◉ 九 月 ◉

[9月7日 13:00]お好みは?

 カウンター席の左奥。季節が変わろうと、僕の定位置と喫茶『ハーデン・ベルギア』の雰囲気は何ら変わりない。


 日曜の昼下がりという、カフェなら絶好の儲け時にも拘らず、店内の客は静かにブレンドコーヒーを啜る一人だけ。マスターはそれを気にする素振そぶりも無い。口出しする事じゃないが、経営とか大丈夫なんだろうか。この店が潰れたりすると、その、色々と困るんだが。


 などと要らぬ心配をしていると、入口のドアベルが音を鳴らす。


「レン、今日も元気〜?」


 モカがニヤけた小顔で、手を小さく振った。


「……お陰様で」


 思わず先週の妄想が再燃しかけたが、カフェインを流し込む事で鎮火させた。やはり珈琲は精神安定に欠かせないな、と改めて感謝した。


「九月になって、急に過ごしやすくなったね〜」


 そう言った彼女の今日のコーデは、薄手の長袖シャツの下に、丈長のジーンズを穿いている。けれど足元は黒のストリングサンダルで、生身の指が覗いている。


 夏場はガンガンに効いていた店内の空調も、今日は弱冷房車くらいの大人しさだ。


「カフェラテどうする? アイスか、ホットか」

「うーん……今日はまだアイスでいいかな!」

「了解」


 僕の注文に続けるように、モカがチョコチップ・スコーンを二つ頼む。この感じにも慣れたものだ。


 近付いてきた靴音は、僕から数えて椅子六つ分を離した位置で止まった。間の空席は、先週と変わらず五つ。


 着席する彼女を何とはなしに眺めていて、ふと、気付く。


「髪、結構伸びたな」


 気付いた事を、そのまま口に出していた。


「でしょ? 夏の間は整えるだけだったから」


 モカは右手で栗色の後ろ髪を撫で付ける。初めて会った時はボーイッシュな程のショートヘアだったが、今はもう肩に付くどころか、前に持ってくれば胸元くらいまで伸びていた。


「次の髪型どうしようかなぁ。まだ決めてないんだよねぇ」

「ふぅん」


 ——モカの容姿なら、なんでも似合いそうだけどな。


 というのは心の声に留めた。


「あっ、そうだ!」


 いかにも「いいこと思いついた!」という顔。僕はすぐさま警戒する。


 こちらに向き直った彼女は、予想通りと言うか、小悪魔のような笑みを浮かべていた。


「レンが私の髪型決めてよ!」

「はあ?」


 意図せず呆れ声が漏れた。


「なんで僕が——」

「だって毎週会うわけだし、好みの髪型にした方がレンも嬉しいでしょ?」


 ——それはまあ、一理あるかもしれないが……。


「ほらほら! どんなのが私に似合いそう?」


 モカは腰と後頭部に手を当てた、よくありがちなセクシーポーズを決めてウインクしてみせた。演技にしか見えないのに、もとが良いせいで多少なりとも色気を感じさせるのがズルい。


 ——モカに合う髪型、か……。


 セミロングの茶髪と言うと、真っ先に思い浮かぶのは、後ろ髪を身体の前に持ってきて、毛先を内向きにカールさせた清楚感あるスタイルだろうか。


 ——清楚? モカが?


 黙ってれば有りだが、絶対にキャラと合ってないな。却下で。


 パーマを当ててウェーブにした大人っぽい感じも、たぶん違うだろう。中身とのギャップが。


「ねえ。なんか失礼な事考えてない?」

「べ、別に?」


 急に怪訝な顔で指摘されたもんだから、てっきり心の中を読まれたのかと焦ってしまった。そんなに表情に出していないと思うのだが……。これが女の勘というヤツなのか。


 改めて、思考を再開する。


 元気さに合うのはポニーテール——にするには、まだ髪の長さが足りないようにも思う。


 前髪と耳周りだけ短くしてウルフカット寄りにするのはどうだろうか。いや、それはマニッシュ過ぎるかもしれない。


 ——てか、他人の髪型を僕の好みに変えられるのって、なんだか背徳感と言うか、何と言うか……。


 気付くべきで無いものに気付き、口元が崩れそうになった。咄嗟にマグカップへと手を伸ばす。カフェインだけが今の僕の味方だ。


 ——落ち着け。ただ彼女の印象に合う髪型を考えるだけでいいんだ。


 僕の中にある、モカのイメージ。陽気で、無神経で、社交的で、大雑把で——


「……ショートで」

「え?」

「だから、ショートヘアで」


 同じ答えを反復し、カップに口を付けた。


「前と変わんないじゃん。いいの?」

「変わってほしくないんだよ」


 本心を濁したつもりで、そう言った。だがそれがお気に召したのか、彼女の目元が和らぐ。


「そっかそっか。レンは最初から私が好みだった、って事ね!」


 喉を通過中だった珈琲が謀反を起こした。


「ゲッホ、ゲホッ! どう解釈したら、そうなるんだよ!」

「慌てちゃってぇ、図星だってバレバレだよ〜?」


 悪い笑顔を向けるモカ。ここ最近、彼女の手の上で転がされっぱなしな気がして、妙に悔しい。


「っと、もう美容室の時間だ!」


 ストラップの付いたスマホの画面を見た彼女は、大慌てで会計を済ませる。


「それじゃ、バッサリ切って、レンの好みの髪型にして来るからね!」

「……楽しみにしとくよ」

「うんっ! また来週ねっ!」


 歩きつつ、そう約束を言い残すモカを見送った。

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