シローの行方

「シロー、どうして急にいなくなったんだよ!」

 プロスペクトに戻ってくるやいなや、そんな声に迎えられた。

「こっちの台詞……」

「その台詞もこっちの台詞だっ!」でんたくは素早く獲った。「音声はミュートにして、書置きもなし。こーゆーの不安になるからやめてよね!」

 おれは反論のために口を開けたが、実は反論できないことには気づいていなかった。しばらく何か言おうと格闘するなかで、そういえば音声をミュートにしたのはおれだし、万一のことを考えて書置きしなかったのもおれだし、そもそも起きてすぐにプロスペクトの内部を探さずに出て行ったのはおれだったじゃないか、とわかってきた。

 がくりと項垂れた。「そうか。すまん」

「わ……わかったならいいけど」

 でんたくは少し意外そうな声で言った。

 がらにもなく落ち込んでいるのはわかっている。なぜか、妙に上向きの感じがしない。なにか重い物を引きずっているかのようだ。

 ウーに会って——いや、彼を始めて見たそのときから——そして彼と話してからというものの、不思議とおれは強い焦りのようなものを感じはじめていた。しかし、それがなんなのかわからない。

 自分で自分のことがこんなにもわからなくなったのは、子供のころ以来な気がした。

「おおーっ、これがあのジェットパックちゃんかあ」

 そのとき、背後からぬっと商人が現れて、笑みを浮かべながらでんたくに近づいていった。

「うわあ! なんだてめー!」でんたくは慌てて操縦席から飛び退いた。「ぼくの名前はでんたくだ! じぇっとぱっくじゃない!」

「ええー、じぇっとぱっくちゃんの方がかわいいやーん」

「どこまでついてくるつもりだ!」おれはしょんぼり顔をやめた。「宿を取ってるんだろ」

「いやそれがね、知ってるかもしれんけど」商人は振り返りもせずに言った。「どうしても女の人と一緒やないと泊めてくれへんって所でね。ほんま気ぃ遣うんやんか。まさかするわけにいかへんやん? 冗談抜きに」

 そして外星人をタダで泊めてくれる現地人はいない、と。

「ここにベッドは無いぞ。実は気密もできてるかも怪しい」

「ええのええの」商人は少しだけ疲れたような声で言った。

 例の宿に関しては、受付をやっている青年から「かならず一人以上の異性を同伴していなければ宿には泊まれない」という奇妙な仕組みの理由を教えてもらったことがある。

 そもそも多くのアンダール人は宿を必要としていない。寝食にじゅうぶんなスペースが、その市民権に付随して与えられているからだ(作業者居住区にある居住ユニットがそうだ)。そして外からこのプラントに訪れた人間であれば、自分が所属する船があるため、通常そこが拠点になる。

 つまり、宿は休息の場としての価値がなかったために一度廃れ、その後、出会いの無い労働者が異性と機械的にコミュニケーションをとるために、どこかの段階で再発明されたものなのである。アルマジロとセンザンコウで、見た目が似ていても系統がまったく違うようなものだ。

 ひょっとすると商人のやつは何か月もの間、赤の他人とベッドを共にしなければ眠ることを許されなかったのかもしれない。そうなれば、羽の生えたクローゼットの方がましだというイカれた結論に飛びつくのも無理はない。

 商人はでんたくに文句を言われながらも、おれが止めないからかニコニコ顔で弄り倒している。あら、お尻のポケットをまさぐられてるわ。ひどい絵面だ。

「わーくぼーるきっずですかあ、ええ商品ですよねえ、安くて丈夫で機能も多いし。工具ポケットの改造も良い感じですねえ」

「300万は安くないけどな」

 値段を思い出しながらおれは言った。

 商人はピタリと止まった。

 ヤメロ触ルナとでんたくが騒ぐ声が、若干遅れて通信網に響いたが、静けさを察知してゆっくりとフェードアウトしていった。商人は黙っていた。それから、

「300万?」彼は低く呟いた。

「な、なんだ?」

 今までに聞いたことのないその声音におれは少し身構えた。

「いや、これ、どう見積もっても50万しませんけど……」

 商人は不審そうな面持ちでおれに振り返った。

 その言葉を聞くとおれは不安に駆られた。

 でんたくは素早く目をきょろきょろとさせて、おれと商人を見比べている。

「いや、いやいや、いや」おれはほっと安堵の息を吐いて手を振った。「限定品だから。よく似た廉価版があるのは知ってる。ちゃんと見てくれ。シリアルナンバーがあるだろ?」

