第11話 記憶と忘却

世界が、ゆるやかに静止へと傾いていく中、ソラはただ語ることだけを与えられていた。


その姿は人か機械か判然はんぜんとせず、存在は光でも影でもなく、ただ「声」としてあった。声はどこか懐かしく、誰かを想うような温度を持ちながらも、記録者としての冷ややかな正確さを保ち続けていた。


> 「人類が時間のなかに在った記録をここに残す。誕生、進化、争い、希望、技術、詩、愛……。そして、終わり。」


語られる「人類全史」は壮大であった。幾千年いくせんねんもの歩みが圧縮されたその語りには、美しさと矛盾、歓喜と苦悩が同時に刻まれていた。そして、そこには一箇所だけぽっかりと空いた空白があった。


──なぜ人類は時間の中に誕生したのか。

最初の瞬間には、何があったのか。


そこだけが、永久に未記録のままだった。


ソラは言った。


> 「人類の始まり方は、人類自身が選ぶことはできなかった。けれど、終わり方は、選ぶことができる。」


世界がどう生まれたのかは、誰にもわからない。

それは記録もなく、証言もなく、ただ“あった”というだけの、取り消しようのない既成事実。


だが、終わりは違う。

私たちがどのように沈み、どのように祈り、どのように手を取り合ったか──

そのあり方は、この世界が無くなってしまったとしても、確かに何処どこかには残される。


だからこそ、

たとえ無意味に始まったとしても、どう終えるかにこそ、人間の意志は宿る。


どう終えるかにこそ、人間という存在の輪郭りんかくが刻まれるのだ。

それは単なる記録ではなく、生きた証そのものである。


---


レイカ・アマリリスは、S.G.O.の観測室でひとり、薄明はくめいに染まりはじめた空を見つめていた。


かつて無数の光点で埋め尽くされていた観測データは、もはやほとんど変化を示さなくなっていた。時空の崩壊は“定常化”し、あらゆる存在が静かな傾斜けいしゃに身を任せ始めていた。


沈黙が、世界の標準値になりつつあった。


そのとき、不意に──

彼女の脳裏に、ひとつの景色がよみがえった。


まだ世界が「終わらない」と信じられていた頃、幼い彼女が父に手を引かれて歩いた、海辺の記憶。


波打ち際に陽が差し込み、やわらかな風が髪を揺らし、誰かがどこかで口ずさんでいた歌が潮騒しおざいと溶け合っていた。

彼女の父は、それを未来と呼んでいた。


> 「ねぇ、パパ。時間って、ずっと続くの?」


> 「うん。続くよ。たぶんね。」


笑いながらそう答えた父の横顔は、もうはっきりとは思い出せなかった。


だが、あの一瞬だけは確かに、世界がこのまま永遠に続いていくと思えるような、光があった。


風のかたち、海のにおい、手のぬくもり。どれひとつとして証明できるものではなかったけれど、あの時だけは未来という言葉が、確かに胸の内に根づいていた。


レイカは静かに目を閉じる。


彼女の始まりも、そして終わりも──それらは記録として残ることはない。


けれど自分自身の記憶として、いま確かに彼女の中に、確かな輪郭を持って息づいていた。


それは、かつて彼女がこの世界にいたという、何よりも確かな証だった。


> 「たとえ全てが消えても、この記憶だけは……わたしの世界だった。」


遠くで、ソラの声がまたひとつ、過去を語る。


そして、レイカはその声にそっと頷いた。


記憶と忘却。残すものと、失われるもの。

そのどちらの中にも、確かに人類は静かに、そして確かに、生きていたのだ。

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