにはあった。


「……うちで解呪するから、安心して」


言い終えた後、彩夢はそっとスマホを切った。


ほんのひと息の沈黙が落ちる。


「“彩夢”って……久しぶりに呼ばれたわね」


外を見れば、夕日が傾きかけた光を室内に射していた。

吹き込む風に、木製の扉がわずかに軋んで揺れた。


玖珂彩夢はその場で一つ、深く息を吐いた──

そして、次にやるべきことへと意識を切り替えた。



「修司、車に戻って」

彩夢はそう言い、無言の修司を手で促した。


修司は何も言わず踵を返し、建屋の外へと出ていく。


彩夢はそのまま岳の方へと歩を進めた。


「……全部、やられてるな。まったく手加減なし、か。これじゃ内情も聞けやしない」


毒づくように呟いたその声に反応するように、部屋の奥から足音が響く。

坂本 悠生が、薄暗い廊下を通って部屋に入ってきたのだ。


だが、彩夢の姿を目にした瞬間、その目の奥に明確な警戒が走る。


彩夢はそれを受け止めた上で、一歩前に出る。


「アルクの方々ですね。玖珂家副当主──玖珂 彩夢です」

「今回のバッティングはこちらの不手際によるものです。申し訳ありません。

彼女の解呪については、こちらで責任をもって対応いたします」


そう言って、深々と頭を下げた。


坂本は驚いたようにわずかに目を見開いたが、すぐに表情を整えた。


「……大丈夫です。丁寧にありがとうございます」

「社長の楠原がこちらに向かっていますので、到着後に状況をご説明ください」


言葉は丁寧だが、その口調にはどこか“職務”としての温度があった。

あくまで感情ではなく、手順として対応している。

それが坂本という男の“いつもの仕事”だった。




1時間後―


魔眼の解呪が終わり、現場は一段落していた。


すみかは水を飲みながら、まだ少しふらつく足取りで岳の隣に腰を下ろす。

そのまま、隣に立っていた彩夢を見上げて、にんまりと笑った。


「ねえねえ、社長と彩夢さんって、どっちが強いの~?」


唐突な問いに、彩夢は目をぱちくりと瞬かせ──


そして、ふっと笑った。


新聞を読んでいた坂本が、静かに目線を上げる。


「……おいおい」


ぼそりと呆れたように言いつつも、口元には苦笑が浮かんでいた。


「ん~、私の言葉が静に届けば、私の勝ちだけどね」

彩夢は言いながら、どこか懐かしむような目で空を仰ぐ。


「でも──彼女の“防核術式”、見たことある?」


すみかは、ぶんぶんと首を横に振る。


「4大属性を複数重ねた、オリジナルの術式よ。

教科書にも載ってないやつ。

一属性で打ち抜いても、他の属性がカバーする。

しかも、砕けた防核は自動で再生されるの。──学生時代、彼女の防核は“花弁”って呼ばれてた。

あまりに美しくて、あまりに硬かったから」


「……なにそれ、カッコよすぎる……!」


純粋な目でそう呟いたすみかに、彩夢は肩をすくめる。


「でしょ?」


坂本はぼそりと呟いた。


「まぁ……バケモンだな」


その言葉には、妙なリアリティと敬意が滲んでいた。




建屋の前に、黒い車がゆっくりと滑り込んできた。

静かなブレーキ音。夜の空気を切り裂かず、ただ“気配”だけが届くような到着だった。


運転席から降りてきたのは、アルク株式会社の代表──楠原 静。


「……どうやら、収束済みみたいね」

建物から漏れるわずかな灯りを見ながら、静が言う。


車から少し遅れて現れた岳、坂本、そしてすみかが建屋の入口から姿を見せる。


「社長、お疲れ様です」

坂本が簡潔に頭を下げる。


「一応、現場の対応は完了しています。詳細は後日、報告書にて」

「彼女の解呪も済んでます」


静はすみかの顔をちらりと見て、少し柔らかい表情になった。


「無事で何より。……次からはもうちょっと、慎重にね?」


「はーい、了解でーす。今日の私はただのターゲットでした~」

