序章最終話 シキはどこに4

 

 夕刻過ぎ。

 日は暮れ、薄雲の覆う空が薄紫色に染まる。


 肌を刺すような夜の寒風に乗って、遠くの空で鳴いていた鳥の声が届く。

 

 それを合図にしたように、都市内に等間隔に設置されている常夜灯が次々と淡く光り出す。

 農村部で重宝される光石と違い、全て信仰術で創出された人工の光であり、光石よりも強く長く発光する。

 そんな光の多い方、多い方へと進んで行けば都市中央広場にほど近い市に出る。


 腹を刺激する良い匂い。


 この辺りは雑多な店と露店が立ち並ぶ区画になる。露天商が立ち並ぶ市は人でごった返し、昼とまた違う活気に満ちている。


 露天の前で立ち食いをする者、籠に買ったばかりの食材を詰めている者、通路の端でたむろし酒を片手に談笑する者。

 行き交う人々を見れば仕事帰りの人間が多く見受けられ、一日の仕事を終えた事による徒労と家に帰れる事の喜悦がその顔に滲んでいた。


 誰にでも訪れる、一日の終わり。

 都市内部ではよく見られるありふれた光景。

 いつもと変わらない、何度も通った大通り。

 そのはずなのに、宿までの距離がやけに長く感じてしまう。


「……」


 外套を深く被った少女―――トトナは、トボトボと人の波に流されるように進む。

 行きと殆ど変わらない背負う背嚢の重さに泣きそうになりながら、トトナは昼間に斡旋所の職員に告げられた事を反芻する。


 ―――シキは現在この国では『奇災行方不明者』という扱いになっているらしい。


 人災や自然災害と全く異なる、人が突然煙のように消える「神隠し」や「祟り」など。

 確認されている魔獣の特技や人間の信仰術のどれにも当てはまらない不可解な出来事、再現性の取れない奇怪な性質を持つ現象に巻き込まれるなどして安否確認の取れない人物を指す。


 『奇災』による行方不明者は、一般的な行方不明者と性質が大きく異なる為に、対応される措置も変化する。


 一つは、『奇災』によって行方不明になった人物は、発見されるまで書類上は「死亡」と同じ扱いになってしまうという点。

 これがあり、パーティーのリーダーだったシキは除名される形となり、消去法でトトナがリーダーへと繰り上げされていた。


 もう一つは、二次被害を防ぐ為、一度大規模な捜索を行いそれで対象者を発見出来なければそれ以降の積極的な捜索は打ち切られるという点。

 これは「依頼」でも例外ではなかった。


 探索に強い冒険者を募りシキを捜索するというトトナの依頼は斡旋所に受理されず、どんなにトトナが食い下がっても斡旋所の職員は首を縦には振らなかった。

 規則として定められている以上、人情や金の金額で解決出来る問題ではなかった。


(……結局、ただ時間だけを浪費してしまいました)


 どうする事も出来ずに途方にくれたトトナは、藁にも縋る思いでシキが住んでいた宿に向かった。

 何か手掛かりがあれば、斡旋所の対応も変わるかもしれない。

 そう思い、急いでシキが住んでいた宿屋に向かい到着したのが夕刻前。ついさっきのことだ。


「……っ。……はぁ」


 既に帰路についているトトナは、潤む瞳を擦り小さく何度目になるか分からない溜息を吐く。


 シキが暮らしていた部屋は既に片付けをされた後であり、置かれていた小物は全て宿屋の規則に則り処分をされていた。

 宿屋の店主に話を通し、一日分の料金を支払ってシキが暮らしていた部屋をくまなく調べたが、シキの持ち物は何も残されていなかった。


 シキが失踪をしてもう一週間近くになる。

 

 ―――もし、都市に戻って来てすぐにシキの泊まっていた宿に向かっていたら。


 過去の事を考えても何かが変わる訳でもないのに、そんな事を考えてしまう。

 もし手掛かりとなるような物はなくても、思い出の品などシキをすぐ近くに感じられるような物は残っていたかもしれないのに。


「……」


 露店の呼び込みを無視して、トトナは自分の宿に真っ直ぐと帰る。

 トトナに出来る事は、もう何も無い。


 黙々と進み、やがて自身が泊まっている宿屋に辿り着いたトトナは扉を開けて一直線に自分の部屋に向かう。

 途中、見張り番や受付の顔馴染みから挨拶をされるが、トトナはただ軽く頭を下げるのみで前を通り過ぎた。

 どうしても、立ち止まって返事をするだけの気力が湧かなかった。


 そうして部屋の前に着いて、鍵を開けて部屋の中に入る。そして戸締まりをして、ふらつきながら靴を脱ぐ。

 自分の部屋に帰ってきた時点で、これまでなんとか振り絞っていた体力はもう完全に尽きていた。

 一度でも座ってしまえば最後、もう立ち上がる事は出来ない。

 玄関でこのまま倒れ込んで、すぐにでも眠りたいという欲求が強くなる。


 それでも。

 自分が着ていたシキの外套だけは、コート掛けにしっかりと掛ける。

 