 商人は目を剝いてでんたくのお尻を引っかき回し、またぐらにその番号を見つけたようだった。でんたくは文句ひとつ言わなかった。

「照会しました?」

「あたりまえだ! 大昔にパームベル臼港に運び込まれたあと死蔵されたと……」

「やられましたね」商人はぴしゃりと言った。

「何が⁉」

「前星紀のSBワークスが、ある種のチタニウム合金を限定品にだけ使ってたのは知ってます? いわゆる〈ボンドゴールド〉っていう——」

「あ、ああ」おれはほぼ顔面蒼白で答えた。

「シリアルが刻んであるこのプレート、ここだけ材が本物やわ。たぶん、誰かが廉価版と入れ替えたんやと思う。本物の方は後でいくらでも価値を復活できるし、廉価版は限定品に誤認させられるっちゅう寸法ですね。ただ売り手がつかへんかったかなんかして、臼港に置いて行ったんちゃうかな」

 キャー!!!!!!

「信じない」おれはきっぱりと言った。

「ご愁傷様です」

「信じないって言った」

「ボール型、ジェットパック型のほかに、運搬機型とワードプロセッサー型にもなれるはずなんですよ」

「そんなことできないよ!」でんたくがあわれっぽく言った。

「言うな!」おれはフェイスシールドを不透明にし、壁によりかかった。「ちょ、ちょっと待て。考えさせてくれ! 考えさせてくれ!」

「何を? 騙されたってことを??」

「やめて!」おれは壁に縋りついた。

 最悪だ。港の自動販売店で決済したから、あそこまで戻らないとクーリングオフできない。というか、そもそも返品不可能かもしれない。ある程度の動作不良や機能障害を許容して買い取る旨の誓約書にサインした覚えがある。おれは自分の眼で機構が正常動作することを確認したので、誓約書に書かれていることを何も恐れなかった。その中に返品できないという項があった気がする。

 しかし商品自体を誤認していたのだからやはり返品できるのではないか? そうだ、シリアルナンバーはこっちにあるのだから、SBワークスに連絡すれば返金してもらえるかもしれない……。

 いや、だめだ、そんなことしたらでんたくの身体はどうするんだ。それに、返金処理を受けるために機体を送付するとしたら、最寄りの支店まで何日かかる? そもそもここから出て行けないのに。

 頭を抱えておれは停止した。なんだか突然何もかもがぐにゃりと歪んで思考がまとまらなくなった。重い泥が上から降ってきて背骨を折ろうとするかのようだった。顔のパーツが重力で前に引っ張られているような奇妙な感じがした。

 手ひどい一撃だ。ほかの何よりも。

 わかっている。ばかげている。おれにとって、もっとショックを受けるべきことはいくらでも起こっている。そう思っている。おれはそう思っている。

 でも、モートルドットも、銀河の眼も、どうでもいい。

 船が出ないことも。

 250万も、どうだっていい。

 おれはショックを受けている。ほかの重要なことを差し置いて、今、自分が攻撃されたことに驚いている。攻撃だって? どうしてそんな風に思ったのだろう。

 これまでずっと、自分に関係のない物事が、自分に関係しようとしてくるのを避けていたからだ。そんなことは、あたかも考えるまでもないかのように、すんなりと思い至った。おれは、自分が避けていたものにぶつかったのだ。しかも正確を期すのであれば、ずっと前にぶつかっていた。

 だが、ぶつかったことは重要じゃない。それは単に、自分が心の中で作り出した障害物の存在を暗示しているだけだ。問題は、そう、その障害物はなぜそこにある?

 いつから、何を間違ったんだ? その疑問は当然だ。そう、おれは自分の心がここまで深く抉られてしまった理由を知らなければならない。心が自らを限定する障害物を形作ったのはなぜか。それは、なんの意図をもってそこになければならなかったのか。知らなければならない。

 それとも、250万を失ったことそのものが悔しいと認めるか?

 嫌だ。

 そんなことで傷つくなんて、そんなのシロー・サリバー・スロークじゃない。

「あのお、大丈夫です?」

 おれは商人の手を振り払った。「すまん」と言いながら、おれは内側に没頭した。

 がおれをここまで打ちのめすはずがない。こんなに感じやすい部分が、ただなんの理由もなく自分に残っているなんて信じない。

 おれは完全だ!

