第4話 新学期の朝
冬休みが明け、新学期を迎える初日の早朝。
目覚まし時計のアラーム音を聞きながら、俺は目を覚ました。
「おはよう、景明」
「おはようございます、景明さん」
「おはよう、ニリア、パウラ」
ニリアとパウラに挨拶をして、布団を畳む。
窓の方まで行き、朝日が差し込むカーテンを開けると、空には輝かしい太陽が浮かんでいる。
その横には『次元の穴』が空間から亀裂とともに生じ、相も変わらず渦を巻いていた。
「もはや見慣れた景色だな……」
俺は今でこそ、人々の常識として、もはや日常と化した次元の穴を眺めながら、事の発端を振り返った――。
あれは十数年前のことだった。地球上に突如出現したその穴は、異次元から流れ着いたさまざまな異常性を世界に拡散させる現象を起こした。
その結果、人智を超えた物品をはじめ、危険な化け物、人の遺伝子を急激に進化させる未知の物質などが流入した。そして、それらの異常性は良くも悪くも、人間社会に大きな影響を及ぼした。
当時、各国の政府機関は、この異常現象に対して軍を投入し、事態の収束を図った。けれど、異常性はすでに世間に露見していたため、ニュースメディアを通じて大規模なカバーストーリー『集団妄想』を流布。その後、新たに開発された記憶操作技術を用いて人々の記憶を改竄し、騒動を沈静化させた。
以来、穴は空に浮かぶ星々と同様に、景色の一部と化した。
しかし、一旦は表面化で収まりを見せた異常性の拡大だったが、実は目の見えないところでその脅威はいまだに浸透していた。なぜなら、まだ穴は塞がれていないからだ。
そのため、通常の軍隊ではこれらの異常事態に到底対応できないことを危惧した各国の上層部たちは、秘密裏に異常性を封じ込める専門の組織を設立することに合意した。
その組織こそが、異常封鎖機構である。
かの組織は、どの国にも属さず、完全に独立した勢力でありながら、独自の研究機関、軍隊、そして外交手段を持つ。言うなれば、世界各地に拠点を置く姿形のない一つの国家なのだ。
「傍から見れば、実は俺たちが悪役……何とも笑える話だな……」
「そうね。でも、そのおかげで私たちは巡り会えたわ」
「ああ。運命の悪戯に感謝するべきだな」
皮肉なことに、俺と女神たちの出会いは機構がもたらしたものである。
先日のスコットランドでの一件もそうだが、機構の兵士たちは異常性が人々に知れ渡るのを未然に防いでいる。彼らの正義の行いを妨害し、あまつさえ異形の女神を奪い去った俺は、世界の敵とも言えよう。
だが、そんな俺にも信念がある。
実際、次元の穴は人々が認知していなかっただけで、過去に何度も開いていたのが事実である。そして、俺と俺の一族は陰陽師として、機構が生まれる遥か昔より、人々を化け物から守ってきた。
しかし、機構が登場してからというもの、その立場一変した。
奴らは我が物顔で、同業者である俺たちの存在意義を奪うばかりか、俺たちを異常者の集団と見なし、収容及び排除を試みている。その上、異世界の物質に適応し、進化の前兆を見せる人々を密かに隔離、監視下に置き、「治療」と称して不気味な実験を研究施設で行っている。
それも、まるで神が操る使徒のように、自らの進化の可能性を根本的に抑制しようとしてるかのように思える――。
「……やっぱり、奴らとはわかり合えない。奴らは悪だ」
確かに、奴らからしてみれば、俺たち異能力者は平和な世界でいつ暴発してもおかしくない起爆剤のようなものだ。危険視されるのも十分理解できる。
しかし、世界の平和を願い、その陰でずっと戦ってきた俺たちの存在が、今になって機構が定めた正常性の下で罪に問われるのはおかしい。
それが原因で、俺は幼い時に奴らに襲われ、おばあちゃんは俺を庇って意識不明の重態に陥ったことが――何よりも狂っている。
だから、機構の掲げる正義と理念がどんなに正しくても、俺は奴らのことを否定し、決して許さない。
