第8話 最後の証人

 事件から一週間が経った。


 国立記憶図書館は、大規模な改革の最中にあった。黒崎前館長の逮捕を受けて、記憶管理システムの全面的な見直しが始まっていた。


 アキラは、いつものように第七区画で仕事をしていた。ただし、隣には新しい同僚がいる。


 結城玲奈。


 彼女は正式に図書館の職員として採用された。五十年間の記憶の中での経験が評価され、特別研究員という立場で。


「ねえ、アキラ」


 玲奈が話しかけてきた。実年齢に近い姿になった今も、その声は変わらない。


「この記憶、分類が間違ってない?」


 アキラは彼女が示す本を見た。確かに、カテゴリーが違っている。


「本当だ。君の言う通りだね」


 二人で作業をしていると、氷室ユリが現れた。


「お二人とも、ちょっといいですか」


 会議室に通されると、そこには意外な人物がいた。


 年老いた女性。車椅子に座り、優しい目でアキラを見つめている。


「初めまして。私は、藤原……いえ、今は佐藤花子と名乗っています」


 アキラは息を呑んだ。


「もしかして、夕影町の……」


「はい。生存者の一人です。そして」


 女性は微笑んだ。


「あなたのお祖母様、千代さんの親友でした」


 玲奈が身を乗り出した。


「花子さん! 覚えてる。いつも千代ちゃんと一緒にいた」


「玲奈ちゃんも、元気そうで何より」


 花子は、懐かしそうに玲奈を見つめた。


「実は、お話ししたいことがあって」


 花子は、古い写真を取り出した。そこには、幼い頃の千代と花子、そして玲奈が写っている。夕影町での、幸せな一コマ。


「千代さんは、事件の後、必死に生きました。記憶障害と闘いながら、家族を作り、あなたのお父様を育てた」


 アキラは写真を見つめた。祖母の若い頃の姿を見るのは初めてだった。


「そして、いつも言っていました。『いつか、玲奈ちゃんが帰ってくる。その時は、私の孫が助けになる』と」


 アキラの目に涙が浮かんだ。祖母は、すべて知っていたのか。


「千代さんは、あなたに特別な贈り物を残しています」


 花子は、小さな箱を差し出した。中には、古い鍵と手紙が入っていた。


 手紙を開くと、祖母の文字が並んでいた。


『アキラへ


 あなたがこれを読んでいるということは、玲奈ちゃんと出会えたのですね。


 私たちは、五十年前にすべてを失いました。でも、記憶だけは消えなかった。


 夕影町の記憶、友達との思い出、そして生きる希望。


 この鍵は、夕影町の共同墓地にある、記念碑の鍵です。


 そこに、私たちの本当の記憶が眠っています。


 どうか、玲奈ちゃんと一緒に、訪れてください。


 そして、私たちの分も、幸せに生きてください。


 愛する孫へ 千代』


 アキラは手紙を抱きしめた。祖母の愛が、時を超えて届いた。


「ありがとうございます」


 アキラは花子に深く頭を下げた。


「いいえ」


 花子は首を振った。


「お礼を言うのは私の方です。あなたのおかげで、玲奈ちゃんが帰ってきた。そして、真実が明らかになった」


 氷室が口を開いた。


「夕影町事件の全容が明らかになったことで、政府も正式な謝罪と補償を検討しています。遅すぎましたが」


「でも、これで前に進める」


 玲奈が言った。


「過去に囚われるのではなく、未来を生きることができる」


 花子は満足そうに頷いた。


「千代さんも、きっと喜んでいるでしょう」


   *


 その週末、アキラと玲奈は夕影町跡地を訪れた。


 今は公園になっている場所の片隅に、小さな記念碑があった。犠牲者の名前が刻まれている。


 アキラは祖母の鍵を使い、記念碑の扉を開けた。


 中には、たくさんの手紙と写真が保管されていた。生存者たちが、少しずつ集めた思い出の品々。


「見て」


 玲奈が一枚の写真を手に取った。


 夏祭りの写真。浴衣を着た子供たちが、楽しそうに笑っている。その中に、幼い玲奈と千代の姿があった。


「みんな、幸せだった」


「うん」


 アキラは玲奈の手を握った。


「でも、今も幸せだよ。君と一緒にいられて」


 玲奈は微笑んだ。五十年の時を経て、ようやく本当の笑顔を取り戻した。


 二人は、記念碑に花を供えた。


 風が吹き、桜の花びらが舞った。まるで、夕影町の人々が、祝福してくれているかのように。


 過去は変えられない。


 でも、記憶を大切にしながら、新しい未来を作ることはできる。


 アキラと玲奈は、手を繋いだまま、ゆっくりと歩き始めた。


 これからの人生を、共に歩むために。

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