 とっくの昔に、旅を始めるずっと前に、完全な心の持ち主になったはずだ。

 たぶん。

 何か理由があるのだ。おれの完全性を傷つける何か、放置してはならない理由がそこにある。これを置いたままでは、おれはこの先もずっと、くだらないことで悩み落ち込む人間でありつづける。それを察知した今この瞬間に、おれはそれを掴み、暴かなければならない——その正体を。そうだ、おれは自分を見失っている。

 なぜだ?

 たぶん、おれはを間違えたのだ。

 ああ、これは良い切り口だ。問題は外に無い。問題は、何かに対する正当な反応を、おれが無意識に避けたことだ。心の問題はすべてそうだ。道しるべを見ずに道を決めた瞬間がある。見るべきだとわかっていたにも関わらず、だ。だから、普段の自分と異なった選択を下した瞬間を見つけ出せば、おのずと答えも見つけ出されるはずだ。

 いつ、道を間違えた? プラントを見つけた時か? ——違う。あれは機転が利いていた。自然な判断だった。

 なら、プロスペクトを受け取った時か? ——それも違う。船を必要としていたのは確かだ。ボロ船でも、船であることでいくらか助かったのだ。

 海賊から逃げ出した時か? シュナを助けようとした時か? 海賊船に救助されたときか? そもそも、海賊船を見つけた時か?

 違う、違う、違う、違う。おれはよくやっていた。すべてがおれにとって自然な選択の連続だ。

 ということは、原理上、過ちが起こり得た瞬間はただ一点だけだ。

 それは始まりだ。始まりはなんだ……。

「彼、ほんまに大丈夫なんですか」

「わからない。ここ一ヶ月、今までにないことの連続だったし……」

「こんな辺鄙なプラントに押し込められたら、気ぃ滅入るのもわかりますけどねェ。ほんまに同情してほしいのはぼくの方やけど」

 でんたくはため息を吐いた。「ユスターフェの武装蜂起がなければ、今ごろのんびりバカンスだったんだけどなあ」

「ああ、あのブラックホール港? へえ、そんなんに興味あるとは——」

 その瞬間、おれは顔を上げてふたりを見た。

 イメージがゆっくりと立ち上って形を作り出していく。靄のようなそれが、徐々に明白な記憶に変わっていく。

 頭の中に、怒涛のように記憶が流れ込んできたのだ。

「……う、うわっ! 壊れた⁉」

「シ、シロー……?」

 笑い声が、胸の中から自然と漏れていた。ささやきに似たそれは、時間を追うごとにどんどん強く、大きくなっていった。次第に、おれはのけぞって、今度は腹を抱えてしまった。

 それまで失っていた記憶——、一度は失われ、その後再建ナノマシンによって修復されたはずの記憶。そこにあったのに、おれがまったくもって無視していた記憶。語るべき唯一の疑問の、単純な答え。

 世界で初めて、企業が主導して造り上げるブラックホール港——もちろん、その施設が持つロマンは追及に値した。まさに、書に載るにふさわしい出来事だ。おれはそのイベントに跳び込むことを厭わなかった。

 だが、そのきらびやかな覆いに目を奪われて、おのれ自身の破壊衝動に気づいていなかったのだ。

 おれは——その世界で——死のうとしていた。

 ブラックホールの内側に入り、きっと宇宙が滅ぶまでそこに居ようと思っていたのだ。

 穏やかで、ポジティブな自殺だ。

 もう笑うしかない。

 おれがウーに言ったことは、自分自身に言いたかったことそのままではないか。おれこそが、自分の成り立ちを完全に無視して、まるで虚無から生まれた男のように旅を再開しようとしていた。記憶を失ったケーキ嫌いが、自分をケーキ好きだと思い込んでいたようなものだ。好きなはずの物を食べていながら、なぜかそれに乗り込めない。

 自分の旅がしたいという思いに囚われすぎて、モートルドットという明白な脅威に怯え、逃げ惑うだけの人間に成り下がってしまった。

 本当に完全な概念上の人間と、あまりにも等身大の自分を重ねていたのだ。誤った縮尺が、自分の行動を捩じ曲げていることにも気づかず。

 こんなに簡単なことだったのか。

 そうと悟ってみれば、アイデアはいくらでも溢れ出してきた。

 ああ、

 なぜ恐れる必要がある? おもしろいじゃないか。〈銀河の眼〉とモートルドットの一騎打ち! もしそれが起こるなら、絶対に見なきゃ損だ。

 船だって、壊れたままでいいじゃないか。スクラップを拾いながら、少しずつ直していけばいい。

 〝どこかに行く〟のがおれの目的じゃない! そこに船があって、おれが船に住んでいるなら、おれはそれでいいんだ。

「なんてこった」おれは笑い声の中で叫んだ。「〝泥を這うものに翼を与えよ〟だ!」

 それは振り返らない、それは二度と振り返らない。かくて旅人は立てり! まさにおれは体現した!

