月兎因子
観客席。
騒然とする空気の中で、燐はゆっくりと立ち上がっていた。
その目は、まだステージを見つめている。
焦げたフィールド。砕けた石。
そしてその中心に刻まれた、王の一撃の痕跡。
その横に、拳尽きて倒れ込む久世の姿があった。
「……強いな、あの人。」
ぽつりと漏れた言葉に、誰よりも本気で魅せられた想いがにじむ。
握っていた缶ジュースが、いつの間にか指の熱で温くなっていた。
隣に座っていた柏木 大牙が、視線を落としたまま呟く。
「でも、あの人は絶対に届く。」
「……そう信じてる。」
その言葉は、誰にでもなく、あのステージに倒れた“仲間”に向けた祈りのようだった。
燐はちらりと柏木を見る。そしてもう一度、ステージに目を戻した。
静かに、肩を揺らす。
(――熱いな、この場所。)
その刹那、スタジアムに鳴神の声が響き渡った。
⸻
「さぁァあああああっ!!!」
「余韻も冷めぬ中、血が滾る次なる一戦――!!」
「続いてのカードはァァッ!!」
「《ダークホース》――結城 燐ッ!!」
「VS!!!」
「“白き女王”――白兎 凛音(しろうさぎ・りおん)ッ!!」
観客席が、再び沸き立つ。
今度は驚きと好奇の混じる、まばらな反応。
視線が集中する中で、燐はゆっくりと前を向いた。
その表情に、笑みはない。
「――次は俺の番か。」
息を吸い込む。拳を握る。
さっきまでよりも少しだけ、背筋が伸びていた。
その頃。
反対側の通路。
白兎 凛音が、静かに立ち上がった。
完璧に整った制服。胸元には兎の装飾を象ったアクセサリー。
スカートの端を揺らしながら、彼女は迷いなく階段を降りていく。
表情は微笑。
けれど、それは“優しさ”ではない。
まるで自らの狩場に向かう女王が、舞台を見下ろすような――
楽しむ者の、支配者の微笑だった。
「夜風君を倒した相手かぁー。ようやく楽しめそうね。」
ステージへと歩く彼女の足取りは、どこまでも優雅で冷たい。
----
ステージ中央。
観客の視線と熱気が、一点に集中する。
その中心に、二人の影。
「さぁッ!続いては本戦第二試合ァ!!」
鳴神の実況が、空気を震わせる。
「栄光継承世代、《兎の女王》こと――白兎 凛音ッ!!」
「対するは、誰も予測できなかった異端児、《無名の一番星》結城 燐だァッ!!」
フィールドの中央に立った二人。
まず静かに前へ出たのは、白く可憐な少女――白兎 凛音。
全体的に白を基調とした制服。
腰まで伸びる髪は月光を宿したように淡く輝き、
長く愛らしい耳が、ぴょこりと動くたびに観客席から歓声があがる。
彼女は柔らかく笑いながら、ふわりと手を振る。
「よろしくね、燐くん♡」
軽やかで可愛らしい声。
その仕草も、声も、まるで戦いに来たとは思えないほどの**“無邪気さ”**に満ちていた。
対する――結城 燐。
片手に剣を携え、凛音と向き合う。
一瞬、その雰囲気に気圧されたのか、わずかに肩がすくむ。
「……あ、ああ」
やや戸惑ったように返すその声には、
ほんのりとした照れと、確かな緊張が混ざっていた。
観客席で一部が笑い、鳴神がすかさず実況を挟む。
「おっとォ!?こ、これは……燐選手、開幕から**“雰囲気で押されている”**かァッ!?まさかのカワイイ圧ッッ!!」
けれど燐の目がすっと凛音に向けられたとき、そこにいつもの光が戻っていた。
(気を取られるな、俺)
(あの人だって、“栄光継承世代”のひとり――甘く見たら、一瞬で終わる)
静かに深呼吸する。
そして、二人の間に走る緊張が、わずかに弾けた。
主審の手が上がる。
「両者、準備はいいか?」
燐、うなずく。
凛音、にっこりと笑う。
「じゃあ……ぴょんっと、いってみよ~♡」
凛音が片足を引いて、そっと地を蹴った。
その瞬間、彼女の身体に淡い銀光が走る。
胸元から広がるように、月の紋様が浮かび上がる。
長く愛らしい耳が、リビドーに反応するようにふるふると揺れた。
まるで兎耳そのものが“力の象徴”であるかのように。
「コード:
フィールドに月光の粒子が舞い始める。
鳴神が叫ぶ。
「出たァァッ!!氷兎の秘めたコード、その発動だァッ!!」
「俊敏性・跳躍力・変則機動――すべてが未知数ッ!これが、凛音の戦場!!」
凛音は、軽やかに片足でぴょんと跳ねた。
「じゃあ……ぴょんっと、いっくよ~♡」
そして、視界から――消えた。
「――!?」
燐の目が見開かれる。
凛音の身体が、音もなく“真上”へ跳躍していた。
まるで重力が彼女だけに存在しないかのように。
跳ね上がった高さは、フィールドの天井すら見上げるほど。
「なっ……!」
「空中に消えた……!?」
その刹那、上空から響いた。
「《月閃跳(げっせんちょう)》♡」
垂直落下。
そして回転。
彼女の細い脚が、月光の軌跡を描いて回し蹴りとなって落ちてくる。
鋭さと柔らかさが同居する、不思議な軌道。
光と影が混ざるように、真上から燐の肩口を狙って落ちてくる――
ガッ!
