第2話 記憶図書館
昼休み、アキラは図書館の最上階にある職員食堂にいた。窓の外には、都市の風景が広がっている。しかし、アキラの目には何も映っていなかった。
国立記憶図書館。
正式名称は「国立記憶保管・管理機構中央図書館」。五十年前、記憶を物理的にデータ化する技術が確立されてから建設された、世界最大の記憶保管施設だ。
人間の記憶は、特殊な装置によって抽出され、本の形に変換される。その本を読めば、記憶の持ち主が体験したことを、まるで自分が体験したかのように感じることができる。もちろん、プライバシー保護のため、本人の同意なしに記憶を読むことは禁じられている。
図書館は十五の区画に分かれている。
第一区画から第六区画は、出生から死亡までの基本記憶。第七区画から第十二区画は、日常記憶や専門記憶。そして第十三区画から第十五区画は、特殊記憶だ。
第十三区画は、封印記憶。何らかの理由で一般公開できない記憶が保管されている。犯罪に関わる記憶、国家機密、あるいは本人が封印を望んだトラウマ的な記憶など。
アキラは、食堂の隅でサンドイッチを齧りながら、携帯端末で検索を続けていた。レイナ、玲奈、れいな……どんな表記で検索しても、該当する記憶は見つからない。
「おい、篠崎」
声に顔を上げると、同期の職員が立っていた。
「どうした? 顔色悪いぞ」
「ちょっと、調べ物があって」
「そうか。ところで、聞いたか? 緊急招集だってさ」
「緊急招集?」
「ああ。十分後に大会議室に集合だと。何か大事なことがあるらしい」
*
大会議室には、すでに多くの職員が集まっていた。重苦しい空気が漂っている。
壇上に、館長の黒崎正臣が現れた。五十代半ばの、銀髪の紳士だ。普段は温和な表情をしているが、今日は違った。厳しい表情で、職員たちを見渡している。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
黒崎の声が、会議室に響いた。
「残念なお知らせがあります。今朝、第十三区画の記憶編纂室で、山崎進司書が遺体で発見されました」
会議室がざわめいた。山崎は、ベテランの司書だ。封印記憶を扱う第十三区画で、二十年以上勤めている。
「詳細は捜査中ですが、他殺の可能性が高いとのことです。警察と、記憶犯罪対策局が合同で捜査にあたることになりました」
記憶犯罪対策局。記憶に関わる犯罪を専門に扱う、特殊な捜査機関だ。
「職員の皆さんには、捜査への全面的な協力をお願いします。また、本日より、図書館内の警備を強化します。不審な人物を見かけたら、すぐに報告してください」
黒崎の説明が続く中、アキラは不安を感じていた。カオリが言っていた「妙なこと」というのは、これのことだろうか。
会議が終わり、職員たちが席を立ち始めた。アキラも立ち上がろうとしたとき、カオリが近づいてきた。
「ちょっと」
小声で囁かれ、アキラはカオリについて行った。人気のない廊下で、カオリは振り返った。
「山崎さんのこと、変だと思わない?」
「変って?」
「記憶編纂室は、完全な密室よ。その記憶の持ち主しか入れない。なのに、山崎さんは中で殺されていた」
記憶編纂室。記憶を編集・修正するための特殊な部屋だ。セキュリティは極めて厳重で、登録された記憶の持ち主以外は絶対に入れない。
「じゃあ、どうやって……」
「それが謎なのよ。しかも」
カオリは声を落とした。
「山崎さんが殺されたのは、他人の記憶の中だったらしい」
「他人の記憶の中?」
「詳しくは知らないけど、山崎さんは誰かの記憶を編集中に、その記憶の中で殺されたみたい。でも、そんなこと、技術的に可能なの?」
アキラは困惑した。記憶の中で人を殺すなど、聞いたことがない。
「それに、現場には奇妙なメッセージが残されていたって」
「メッセージ?」
「『夕影を忘れるな』」
夕影。その言葉に、アキラは既視感を覚えた。どこかで聞いたような気がする。しかし、思い出せない。
*
午後、アキラは第十三区画へ向かった。現場を見たいわけではない。レイナの記憶が、もしかしたら封印記憶として保管されているかもしれないと思ったのだ。
第十三区画の入り口は、警察によって封鎖されていた。黄色いテープが張られ、警官が立っている。
「すみません、第七区画の篠崎です。ちょっと確認したいことがあって」
「申し訳ありませんが、現在、第十三区画は立ち入り禁止です」
警官は事務的に答えた。
諦めて引き返そうとしたとき、中から人が出てきた。黒いスーツを着た、二十代後半の女性だ。切れ長の目が、アキラを見据えた。
「篠崎アキラさんですね」
「はい」
「記憶犯罪対策局の氷室ユリです。少しお話を聞かせていただけますか」
有無を言わせぬ雰囲気だった。アキラは頷いた。
近くの会議室に通された。氷室は向かいに座り、手帳を取り出した。
「山崎進さんとは、どのような関係でしたか」
「特に親しいわけではありませんが、同じ図書館の職員です」
「最近、山崎さんと話したことは?」
「いえ、ほとんど接点はありませんでした」
氷室は鋭い目でアキラを見つめた。
「では、なぜ第十三区画に?」
「それは……」
アキラは言葉に詰まった。レイナのことを話すべきだろうか。しかし、誰も彼女のことを覚えていない。下手をすれば、自分が精神的に問題があると思われるかもしれない。
「個人的に、探している記憶があって」
「どんな記憶ですか」
「それは……プライベートなことなので」
氷室は少し間を置いてから、別の質問をした。
「最近、図書館で不審なことはありませんでしたか。例えば、記憶の改竄や消去など」
カオリの警告を思い出した。深入りするな、と。
「特には」
「そうですか」
氷室は手帳を閉じた。
「もし何か思い出したら、連絡してください」
名刺を渡され、アキラは解放された。
会議室を出ると、廊下の向こうに黒崎館長の姿が見えた。誰かと話している。相手の顔は見えないが、子供のような小柄な人影だった。
しかし、瞬きをした瞬間、その人影は消えていた。館長だけが、一人で立っている。
アキラは目を擦った。疲れているのだろうか。それとも——
ポケットの中で、何かが震えた。手帳だ。取り出して開くと、レイナとの写真があったページが、完全に白紙になっていた。
彼女の姿が、完全に消えてしまった。
そして、白紙のページに、薄く文字が浮かび上がった。
『助けて』
レイナの筆跡だった。
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