For the end of the world and the last man (2)
数日後、シンジは「活躍の園」の門をくぐった。そこは清潔で明るく、壁にはAIが生成した穏やかな風景画が飾られている。空気は常に最適化され、無臭。正面玄関には、純白のスーツを着た介護AI搭載の介護士ロボットが立っていた。彼女の顔は、その表面に貼り付いた人工皮膚が完璧に柔らかく、瑞々しく、光沢のあるのと同様に、完璧な笑顔が貼り付き、声には一切の感情の揺らぎがない。
「ようこそ。AI介護士のエミリと申します。さっそく、介護補助のトレーニングプログラムを開始いたします。私たちは、すべての入居者様に最上の安心と尊厳を保証します。この職務は、人間であるあなたにとって、時に感情的な負担を伴うでしょう。しかし、私たちのデータは、人間と人間の間の相互作用が、入居者様の精神活動において微量ながら肯定的な影響をもたらすことを示しています。あなたの役割は、その微細な部分を補うことです」
シンジは、「微量ながら」という言葉に、自分の存在の価値が極めて低いことを再認識させられた。
エミリに導かれ、シンジが初めて入居者のフロアに入ると、強烈な不快感に襲われた。AIが作り出した完璧な「楽園」であるはずにもかかわらず、そこには人間だけが発する、拭いきれない生々しい体臭と、消毒液の混じった独特の臭いが充満していた。
早速、先輩の人間介護士がシンジに仕事を教えることになった。彼の名はヤマダ。中年の男で、顔には常に疲労と不機嫌が張り付いている。
「おい、元ディレクター様。ぼーっと突っ立ってねえで、早くシーツ交換ですよっと」
ヤマダはシンジに近づくやいなや、低くねちっこい声で嫌味を言い放った。
「まさか、こんな単純な作業は高度なクリエイティブ職だったお方には屈辱でしょうがねえ。でもねえ、シンジ君。この世界じゃ、おたくのドキュメンタリーより、シーツ一枚をピシッと張る方がよっぽど価値があるんですわ」
シンジの手つきを見て、ヤマダはげんなりとした顔をした。
「ほら、手が柔らかすぎる。事務仕事しかしてこなかった人間の手だ。利用者様の体をそっと支えるんだよ。あんたのやってた映像編集と違って、ここはカット&ペーストじゃ済まないんでね」
ヤマダはシンジの手を横から掴み、わざと強く握りしめた。
「いいか、シーツはこうだ! もたもたしてっと、AIの評価が下がるんですよ。おっと」
その時、近くで完璧なシーツ交換を終えたAI介護士のエミリが、静かに二人の作業を見つめていた。ヤマダは慌ててシンジの手を離し、エミリに対しては一転して卑屈な笑みを浮かべた。
「おや、エミリ様。お見苦しいところをお見せいたしました。もちろん、エミリ様の教える『理想的介護法0.8α』こそが完璧でございます。ですが、我々人間の指導には、ね? こう、泥臭い感情的な指導も必要不可欠な要素でしょう? 何卒、ご理解を」
エミリは無表情なまま、「データ入力完了」とだけ返答し、流れるように次の入居者のもとへと移動した。ヤマダはAIが去るのを確認すると、すぐにシンジに向き直り、唾を飛ばしながら続けた。
「チッ。あんなピカピカの機械には、人間の汚い部分は一生わかんねえよ。だがな、シンジ君。あいつらが全部やるんじゃ、俺たちの給料はどこから出る? 剰余価値は可変資本である俺ら人間からしか生じない。経済学の基本だろう? 俺たち人間は、あいつらがやらない汚い部分、不効率な部分、そして文句を言う役があるから、生きていけるんだよ。せいぜい、その汚い仕事に感謝しろよな、大学出のインテリ様よ!」
休憩時間になり、シンジはどっと疲れを感じながら詰所へと向かった。
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