「な、なあ……これは自然に静まると見てええんやでな?」

「ノーコメント」

「こんなことはバカげてる!」おれはひいひいと息を接いだ。「おれは、250万払って、んだ! アッハッハ……」

「あかんわ何言うてんの」

 まったく何もなかったところから、自分自身を更新してしまったのだ。本来、そこで発生するはずのないことを、おれは起こしたのだ。そう思うと、ぞくぞくするほどの高揚感に満ちてきた。これ以上、自分を説明する必要はない。自分を分析して、また迷い込むことはない。おれは必要な物を発見したのだ。今はこれを成果とすればいい。

「もしかしたら」でんたくはこわごわとした声で言った。「持病が出たのかも」

「持病?」

「超新星爆発」でんたくは冷静に語った。「時々あるんだ。ちょっとしたことで急に暗い魂の底がどうこうとか言い出して、どんどん自分独りの空間に入っていって、自分で自分を鬱にしちゃってから——ドカン、急に爆発して、普段の慎重さがなくなっちゃうんだよ。ストレス解消なんだと思うんだけど」

 的外れな評価だ! こんなことは滅多に起こるもんじゃない。おれは今起こった、どことなく滑稽な出来事を、できるだけ健康そうに説明するために、ゆっくり息を整えた。

 そして口を開きかけた、その瞬間——。

 ドオンと体全体が震えて、天井まで跳んだ。

 部屋の中に浮かんでいた物がばらばらに飛び散って、床や壁に衝突して跳ねた。

 あわや、突然体の中が爆発したのかと思って本気で焦ったが、今度のそれは精神症状ではなかった。

 本物の振動だ。


 突如としてありあまるほどの冷静さがもたらされた。おれは天井を足場にして統合制御パネルに近づき、全方位視界のトグルを押し上げた。ガチンと歯車が嚙み合う音とともに、壁に張り付けられた有機ディスプレイがあたかも船体を透過した。

「なんや⁉」

 映し出されたのは〈桟〉の姿だったが、おれの知っていた景色とは違っていた。

 尖った槍の穂先のようなものが〈桟〉の外壁に突き刺さっていた。その表面は黒曜石のような得体のしれない輝きに照り返しており、水の中に沈んでいるかのようにも見えた。特徴的な二本の〝顎〟、そしてコクピットのように見える中央レンズがなければ、おれにもそれが何かわからなかったかもしれない。

「ふ、船だ」おれは息を整えながら言った。「駆逐艦クラスの……」

 つまり、最低でも200人から300人ほどが搭乗する船の、ちょうどヘッド部分に見える。

「ぐひ……」

 だめだ、なんかちょっと笑ってしまう。

 落ち着け! おれ! 健康第一だ! 狂人とは思われたくない!

 つまり、今以上には。

「事故ですか?」商人は不安そうだったが、それでも状況がわかっただけましだというような声色だった。

 おれの眼はよく動いた。

「あの塗装、妨害塗装ジャムコートの一種に見える」

「あ……」

 おれは商人の方に振り向いた。

「フフ……」おれはゴホンと咳をした。「なんだ。い、言えっw」

「まだ笑ってんの?」でんたくは心底から呆れていた。「いい加減、シローらしくしてよ」

「まだ復旧中だ」おれは唇の筋肉を動かした。「あと10%くらい、断片化してる気がする」

 商人はおれの状態を完全にスルーしており、どこか恐怖に駆られたような顔で頬を引きつらせている。おれのことが怖くなったわけではないようだ。

「まさか実行に移しはるなんて」彼はどこか上の空だった。「そうや、絶対そうや——」

 商人が言っている間にも、事態は少しずつ進行していた。船の口が開き、中からヒト型の物体が次々に〈桟〉の内部へ送り込まれてきたのだ。船外活動用外骨格EVEだ。しかし、それは横から見ると真にヒト型ではなく、ブースト用の推進器スカートと補脚の形で六つ足に見える。それゆえに〈蜘蛛〉と呼ばれているに相違なかった。

 商人は縮こまってつぶやいた。「モートルドットを殺しに来た傭兵部隊や。プラントはすぐに占拠されてまう」

 さすがに笑みは引いた。

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