奴らが、俺や俺と似た境遇の者たちの自由を奪うというのなら、俺は奴らに対して報復をする。
「景明……あまり自分を追い詰めないで」
「ああ、そうだな」
ニリアの優しい声を聞き、強く握っていた拳から力が抜けていく。
俺はそのまま、机の上にある写真立ての中に添えられた一枚の写真を見つめた。
その中に写っているのは、俺の最愛の家族であり、陰陽師の師でもある
「おはよう、おばあちゃん」
写真を通しておばあちゃんに挨拶をした。
毎朝こうして彼女に挨拶をするのが、俺の日課となっている。
おばあちゃんは治療のため、日本から離れた場所――仲間が運営する医療施設にいるが、それでも俺の唯一の肉親だから心配だ。
何より、彼女を傷つけられたことで歯止めが利かなくなった俺は無茶をして、過去に単身で機構に復讐を仕掛けた挙句、無惨に右腕を失った。
その際、俺はニリアに――彼女の心が裂けるような勢いでこっぴどく叱られたのをいまだによく覚えている。
「あなたはもっと自分を大切にすることを覚えるべきよ」
「そう言って、お前は毎回俺のことを許してくれるんだろ?」
「……否定できないのが悔しいわ……」
まるで長年連れ添った老夫婦のような会話をしながら、俺は学校に行く準備を整え、家を出た。
◇
高校の校門を潜り、校舎に入る。
向かう先は、三年生の教室だ。
俺が扉を開けて室内に入ると、二人の男子生徒が俺に気づいた。
「よう、
「明けましておめでとう、誠司。風邪はもう治ったの?」
彼らの名前は、
そして、ここでの俺の仮の身分は、
「久しぶり、高和、海斗。風邪はもう治ったよ。お前たちのクリスマスと正月はどうだったんだ?」
「うーん、俺の方はボチボチだったな。家で受験勉強ばっかしてた」
「僕の方は、父方の祖父の家で親戚同士が集まって、一緒に大晦日を過ごしたよ。 そういう君は?」
「熱が下がるまでずっと寝てた」
「ははは、それはご愁傷様」
俺たちは集まって他愛もない世間話をする。話を聞くと、二人とも冬休みの間は穏やかな日々を過ごせたようで何よりだ。
かという俺は、二人に対して真っ赤な嘘をついた。
実際は、仮病を使ってスコットランドで正義の味方相手に騒動を起こしていたのだが、口が裂けても言えない。けれど、親切な彼らのことを騙したと考えると、心が少し傷んだ……。
「それよりもお前ら! こいつを見てくれよ!」
高和が勢いよくスマホを取り出し、画面を俺と海斗に見せてくる。
そこに映っていたのは、今話題のソシャゲ『グリーンライブラリー』――その人気キャラである「ヘノヘノ・モヘジ」だ。
「どうだ、この限定キャラは! こいつを引き当てるのに苦労をしたんだぞ!」
高和はうっとりとした表情で、目を輝かせながらモヘジのことを自慢してくる。
ゲームの内容は、教授と呼ばれるプレイヤーが、個性的な女子生徒キャラクターたちと協力しながら、学園内で起きるありとあらゆる事件を解決していくものだった気がする。
「へぇー。そのキャラ、確か人気声優の
「まぁな。モヘジちゃんの為に、俺のお年玉を全部つぎ込んだんだ」
「ははは……それは、すごいね……」
海斗が高和の行動力に呆れ、乾いた笑いをする。
まあ、確かに最近のソシャゲのキャラを演じる声優たちの技量がすごいことは認める。しかも売れっ子の声優ともなると、ゲーム、アニメ、漫画だけにとどまらず、各方面からオファーが来るほどだ。
しかし、この前までは『ガレオン船これくしょん』というゲームが流行っていたのに、今ではそれを遊ぶ人はほとんど見かけない。
時代の流れというのは、何とも早いものだ。
《あなたが時代に追いつけてないだけよ?》
ニリアが念話を通して、俺を時代遅れの老人呼ばわりする。
公衆の場では他の人たちもいるため、普段はこうして心の声を使ってお互いに会話をしている。
だが、彼女の言葉は聞き捨てならない。
《そういうお前こそ、昭和のアニメ――
《失礼ね! 私はそこまで年寄りじゃないわよ!》