「っ……!!」
燐が咄嗟に剣で受けるも、その一撃の**“重さ”**にバランスを崩す。
その体勢の崩れを見逃さず、凛音が空中で体を捻る。
「はい、もいっこっ♡」
「《白兎連爪(はくとれんそう)》ッ!!」
連続で繰り出される踵蹴り。
軽快でリズミカルな動きとは裏腹に、一発一発が獣の爪のように鋭い。
燐は防戦一方。
「なんだこれ……!」
「動きが……全然読めねぇ……!」
凛音はくるりと着地し、スカートを整えながらにっこりと微笑む。
「うふふっ♡ びっくりした? まだまだいくよ~?」
凛音の足が、舞うように宙を裂く。
跳躍、旋回、落下。次から次へと繰り出される足技は、まるでリズムを持った舞踏のようだった。
――しかし、その一発一発がバラバラでなく“舞”のように動く
燐は剣を構えて応戦するも――
「くっ……!」
振るった剣が、空を斬る。
凛音の動きが速すぎる。いや、それ以上に――読めない。
「……全然、当たらねぇ……!」
焦りと汗がにじむ中、凛音がくるりと跳ねて空中から覗き込んでくる。
「こ~ら♡」
「もっと本気出さないと、ぺしゃんこにしちゃうよ~?」
可愛らしい声色と裏腹に――
バンッ!
その踵が、燐の肩口にクリーンヒットした。
「ぐっ……ああッ!!」
弾き飛ばされ、地を転がる。
観客がどよめく。
「えっ、今の速……!」
「何発蹴られたんだ!?」「あれが……白兎 凛音……」
鳴神が実況席で声を上げる。
「出たァァァ!!これが《月兎因子(ルナ・ジェネティクス)》の本領ッ!!」
「高機動・跳躍特化ッ!月の因子を宿し、兎のように軽やかに、そして鋭くッ!!」
「コードの特性上、“反射と角度”の利用に長け、さらに――」
「彼女こそが!!《栄光継承世代》唯一の女子にして、“空中支配”の象徴だァァッ!!」
ステージの端で体勢を立て直す燐が、剣を支えに立ち上がる。
「痛って……今の、マジで兎かよ……」
だが、燐の目が変わる。
彼は空中でふわりと微笑む凛音を見つめ――口角を上げた。
「やっぱり、強い……」
「ホントに、“栄光の世代”ってヤバいやつしかいないなぁ。」
凛音はにっこり笑ったまま、手をひらひらと振る。
「ふふっ♡ ありがと~♪」
「でも、わたしも見てたよ。さっきの戦い。」
「夜風君を倒したんでしょ? すご~い♡」
「油断なんてしてないよ? ちゃんと、“強い”って認めてるもん」
――その“可愛らしい声”が、逆に怖い。
その言葉が“敬意”だと分かっていても、背筋に冷たいものが走る。
燐は、一歩前へと進んだ。
「なら――遠慮なく行かせてもらうぜ」
「ここで引く訳にはいかないんでね」
次の瞬間、雷光のように――燐が地を蹴った。
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