「……うん」


 軽くシワを伸ばして、トトナはやつれた顔で満足気に頷く。


 玄関を抜ければ通路の先には大部屋がある。

 部屋には室内に光を入れる為の長窓が取り付けられ、一つの長テーブルと、二つの椅子が対になるように並べられている。


 そのうちの一つ、自身の定位置となっている椅子にトトナは座る。普段であれば、どちらの椅子に座るかなど考えずに座っている。

 しかし一方の椅子は、かつて部屋にシキが遊びに来た時によく座っていた椅子だった。この椅子を開けていれば、その内ふらりとシキが帰ってきてくれるかもしれなかった。

 シキであれば、この部屋の合鍵を持っているのだから。


「……」


 目の前の空席を、トトナは焦点の合わない瞳で見る。

 そして、机に突っ伏してゆっくりと目を閉じた。


 ぐぅ、と腹が鳴る。

 食べ物が喉が通らず、水しか飲んでいなかったせいで胃の中には何も無い。

 しかし、食欲よりも眠気の方がずっと強かった。


 ただ、全てを忘れて眠りたかった。




―――――――――――――――――――――

――――――――――――――

――――――――――


「……ん」


 ふと、トトナは真夜中に奇妙な音で目が覚めた。

 顔を上げ、虚ろな瞳で周りを確認する。


 ―――何時だろうか。


 寝惚けながら窓を見れば、日は完全に落ちたようで外は夜暗に包まれていた。

 喧騒も聞こえず、月明かりのみが薄っすらと頼りなく照らす外の景色をぼんやりと眺める。

 

 何かが擦れる音。そしてコツコツとぶつかり、ぱさっという軽い物が床に落ちた時のような音。


「……? ……え、っえ?」


 部屋の中から何か音が聞こえる。

 寝惚けた頭で、断続的に発生する音の正体が分からない事に思い至り、すぐに脳が起きる。


(……何の音?)


 ゆっくりと立ち上がり、トトナは目を凝らして音の発生源を探る。


 辺りは寝静まり、自分の呼吸すら大きく聞こえる室内で幽かに聞こえる異音。

 木が軋むような自然に発生する類の音ではなく、明らかに何かが動いている音。


 トトナはすぐに、静かに歩き出す。

 恐らく、音の位置的に玄関から発生しているらしい。

 暗闇に近い部屋の中を進み、部屋の扉から一直線に玄関を覗き見る。

 玄関は扉の僅かな隙間から宿屋の通路の光を拾っているらしく、うっすらと明るい。

 そのお陰で、異変にすぐに気付いた。


「……え?」


 無い。


 驚きから、トトナは小さく声を上げた。

 玄関の壁に備え付けられているコート掛けに、シキの外套が無かった。

 いや、ある事にはあったが、なぜかシキの外套が玄関の床に落ちていた。

 確かに、外套は掛けたはずなのに。


 トトナの頭が、途端にパニックになる。トトナは音の正体をきっと鼠か何かだろうと思っていた。

 しかし、誰かに無理矢理外套を引っ張られでもしない限り、目の前の光景にはならないはずだ。

 頭の中にあった予想と違い、冷や汗が流れる。


 そんなトトナを前に、異質な光景は続く。


 突然、外套が意思を持ったように、ひとりでに動き出す。

 動き出した外套は、人が指で摘んでいるように一箇所が持ち上がり、少しずつ人の腰の高さ程まで浮かぶと、裾を引き摺ったまま壁にぶつかる。

 そして壁にぶつかった後も、布地を擦り付けるようにその壁にコツコツとぶつかる。

 数秒間それが続き、そして力尽きたように外套はぽすりと落ちる。


「……」


 あり得ない光景に、トトナの目は釘付けになっていた。

 訳も分からず立ち竦むトトナを前に、再度その光景が繰り返される。

 動き出し、宙に浮き、壁にぶつかり続け、また力なく沈む。


(……私は、夢でも見ているのでしょうか?)