すみかはぴょこんと手を上げて、軽いノリで返す。


「……それじゃ、俺たちは先に戻ります」

岳が声をかけ、坂本とすみかも静に頭を下げる。


「ありがと。車、気をつけてね」

静がそう言うと、三人は自分たちの車に乗り込み、夜道へと走り去った。


しばらくして、もう一台──玖珂家の車が敷地を離れる。

修司を乗せたその車が見えなくなると、残ったのは静と、彩夢だけだった。


「さて……説明、してくれるわよね?」

静が軽く肩を回しながら言う。


「うん。でも、どうせなら──怒鳴られない場所で、話していい?」


静が目を細めて笑った。


「……あそこ、まだやってるかしらね」



BARの扉を開けると、低く落ち着いたジャズが耳をくすぐった。

奥まったカウンター席に案内されると、静が椅子を引いて彩夢に目配せする。


「……懐かしいわね。ここ、まだ続いてたんだ」


「学生の頃、結構通ってたよね。あんた、ウィスキーばっか飲んでたけど」


「今もよ。変わらないわ」


静がメニューも見ずに言い、バーテンダーに軽く手を上げた。


「シングルで。ロック、ね」


隣の彩夢は、グラスの棚をちらりと見上げた後、少しだけ迷ってから口を開く。


「えっと……じゃあ、カルーアミルク。甘めで」


静は少し目を見開き、すぐにくすっと笑った。


「……しっかり者の副当主様が、その見た目でそれ頼む?」


「うるさいな。甘いの、好きなんだよ、昔っから」


「ふふ、ギャップは武器よ」


グラスがテーブルに置かれた。氷の音が、カランと小さく響く。


一口飲んでから、彩夢がグラスを置く。


「……修司のこと。改めて、ごめん。現場で騒ぎを起こして」


「まあ……あれはさすがに怒鳴らずにはいられなかったわ」


静がウィスキーを軽く揺らしながら、静かに言う。


「それに、民間に被害出たら御三家もタダじゃ済まないでしょ?」


「わかってる。……帰ったら、あの子にはしばらく“お預け”ね」


「お預け?」


「現場、しばらく行かせないって意味。あいつの暴走、今のままだと制御できない」


静は「ふーん」と興味なさげに返しながらも、目線だけは鋭くグラス越しに彩夢を見ていた。


彩夢は小さくため息をつき、スマホに保存していた画像を1枚、静に見せる。


「これ、今日の陣。あんたも、見覚えあるでしょ」


「……ああ。前に旧局の術式研究部が提出してた図と……酷似してるわね」


「そう。あのときも呪詛士絡みだった。

そして、魔力痕──呼び出す“側”の力じゃなくて、“呼ばれるもの”の痕跡もあった」


「召喚か」


「まだ確定じゃない。でも……あの“構図”を知ってるなら、やろうとしてる可能性は高い」


静はグラスを口元に運び、淡々と飲み干した。


「で、仮に呼ぶとして──何を?」


「……“天の御使い”」

彩夢の声が、わずかに低くなる。


「文献上の存在だけど、どの時代にも同じ構造と記述が現れる。

明らかに“意図して存在が共有されてる”感じがするのよ」


静は空になったグラスをカウンターに置き、目を伏せて笑った。


「……ほんと、めんどくさい方向に話が向いてるわね」


「でも、それでも向き合わなきゃいけないでしょ?」


しばらくの沈黙が流れた後、静がぽつりと呟いた。


「……帰り、あんたどうするの?」


「タクシー呼ぶよ。お酒入ってるし」


「うちは自動運転モードにしといたから、帰りはうちのAIが運転してくれるのよ。

──この自動運転モードは、うちの車のAI“ナビ子”が担当してま~す」


「……名前つけてんの? 喋ったら負けるやつじゃん、それ」


「勝手にBGMとか変えてくるわよ。“しっとりジャズに変更しますね”とか言って」


「完全に喋るじゃんそれ」


2人の笑いが、ほんのひととき、店内に優しく溶けた──。

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