第4話 果実の風と交渉の匂い
翌朝、まだ霧の残るラクトガルドの市場を抜け、俺はミルカと共に街の西端へ向かった。
目指すは“果実乾燥屋”、つまり干し果実の専門加工業者だ。ミルカの知り合いということで、俺は彼女の後ろを歩きながら、情報を整理していた。
「リク。今日の仕入れは、交渉にかかってる。あの婆さん、なかなか頑固でな」
「価格だけの勝負にならないということですね?」
「そう。婆さんは“顔”で取引するタイプだ。物を見る目はあるが、人間をよく見る」
ならば――俺の商売人としての“第一印象”が試されるということか。
丘を越えた先に、小さな木造の小屋があった。屋根の上には風向計がついていて、陽の光を反射していた。
その庭先には、低い棚が並び、網に広げられた果実が風にそよいでいる。
干しリンゴ、干しブドウ、干しバナナ――どれも見事な色合いだった。
「ミルカかい。珍しいじゃないか、こんな朝に」
出てきたのは、背の低い老婆だった。腰を曲げながらも目は鋭く、その背後では犬が二匹、静かに寝そべっていた。
「おばば。今日は紹介したいやつがいてな。新しく組んだ、屋台仲間だ。商売を始めて三日だが、なかなか骨のあるやつだよ」
「ほう……」
老婆の視線が俺に向けられた。その一瞥で、こちらの身なりも目つきも、すべて見透かされたような気がした。
「――橘リクと申します。市場で焼き干しイモを売っています。今回は果実の乾燥品を拝見したく、まいりました」
「礼儀は悪くない。だが、売り物はあたしの“孫”みたいなもんだ。適当に扱われたら、ただじゃおかないよ」
「ええ。真摯に商売させていただきます」
老婆は、ふんと鼻を鳴らすと、棚の果実を指差した。
「試してみな。舌の利くやつは、客の舌も読む。味がわからんやつには、売らん」
俺は干しリンゴをひとつ取って、軽く噛んだ。
甘さだけではない。酸味と、皮の香ばしさ。そして何より、水分をほどよく残した食感がある。
「……炭を使って低温で追い干ししてますね? 乾燥棚の向きも、風下にずらしてる。焦げ臭がない」
老婆の眉がぴくりと動いた。
「ほう。少しは舌があるようだね。何に使う?」
「単品販売もしますが、できれば焼き芋との“組み合わせパック”で提供します。栄養と腹持ち、保存性を武器に、行商人や冒険者向けに展開します」
「なるほど。で、いくら出す?」
交渉の時間だ。
「一籠、銀貨一枚。初回は三籠から。回転が早ければ継続して倍の発注を出します」
「ふざけるなよ、坊や。これは市場じゃ銀貨一枚五分が相場だよ?」
「相場は“街で売る”価格です。行商人向けに回す分、私の利益率は低い。その代わり、定期で買い付けます。収穫の谷でも、数を絞らず注文する」
「……冬の収穫後にも、同じ値段で買うと?」
「はい。季節変動を加味した“通年契約”で考えています。契約書も出します」
老婆の目が、鋭さを増す。
「書けるのかい? あんたに?」
「できます」
ミルカが横からぽつりと補足する。
「こいつ、字が綺麗で、帳簿もきっちり。ギルドの受付も一目置くってさ」
「……ほう」
老婆はしばらく考え――そして、頷いた。
「いいだろう。初回三籠、銀貨三枚で。契約書は今日のうちに作って持ってきな。次回は五日後。それでいいかい?」
「感謝します。商人として、誠意を持って続けます」
老婆は、笑わなかった。ただ、少しだけ目を細めて頷いた。
「ミルカ。こいつは育てな。骨はある」
「承知」
帰り道、ミルカが肩をすくめながら言った。
「おばばにあれ言わせたなら、本物だよ。初めて見たよ、取引相手に“骨がある”って言ったの」
「……嬉しいですね」
「で、契約書って、本当に書けるのか?」
「書けるけど、内容の整合性はあなたにも確認してもらいたい。異世界法の専門知識は、まだ不十分ですから」
「いいだろう。ギルドに雛形がある。あれを参考にして作るといい」
その夜、宿の明かりの下で俺は“異世界初の契約書”をしたためた。紙とインクに慣れない手で、正確に、読みやすく、そして丁寧に。
内容は、数量・頻度・単価・支払条件・天災時の対応・不作時の補償方法まで、可能な限り盛り込んだ。
「――これでいい。俺は、商人として、この世界で生きていける」
まだ剣も魔法も使えない。だが、交渉と信用だけで、今日も前へ進めた。
俺は、そういう“商人”になりたい。
――――――
あとがき
ご覧いただきありがとうございます!
今回は“仕入れ交渉”の話でした。物語上では地味に見えますが、ここが商人譚の真骨頂。
果実乾燥屋のおばばは今後も重要人物になります。彼女の語る“市場の歴史”や“かつての交易失敗談”などを通じて、リクの商才も育っていきます。
次回、第5話では新商品“果実芋セット”の市場初展開。商人たちの“嫌がらせ”と戦う最初の防衛戦が描かれます。どうぞご期待ください!
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ここまで読んでくださりありがとうございます。
本作は「戦わない異世界成り上がり商人譚」として丁寧に描いていきます。
更新の励みになりますので、「いいね」や「フォロー」「レビュー」など、応援よろしくお願いいたします!
リクとミルカの商人道は、まだ始まったばかりです。
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