女神を老婆呼ばわりするのは罰当たりだが、俺はちゃんと彼女が、静子さんと主人公の青年が結ばれるシーンを感動しながら見ていたのを覚えている。
そう考えると、女神がアニメを見ながら涙を流すのは意外と面白い絵面だな……。
《オゾン……一時……? 何ですの、それは?》
《だいぶ前に話題になっていた、冴えない学生の青年と未亡人の女性の恋愛を描いた物語だ》
《そんな娯楽が……面白そうですわね》
《ああ。今度一緒に見よう》
パウラがアニメに興味を抱いてくれた。
彼女に見せようと思うのは、終盤で怪盗がヒロインの心を盗んでいくようなあの名作だ。きっと彼女も気に入ってくれるに違いない。
《あなたこそ、頭が昭和で止まっているじゃない》
外野もといニリアが何かを言っているが、聞かなかったことにしよう。
つまるところ、アニメというものはいつの時代でも愛される最高の代物であることを再確認できてよかった。
…………。
……。
随分と脱線してしまったが、話をソシャゲに戻そう。
この高和という男は、ゲームのキャラに恋するあまり、無課金のスローガンを掲げながら課金を繰り返し、毎回ガチャで爆死をする人間だ。
こいつの熱意はすさまじいが、少々やり過ぎだと思う。そんなに恋人が欲しければ、現実世界で作ればいいはずだ。
見た目はイケメンで元陸上部のエースなのに、何だか損をしている感じがする……。
「何かいいバイトはないかなぁ?」
「金が必要なら、いいマグロ漁船を紹介してやる。取り敢えず、青森、北海道、和歌山、それから宮城のどれかから選べ」
「いやだよ!? てか、何でマグロ漁船一択なんだよ!? 他の候補は!?」
「ないに決まっているだろ、教授」
俺はグリーンライブラリーをこよなく愛する男に敬意を込めて、教授というあだ名を送った。
すると、それがツボにはまったのか、海斗が吹き出した。
「ぷっ、教授! そのあだ名、最高だよ! 今日から高和のあだ名は教授で決まりだね!」
「そういうお前だって人のこと笑えないぞ。なぁ、
「うん?」
海斗が忽然とした顔をする。
少し前、彼がおすすめしたラノベを読ませてもらったんだが、そのタイトルが『時折ブツブツと呪詛でイキる隣の板垣君』で、物語は主人公が言霊で隣の席に座るヒロインに想いを伝えるラブコメものだ。
それを説明すると、海斗は頭を抱えだした。
「タイトルと内容が全然違うし、ラブコメ要素が皆無だよ!? そもそも板垣くんって誰なの!?」
「……俺もわからない。だが授業中に、本当にそのような展開に発展できるか試したのは覚えているぞ」
さり気ない主人公の呟きは、やがて大きな恋を育む。その効果を確かめるべく、俺はそれを高和に試した。
そして結果は……大失敗だった。
「いや、どう考えても当たり前だろ。お前の場合、ひたすら俺のことをガン見して変な呪文を唱えていただけだぞ。しかも、顔を段々と俺の方に近づけてくるから、ほとんど授業に集中できなかった」
高和から文句を言われる。
「もうダメだ……あの可愛かったヒロインの顔が、誰かもわからない板垣君の顔に置き替えられた……」
ミームに汚染された海斗は、この世の終わりみたいな顔をしていた。
まさか板垣君一人でこんな二次被害を出すとは……何というか、すごい破壊力だ。
「……と、ところでお前ら、受験の方はどうなんだ?」
「僕は一応、推薦校に受かったから、ひとまず受験は終わったよ」
「右に同じく」
高和に受験の状況を聞かれ、復活した海斗と俺が答えた。
思ったよりも立ち直りが早かった。
「けっ! 優等生様はいいよな! 頭が良くて!」
「ふっふっふ。だからこそ、みんなから優等生様と呼ばれるんだろ?」
「身も蓋もねぇな、おい!」
男同士でふざけたやり取りをする。
そうして、俺たちは朝の平穏なひとときを過ごした。
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