第17話 忍び寄る悪意
悠可の部屋の個室の鍵が、針金1本で簡単に開錠出来るのだと判明したあの夜。
賊の侵入時に気が付かず、寝入っていた自分の不甲斐なさと、女だと知っている者が一定数いると知らされた事で、悠可は落ち込んでいた。
「せっかく、男として生きて行けると思っていたのに。」
薄暗い、夜の闇の中の悠可の部屋内で、左軍兵士の3人は、それぞれの人生の節目を迎えようとしていた。
「何で、男でなきゃならないんだ?」
いつも直球で言いにくい事でも言ってしまう、伊田九次が、悠可に聞いた。
「巌家は、女でも戦場に出るんだ。まあ、女は後方支援が主な配置になるんだけど。」
「スゲーな。巌家。武門の一族は伊達じゃないな。家で旦那の帰りを待つって選択肢は無いんだ。」
「まあ、向き不向きがあるから……。うちの母親みたいに、社交の世界で戦ってる人もいる。政治力っていうのかな……。」
九次とタラが、うんうんと頷く。
「うちの弟達は、母に似て。女と見紛うばかりに美男なんだ。力も弱い。
巌総領家の男なら、最前線で戦わないといけない。巌一門の命運がその肩に乗って来るんだ。でも……気持ちが優しくて。
とても、最前線での凄惨な戦いには、向かないと思うんだ。」
九次は、今回の北奇国との戦を思い出していた。
「まあ。確かに、赴任早々で毒煙攻撃は、中々キツかったよな。正面からの真っ当な戦いをさせて貰えないで、体の自由が利かなくなって殺られるのは、悔しさ倍増だぞ。俺ら、よく生き残ったよ。」
本当に、よく生き残った。
勝利したとはいえ、亡くなった兵士も相当数いたのだから。
「弟達には、その話、した事あるのか?」
タラがボソリと聞いた。
何について聞かれているのか悠可は分からなかった。
九次が助け船を出した。
「弟達を前線に出したくないから、姉貴が頑張ってる、って話だよ。」
「あ…いや、ちゃんとは言っていない。弟達にも面子があるだろうから。」
「面子かあ…。俺が弟の立場だったら、姉貴の後ろに庇われるのは、イヤだな。」
「そうか?」
「絶対、イヤだぞ。仮にも巌総領家の男子が、姉貴を前線に置いたままで、自分達だけ王都付きの近衛兵とか、我慢ならんと思うぞ。
自分も前線に出るように頑張る筈だ。」
「え!それは困る。何の為に私が踏ん張っていると思っているんだ。」
悠可のその言葉に、タラが大きな溜息をついた。
「だから、話し合え。弟達の意見も聞いてやれ。」
「そうそう。あの総監の息子でしょ。絶対後からデカくなるって!
な?タラ。」
九次が茶化すように言うのを、タラは不機嫌そうに睨み返した。
「近いうちに、帰ってやれよ。案外、背なんか追い抜かれてるかも知れないぞ。」
そう言って、タラは、悠可を見つめた。
「伊田さん。スウ・ルーカンの所に悠可は行かせない。僕が、絶対に阻止するから。」
悠可から視線を外さずに、タラは九次に宣言した。
「分かってるよ。帰って来れなくなるかも知れないなんて、思ってもなかったんだ。」
そして、タラの肩にポンと手を乗せた。
「総監を怒らせたら怖そうだし。…俺の子は、大事に育てて貰えるさ。」
タラは、無言だった。
その夜遅く、九次とタラは、悠可の部屋から忍び出た。
伊田は歩きながら、親しみを込めていつものようにタラの肩に手を乗せて、引き寄せ、耳元で囁いた。
「お前も、大変だなあ。あの総監と、弟2人に勝たなきゃならないなんて。まあ、頑張れ!」
そう言って、楽しそうに笑ったのだ。
誰にも見咎められていないと思っていた。
だが、実際は、暗闇の中から、その様子を盗み見る4つの目があったのだ。
翌朝、兵舎の食堂に集まった面々は、女性兵士の口から、まことしやかに語られる閨事の話を聞かされる事になった。
夜中、悠可に夜這いをかけようとした女性兵がいた。同じように、タラに夜這いをかけようとタラの部屋に向かっていた女性兵が居た。すりと、タラが悠可の部屋の前で中を伺うようにして、立っていた。
程なくして、タラが悠可の部屋に呼ばれて入って行った。そして、なかなか出て来ない。
すると、何と、伊田とタラが揃って悠可の部屋から出て来た。そればかりか、伊田がタラの肩を抱き寄せて、口付けたのだ。そして、嬉しそうに笑い合った。
「タラ一等兵は、巌一等兵に呼ばれて入ったのに、既に中に居た伊田一等兵と仲良く出て来た。そして、親し気に唇を重ねたのよ。中での余韻に浸るように。
これはもう!!3人が愛し合っているという事よ!!」
「いいえ!巌一等兵は、総監の威光を使って、伊田一等兵とタラ一等兵を夜中に部屋に呼び寄せたのよ。個室を当てがわれているのも、そういう事よ!」
という事らしかった。
兵士達は、面白い話が大好物だ。北の地で、娯楽に飢えている。
話の真偽など、どうでもいいのだ。
女性兵士と同調して話を合わせて、あわよくば一夜の娯楽にありつけたら御の字なのだ。お互いが同意の上ならば、上官は何も言わない。
なので、男性兵士は、女性兵士の話は、実に真摯に聞いてやるのだ。
噂というものは、往々にして噂の当事者本人には伝わらないものだ。
今回もソレだった。
本人達の耳に入った頃には、尾ヒレが付いて、元はどんな話だったのかさえ分からなくなっている。
ある日、悠可は上官に呼ばれた。正確に言うと、北の要塞の隊を率いている大将だ。上官も上官。
普段直接に呼ばれる事は皆無だが、呼ばれるとしたらクビを宣告される時位だろう。その上官に呼び出された。
「巌 悠可一等兵。お前の良くない噂を耳にした。他の噂になった者と部隊を分ける。今後の処遇として、王都の部隊での勤務を命じる。
尚、この処置については、左軍総監の強い意向を汲んだものだ。」
要塞の最高責任者からの直々の命令に、質問を返す事は許されない。しかも、総監(父)の意向とまで告げられては、
「はい!」
と答えるしかない。
「移動は直ちに行う事。以上。」
「はい!」
悠可は敬礼して、キビキビと大将の執務室を後にした。
廊下に出てから、困惑しきりだ。
『噂って、何?!』
『直ちに移動しなくちゃならない程のものなの?!』
お決まりに、女医の軍医の元にすっ飛んで行った。
そこで、予想外に、文句の数々を女医から浴びせかけられる事となった。
「ちょっと!愛可ちゃん!!何やってるのよ!!
