第10話 虚無の設計図

ミハイル=T・アンダースンは、完成したシミュレーション宇宙の中心点にひとり静かに立っていた。


広がる大地には起伏きふくがあり、空には雲が流れ、光は柔らかく差していた。

人工の太陽が周期を保ち、潮は引き、風景は精緻せいちなまでに現実を模していた。


そこには人々がいた。

誰かが歩き、誰かがすれ違い、誰かが何かを手渡していた。

まるで人間の営みそのものが、精密な機構としてなめらかに再生されていた。


だが、その世界には──**音がなかった**。


笑い声はなかった。

叫び声も、泣き声も、愛のささやきもなかった。

風は吹いていたが葉は揺れず、水面は広がったが波は歌わなかった。


全てが完璧に動いているのに、そこには一切のざわめきがなかった。

それはまるで、誰かが「感情」という物質を取り除いた後の、魂のないもの


“命”の輪郭りんかくだけをなぞった、空虚くうきょな精密機械のようだった。


ミハイルは端末のひとつに手を伸ばし、最新の観測ログを呼び出した。

液晶に浮かび上がる文字列は、機械の冷たさそのものだった。


> 感情反応:ゼロ

> 夢記録:ゼロ

> 意思決定:アルゴリズム内フィードバックのみ

> 自我活動:未検出


彼は静かに読み上げるように目を動かし、短く呟いた。


「……模倣コピーに、魂は宿らないのか」


この世界は完璧だった。

少なくとも、**構造としては**。


彼は人類の神経反応を再現し、記憶を分子パターンで復元し、感情の波形を学習させた。

何百万時間分の記録を使い、人類の行動と内面を統計的に模倣コピーした。


だが、それは一度たりとも「生きている」とは言わなかった。


誰も笑わず、誰も怒らず、誰も夢を見なかった。


ただ動くだけだった。正確に、静かに、未来予測の線をなぞるように。

それはまるで、「生きているふり」をしているだけの世界だった。


ミハイルは気づいた。

自分は命の模倣をしたのではなく──**命を再現した偽物の模倣をしたのだ**と。


それは多重に折り重なった模倣の末路。

言葉も感情も、ただ**再生された記録**にすぎない。

原初の衝動はどこにもなく、そこには祈りすら宿らない。


彼は無言で椅子に腰を下ろした。

目の前に広がる都市──光が満ち、人影が歩くその空虚な光景を、ただ静かに、どこか遠くの風景のように見つめていた。


もはや、誰に語るべきでもない。


この世界が「空虚である」という証拠など、彼以外には不要だった。


理解する者が誰もいなくても、それは事実だった。


かつて彼は信じていた。

意識さえ繋げば、時間の終焉を超えることができると。

記憶を保存すれば、「人間の魂」は未来へと持ち越されると。


けれど今、目の前にあるのは、

**永遠に凍った演劇**だった。


幕が下りることもなく、

観客も、拍手も、沈黙すらも存在しない。


ただ、そこには果てのない“演技”だけが続いていた。


---


そしてその時、彼の胸にひとつの言葉が浮かんだ。


「模倣は──祈りにならなかった」


それは、自らの創造と努力への最後の弔辞ちょうじだった。

どこにも届かない祈り、始まることすらなかった信仰。


模倣された命は、最後まで「祈ること」すら知らなかった。


ミハイルは、最終ログを開いた。

そこには「彼自身」のコピーが、空虚な演算の渦中かちゅうで微かに揺れていた。


まるでまだ問いかけているかのように──


時間も、意識も、確かに失われていく。

その中で、「自分が存在していた」という痕跡は、

果たして未来に残るのだろうか。


誰にも見られず、記録されず、呼ばれることもなければ、

果たして「存在していた」と言えるのか。


それが、ミハイルの最後の問いだった。


そしてそれは、誰にも答えられない問いでもあった。

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