祭典前夜

夜の帳が降りたオルディナ学園。その中央区に佇む、学園内とは思えぬ格式高いレストラン――《ルミエール・サロン》。煌めくシャンデリアとクラシカルなピアノの音色が、店内に穏やかな気品をもたらしていた。


普段は立ち入ることすら躊躇するような空間に、今、燐とましろの姿があった。


「ここ……ほんとに学園の中なの?」

ましろが目を丸くし、そわそわと落ち着かない様子でテーブルに着く。対する燐も、どこかぎこちない。


「本選出場者限定のペアチケットだって。タダなら、ちょっとくらい背伸びしてもいいよな」


燐の言葉に、ましろは頬を緩める。

だがその笑顔はすぐに心配の色に変わった。


「……ねえ、怪我は大丈夫?予選から戦い、すごく激しかったし……」


「大丈夫。ちょっと疲れたくらいさ。……それよりましろ、応援に来てくれてありがとう。」


「うん、こっそりだけど。でも、ほんとに凄いよ。予選突破だなんて」


ワイングラスの中でオレンジジュースが静かに揺れた。2人の間にふと、真剣な空気が走る。


「ねえ、もし……獅堂くんと当たったら、どう戦うつもり?」


ましろの問いに、燐はしばし沈黙した。


「……正直、わからない。今日のあの試合、まるで別格だった。あれを見たら、まだまだ俺なんて……って思うよ。でも――」


彼はゆっくりと前を向く。


「勝ちたいって気持ちは、今まで以上に強くなった。どんな壁でも、乗り越えたいって、そう思ったんだ。

俺はこの大会で最強を超えるよ。」


「りんくん……」


ましろはそっと手を伸ばしかけたが、すぐに引っ込める。けれどその視線には、確かな熱が宿っていた。


「大丈夫。きっと超えられるよ、りんくんなら。私、ずっと応援してるから」


テーブルのキャンドルが静かに揺れる。その灯火が、2人の距離をほんの少しだけ近づけた気がした。



そんな会話の最中――

「久しぶりね、燐くん」


突然、背後から柔らかくも芯のある声が響いた。

振り向くと、そこにはドレスコードを完全に無視した、白衣姿の女性が立っていた。


「玖城先生……!?」


「まさかこんな場所で会うなんて思わなかったわ。予選、ちゃんと見てたのよ。……あなた、すごかったわね」


白衣の裾を揺らしながら、玖城 澪は空いていた椅子にすっと腰を下ろす。

ましろが少し驚いた顔を見せるが、玖城は気にせず続けた。


「でも最初に見た時から変わってない。いつも傷だらけ。あなたって、本当に心配な子なのよね」


「……そう言われると、なんも言えないですけど」


「獅堂くんに、勝つつもりなんでしょ?」


ピタリと止まる空気。

燐は、グラスの水に視線を落とし、静かに頷いた。


「ええ。そう、でも今のままじゃ無理ね。なぜなら――あなた、まだ“コード”を使いこなせていないもの」


燐はハッと顔を上げる。


「俺の……コード?」


「そう。あなたの《ファントム・コード》――幻心の具現。心を具現化する力。名前の割に、今出せるのは剣と盾くらい。……正直、チープよ」


「……確かに。でも……どうしてそんなこと……」


「私は保健の先生よ?」

そう微笑んで、彼女はましろの紅茶を勝手に一口飲む。


「誰がどんな怪我をしてもすぐ対応できるように、全生徒の“コード”はちゃんと把握してるの。……保健の業務って、案外ハイレベルなのよ?」


燐は、初めて彼女を“すごい人”だと感じていた。

普段はどこか抜けた印象だったが、その瞳は今、獅堂に並ぶほどに鋭い。


玖城は微笑んだまま、言葉を続ける。


「あなたの心は、まだ形になりきれていない。もっと奥に、深い感情があるはずよ。……剣も、盾も、ほんの入り口。真の《幻心》は、これからよ」


ましろが静かに、燐を見つめた。


「……燐くんの“本当の心”、どんな形になるんだろうね」


「……自分でも、わからない。でも、知りたい」


小さくつぶやいたその声が、レストランの静けさに溶けていった――。




夜のオルディナ学園、外縁の市街地。

時刻は深夜一時。喧騒も静まり返り、街灯だけが舗道に淡い光を落としていた。


静寂を破るように、黒いフードを被った少年が街角の影からゆっくりと姿を現す。

《生徒会・庶務》篠原悠真――一年。

彼は左耳に小型のイヤホン型通信機を装着し、淡々と報告を始めた。


「こちら篠原、観察対象に異常なし。引き続き監視を続行します」


彼のコード――《観察視野(オブザーブ・グリッド)》は、

一度視認した対象の“位置”“状態”“動線”を自動追跡し、空間上に表示する監視・索敵特化の能力だ。

本来ならば、どれほど慎重に隠れていようと、記録された対象は逃げられない。

にもかかわらず――桐原影渡の行動は“掴めない”。


(こいつは、なにかを隠している。いや、もっと……やばい何かと、繋がってる――)