変な噂なんか、下火のうちに消しなさいよっ!!
可貫さんが怒って私の恋人の移動が無しになったじゃないのっ!!!」
女医は、涙目でヒステリックに叫んでいる。
悠可(愛可)は、女医が落ち着くまで、散々罵られるのを耐えるしかなかった。
『噂って、なに?!』
その後、疲れ果ててしょげかえった伊田九次が女医の元にやって来た。
脚に貼る湿布を貰いに来たのだ。
九次は昨晩直属の上官に呼ばれ、言葉で散々絞られたそうだ。鍛錬が足りないと、今朝から食事抜きでこの要塞から、北奇国側の駐屯地までの山岳地の踏破往復を命じられて、今帰って来た所だった。
タラも似たようなもので、昨晩から自室に戻れず、恐らく今も何処かを走っているだろうとの事だった。
「噂って、何の事?」
「俺も、昨日初めて聞かされたよ。要は、俺とタラが恋仲で、それを知った悠可が加わって、悠可の部屋で夜な夜な3人でよろしくやってる、って事らしい。」
「はああ??」
悠可は呆れた。そこへ、女医がまた別の噂を加えた。
「え?私は、悠可がタラとデキてて、そこに九次がタラに告白して、ならば3人で楽しみましょう、って事で、夜な夜な悠可の部屋でよろしくやってる、って聞いたわよ。」
もう、驚き過ぎて、悠可は声も出ない。
『そんな噂が、父の耳に入れば、そりゃ戻されるわ。』
悠可は妙に納得した。
「悠可とタラがとうとうデキたのかと、私はちょっぴり嬉しかったんだけどね。」
女医は、そう付け足した。
「そこに、何で九次が入るのよ?」
「え?俺?!酷くないですか。俺は、東部戦線に配置換えですよ。あのいつもキナ臭い激戦地。明日には発つように命令が下りました。」
その言葉に、女医は再び涙ぐんだ。
「私の恋人は、その東部戦線にいるのよ。もう長い事。……やっともうすぐ北に来る筈だったのに。」
「え。それ、辛いっすね。彼氏に逢えた筈だったのが……。」
「彼女よ!!」
「えええ!」
そんなやり取りを聞きながら、悠可は猛烈に腹を立てていた。
「承服できない!根拠のない単なる噂で。当人が知らない間に、そんな低俗な噂を広めるなんて!!」
その悠可の様子をみて、女医と九次はふっと笑った。
「それが、軍隊の常よ。世の常とも言うかな。低俗であればある程、一度人の口に登ってしまった噂は、どこまでも尾ヒレが付いて広がるものよ。
だから、あんたの母様は、その情報操作を操って、一族を守っているのよ。麻那さんはたいした女よ。さすが、国王を玉座から引きずり降ろしただけはあるわ。」
「「ええっ?!」」
「あ、これは極秘事項ね。九次も巌家を敵に回したくなかったら、口を噤んでおくことね。悠可と噂になったあんたは、巌家に目を着けられてるから、よくよく気を付けることね。」
「こわっ!!」
「噂になった事が、吉と出るか凶と出るかは、今後の行い次第よ。」
九次は、じっと考えて
「もしかして、チャンス?!」
そう言った。
「そう!タラもね。」
女医が明るく返した。
『何で?!どこがチャンスなの?!』
悠可だけが困惑する事になった。
翌日の早朝。
悠可と伊田九次は移動用の馬に跨っていた。
その姿を、要塞の城壁の上から、見張りに立ったタラが、見守っていた。
旅装の2人は、揃って城壁の上に顔を向けた。
そして、2人揃って、大げさな身振りで、タラに向かって投げキッスを送った。
見送りに窓から覗いていた皆から、歓声が起きた。
明るい笑い声を上げながら、2人はそれぞれの方角に向かって馬を走らせた。
悠可は東に向かう九次を見送って、一度、馬の足を止めた。馬首を要塞に向けると、見送るタラの姿を認めた。
その小さな人型の姿が、遠目でもタラだと分かる。
その姿を認めた時に、悠可の心は決まった。
悠可は、タラに向けて、両手を大きく振った。そして、大げさに抱きしめる仕草をして見せた。そして、再びおおきく両手を広げて、
『また逢いましょう。必ず。』
そんな想いを込めて、両手で唇に手を当てると、タラに向けて投げた。
タラは、その唇からの想いを、両手で受け取って、自分の唇に当てた。
悠可のは強い決心を胸に、王都に向けて馬首を巡らせると、もう振り向かなかった。
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