第24話 ゲーム機に聞く
池田大吾教授は、うめき声を上げて薄っすらと目を開けた。目の前には、見慣れない天井、湿った岩肌、そして鼻を突く土の匂い。どうやら、彼の愛するインクと古書の香りではないらしい。夢を見ているのかと目を擦ろうとするが、腕が鉛のように重い。
「ん……?」
視界の端に、何やら人影が揺れている。目を凝らすと、そこには見慣れた顔が。
「さ……桜井君……?」
だが、その桜井ヤスノリは、見るも無残なほどに痩せ細った姿で、腕立て伏せをしていた。ひょろりと伸びた腕はプルプルと震え、顔は苦痛に歪んでいる。
「いち……に……さん……DS-α、しっかり数えろ……!」
桜井の声は、普段の朗々としたものとは異なり、息も絶え絶えだ。そして、その横では、あのDS-αが、ひょこひょこと小さな手足で岩を叩きながら、甲高い電子音で数を数えている。
「はい、ヤスノリ!ご、ろく!もっと頑張って!筋肉、筋肉!」
「くそっ……!くそっ……!このぺったんこボディめ……!」
池田教授は、思わず目を閉じた。これは悪夢だ。幻覚に違いない。あの筋肉弁護士が、こんなひ弱な姿になるはずがない。あのレトロゲーム機が、こんなに流暢にしゃべって、しかも桜井君を「ヤスノリ」と呼ぶなど、ありえない。
(そうだ、きっと疲れているのだ。昨日の橘梓との会談のせいだ。あれは、あまりにも刺激が強すぎた……。そうだ、もう一度寝よう。目が覚めれば、いつもの研究室で、いつもの筋肉弁護士が、いつものようにやかましく『クソゴミ』だの『1ビット脳』だの言っているはずだ……。)
池田教授は、現実から逃避するように、再び意識を手放そうと瞼を閉じた。しかし、彼の胃は、夢の中ですらキリキリと痛み続けていた。
ぺったんこボディの桜井が教授を起こす。
「教授!おい、池田教授!いつまで寝てるんですか!起きてください!」
桜井ヤスノリは、腕立て伏せを中断し、ぺたんと地面にへばりついた。額には大粒の汗が滲み、呼吸はゼエゼエと乱れている。彼は、なんとか気力を振り絞って池田教授の肩を揺すった。その頼りない手つきは、ぷるぷる震えている。
「んぐ……う、うう……」
池田教授は、不快そうにうめきながら、再び薄っすらと目を開けた。やはり桜井はひょろひょろのままだ。そして、ゲーム機は相変わらず甲高い電子音を鳴らしている。
「ヤスノリ、無理しないで!今の筋肉じゃ、地球の重力にすら勝てないよ!」
DS-αが心配そうに桜井の腕に絡みつく。
「DS-α、余計なことを言うな!このぺったんこボディでも、俺のリーガルマインドと愛の筋肉(精神論)は健在だ!……しかし、本当にこれはどういうことなんだ……」
桜井は、自らの萎んだ上腕二頭筋を悲しげに見つめた。その瞳には、絶望と困惑、そしてほんの少しの涙が浮かんでいるように見えた。池田教授は、その桜井の姿を見て、今度こそ本格的に「これは夢ではない」と悟り、胃がねじれるような痛みを感じた。
「あ、教授、起きた!よかったー!」
DS-αは、桜井から離れると、ぴょこぴょこと池田教授の顔の前に飛び跳ねた。その液晶画面には、洞窟内の環境データが瞬時に表示されている。
「ええと、現在の場所はディスコルディア。地球の座標とは完全に異なります!空気の組成、微量な魔力成分、重力定数、すべてが地球と異なっています。結論!僕たちは異世界に転移しちゃったみたいだよ!」
DS-αは、まるで天気予報でも告げるかのように、あっけらかんと宣言した。その声は、どこか楽しげですらある。
「な、なんだと!?」
池田教授は、その言葉に絶叫した。異世界転移?そんなSFのような話が、まさか自分の身に降りかかるとは。胃の痛みは、もはや思考を阻害するレベルに達していた。
「そして、転移の際、梓ちゃんの魔力(エネルギー)が大幅に消費され、その結果、肉体は最適化不全を起こし、幼少期の姿に戻っちゃってるよ!生命反応は微弱だけど、安定しています!」
DS-αは、そう言いながら、横たわる幼い少女に小さな手足で触れた。池田教授は、その幼女が橘梓であることを理解すると、さらに顔を青ざめさせた。
「えええええええええええええ!?あの魔王が、こんな可愛い姿に!?」
桜井ヤスノリも、DS-αの報告に目を剥いた。彼の脳内では、「魔王=ぺったんこにして差し上げる対象」という方程式が、可愛らしい幼女の姿によって音を立てて崩壊しつつあった。
「それから、もう一つ重大な報告があります!」
DS-αは、くるりと身体の向きを変え、真顔で告げた。液晶画面には、謎の時空座標図が表示されている。
「影山徹さんの転移が、僕たちの転移より約3年早く、このディスコルディアで確認されました。現在の彼の所在は不明。大規模な時空のズレが発生したと推測されます!」
「……はぁ!?」
桜井と池田教授の声が、シンクロして洞窟に響き渡った。影山が、自分たちより3年も早く異世界に?それはいったい何を意味するのか。池田教授の胃は、今度こそ本格的に破裂寸前だった。桜井の顔にも、困惑と、そして新たな「クソゴミ」な事態への予感が浮かんでいた。
DS-αは、二人の反応には構わず、ピコピコと電子音を鳴らしながら、次の解析を始めていた。彼の無邪気な好奇心は、この混沌とした異世界で、新たな「データ」を求めて止まらない。
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