篠原の内心に、薄いが確かな“確信”が浮かぶ。


だが、それを証明する証拠が、どこにもない。


イヤホン越しに低く、落ち着いた声が返ってくる。



「了解。無理はするな。何かあればすぐ報告を」

《生徒会長》九条 理央(くじょう・りお)――この学園の影の頂点に立つ存在だ。


「……はい、会長」


通信を切った後も、篠原は視線を前方に固定したまま息を潜めていた。

その視線の先には、数十メートル離れたベンチに腰を掛ける、ひとりの生徒。


《桐原 影渡(きりはら・かげと)》――

表面上は無害だが、九条の命で長期監視が続けられている男だ。


「……数ヶ月、やつの生活リズム、行動パターン、全て追ってきました。

けど……なにかが“抜けて”いる。見えない空白があるんです。確かに監視してるはずなのに、肝心な部分に届かない。まるで“記録できない領域”があるみたいだ……」


そこには焦りにも似た、違和感が滲んでいた。


(数ヶ月監視してるが……本当に何もない)

(だが、それが一番おかしい)


記録は完璧に整い、行動パターンも常に一貫している。

不自然な点は一つもない――なのに、心の奥底で何かが引っかかっている。


(……俺は、本当に“全部”見てきたのか?)


そう、まるで何か大切なことを――観たはずの何かを――

「忘れさせられている」ような……そんな、違和感。


「桐原影渡……一体、お前は何を隠してるんだ――」


その瞬間だった。


視線の先にいた桐原が、ゆっくりとこちらを向いた。

目が、合った。


(……っ!?)


ゾクリ、と背筋が凍る。


桐原の顔はいつもと変わらない――笑ってもいない、怒ってもいない。

だが、そこに浮かんでいるはずの「無関心」が、今はなぜか不気味に思えた。


篠原は直感的に“危険”を感じ、身を引くように一歩、後ずさった。


そのときだった。


「……!?」


首筋に、生暖かい“手”の感触。

――背後から。


振り向く暇もなかった。


ぐらり、と視界が歪む。

光が滲み、世界がぐらつく。

地面が迫る。


(……俺は、なにを……)


意識が、深い闇に飲まれていった。



──朝の鐘が鳴り、静寂を破るように空が弾けた。


ドォン、と轟音。

高く打ち上がる魔導花火が、空に鮮烈な彩を描く。


赤、青、金、紫――。

色とりどりの爆光が弧を描き、観客席からどよめきが起こる。


オルディナ学園の中心に広がる、巨大な円形闘技場セレスティア・ドーム

普段は封鎖されているその場所が、今日だけは学園祭レガリア・オーダーのために開かれている。


ステージ上空を覆う魔導スクリーンには、無数の観客の熱気と共に、選手たちのシルエットが次々と映し出されていく。


「さあさあさあッ!! お待たせしましたぁあああ!!!」


爆発するような熱量と共に、実況席から飛び出したのはあの男――

声の《コード》を持つ実況担当、鳴神 雄吾。


「ついにやってまいりましたっ! 学園祭レガリア・オーダー!!

熱き予選を勝ち抜いた、16名の戦士たちが今、ここに集う――ッ!!!」


観客席が一斉に沸き立つ。地鳴りのような歓声。割れるような拍手。


ステージに続くゲートが開く。

そこから、ひとり、またひとりと歩み出る選手たち。


重厚なオーラをまとった上級生。

並み居る強者を薙ぎ払って勝ち上がった2年生。

そして、旋風を巻き起こした1年生たち――


一様に、その目に宿るのは覚悟と闘志。

その誰もが、“本気”だった。


「なんというオーラ……! この16人、誰ひとりとして凡庸じゃないッ!

“あの世代”――そう、《栄光継承世代(グローリー・ヘリテージ)》の姿もあるぞぉ!!

これは……波乱の予感しかしないッ!!」



ざわめく会場。歓声の渦の中、スクリーンに映る各選手の姿が順次浮かび上がる。

圧倒的な威圧感を放つ獅堂。冷静沈着な神代。無口な久世。飄々とした雷堂。美しくも凍てつく氷室――

そして、無数の強者を斬り抜けてきた“異端”の1年生、燐。


「さあ、歴代最強と名高い今年の《本戦》……いよいよ、開幕だぁああああ!!!!」


轟音のような歓声が空に響き渡った。






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