 呆然と、現実味のないソレを見続ける。


 なぜ、夢に出てくるのがシキ本人ではなく外套なのか。

 仮に夢だとしても意味がわからなかった。


「……ほんと、もう、何がなんだか」


 疲れ切ったため息を吐く。


 ―――恐らく自分の頭がおかしくなってしまったのだろう。最近満足に眠れていなかったし、食事も禄に取ってこなかったから。


 トトナは雑にそう結論を出して、投げやりな気持ちでソレに近付いていく。

 夢にしろ死ぬ前の走馬灯にしろ、なぜこんなものを見せられなければならないのか。

 この夢の中にシキが出てくるのであれば黙って見続けるが、何時までも繰り返される同じ光景を見るに、何かが変わる気配は無い。


 恐怖よりも若干の苛立ちが勝ったトトナは通路を通り、玄関の前に立つ。トトナが歩いている間も、そして目の前に立っても何も変わらず、ソレはまた同じように動き出す。


「……っ!」


 一部分が浮かび出したソレを、トトナはしゃがみ込み勢い良くむんずと掴んだ。

 トトナの手の中で、ソレは振動する。


 ―――生き物だろうか。


 手で触ってみると良く分かる。

 ソレは機械的な何かというよりも、意思を持って暴れているような感覚があった。

 夜目が利く訳ではないものの、ようやくトトナの目が暗闇に慣れたらしく、よく見ればソレは外套のポケットの内部分に位置する場所で力強く蠢いていた。

 トトナは片手で暴れるソレを押さえつつ、カチリとポケットの留め具を外す。そして、ポケットを開いた。


 その瞬間。


 勢い良く何かが飛び出し、鋭い羽音がしゃがみ込んでいるトトナの顔の前を通り過ぎる。

 尻餅をつきながら、トトナは飛び出したソレを目で追う。


「……魔物? ……あれ、でもこの虫って……」


 トトナの目線の先、そこには一匹の虫が居た。

 羽を震わせて飛び、一心不乱に壁に体当たりを続ける。

 何度も何度も何も無い壁に体をぶつけ、数秒それが続く。

 そして、疲れたようにズルズルと壁に張り付いたままゆっくりと落ちる。


「……」


 その光景を見たトトナの頭の中に、新しい疑問が湧く。

 一つずつ丁寧に自身の記憶を探り、そして目の前の虫の外見と自分の記憶にあるものが相違ない事を確認する。


「この虫、やっぱり、先輩の……」


 シキが遠征に行く際に、必ずと言っていいほど持ってきていた虫に酷似している。

 シキは小さな虫を操る事が出来る【才能】を持っていた。この虫は、主に大まかな時間を知らせる為に活用されていたのを覚えている。


 ジワリ、と胸の奥から湧き出る興奮をトトナは抑える。


 ―――もしも。

 もしも、この虫が先輩のものであるのなら。


「効力はまだ続いて……? でも、違う? それなら、もしかして……?」


 トトナの頭が、本来の生気を取り戻したように急速に回転し出す。思考がぶつぶつと口から漏れ出るが、それを気に留める程の余裕は今のトトナには無かった。

 次々と湧き出る無数の可能性を、忘れない内に次の可能性に繋げて一つに纏め、関係の無い邪魔な思考は切って捨てる。


 かつてシキが、自身の【才能】の限界について話していたのをトトナは思い出す。


『一度虫を操っても、その虫を無限には操れない。定期的に目の前で指示を出さないと、その虫は住処に帰るように俺の所に帰ってくるんだ』


 ―――だから小さい頃、虫に指示を出し忘れて眠ってる時に虫だらけになって大変だったんだ。


 いつだったか、シキはトトナにそう笑いながら話していた。

 トトナはゆっくりと、何も無い壁にぶつかり続ける虫を見る。


「……っ、ぅっ、ぅう、ぐすっ」


 自然と、トトナの目から涙が溢れ出した。

 ずっと溜め込んでいたものが決壊する。


 ―――シキは生きている。

 その事実だけでこれまでの疑問が全て吹っ飛ぶ。

 そして、恐らくこの壁の先、この虫が『帰ろう』としている先を一直線にどこまでも突き進めば、シキがいるのだろう。


 言い表せない程の安堵と、全身を巡る歓喜。

 とめどなく溢れ出てくる涙を拭って、シキの外套を強く握る。そして、決心をする。

 

(これは、きっと試練なのでしょう。先輩が私を見捨てるはずがありませんから。先輩の唯一の従者として、すぐにそちらへ参ります)

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