第3話 夫はマッドサイエンティスト
アルバンのエスコートは、予想以上に丁寧だった。
背中を丸めて、私の腕が疲れないように高さを調節してくれているし、歩くのだって、歩幅を合わせてくれている。
並外れて大柄な彼が、ちまちまと小さく歩く姿は、きっとはたから見れば滑稽にも見えるだろうが、その律儀さには誠意が感じられた。
何分、私もこれまで、両親や領民以外とはまともな関係など構築せず、社交界では男性にエスコートされたことなど一度もないので、巧拙などを的確に判断できないのだけれど……それでも、アルバンの立ち居振る舞いから、間違いなく高貴な身分の男性なのだということが実感としてよく分かった。
最初は領主夫人用となる屋敷の女主人のための寝室と書斎。次いで、アルバンの寝室と書斎、食堂、客間など、生活に必要なところを案内された。
「この屋敷の中のものは、何でも君の好きにしてくれて構わないよ」
私に対して好きにしてくれて構わない、と言われたものの中には、図書館があった。
驚くべきことに二つもあって、一つは昔からこの邸にあったもので、辺境伯として恥じない規模のもの。とはいえ、中央の伯爵家などとは比べ物にならない広いものであり、古書の類が多い。もう一つはというと、信じられないことに、ダンスホールほどの広さがあって、床から天井まで全てが本棚となっており、こちらは比較的新しい本が目立った。余りの蔵書量に圧倒されていると、アルバンは何でもないことのように説明をした。
「どうせここでパーティーなんてしないから、ダンスホールを改築して図書館にしたんだ」
「ダンスホールくらい広いと思いましたが、本当にダンスホールだったんですね」
「うん。だから、ダンスホールでパーティーは出来ないから、そこは了承して欲しい。僕はさっきも言った通り、社交なんて大嫌いだからね。この家でそういった行事をやるつもりがない。いっそもっと拡張して蔵書量を増やそうかなとも思ったんだけど……もしかしたら、君は友達のご婦人を招くこともあるかも知れないと思って、ティールームはそのまま残してあるよ。だからそこは安心して」
「ありがとうございます。ですが、私は一人も友人が居ないので……使うこともないかと思います」
「本当? でも、君は僕と違って美しいし、これまでしっかり、真面目にパーティーやお茶会にも顔を出していたでしょ? 何かで必要になるかも知れないから、まだ様子見にしよう。それに、万が一、どうしてもうちで社交を避けられない事態に陥った時に、最後の砦になるからね」
「最後の砦」
「そう。我が家の社交スポット、最後の砦だよ。あ、蔵書のリストも作ってあるし、配置を決めてあるから、もし新しく何か買ったら、自分で棚に入れないで、司書係に渡してね」
「司書が居るんですか?」
「管理が追い付かないから、雇ったんだ。王立図書館から引き抜いてきた人材だから、仕事に関しては信用して良いよ」
辺境伯家の財力は凄まじい。
確かに、公爵家が司書係を雇っているというのはなくもないが、居るというだけで噂になるほど珍しいものだ。そもそも、近年では急速に庶民の間にも大衆小説が普及し始めているが、字を読める者の比率はそう多くはない。なので、本というのは未だに高級品であるし、この書架の様子を見るに、殆どが専門的なもので、歴史的にも価値ある資料ばかりと思われる。
どれだけ蔵書にお金を掛けているのだろう。
やや目眩すら覚えながらも、ふと疑問に思って、おそるおそる、質問をしてみた。
「あの、アルバン様は、私が本を読んでいても良い、と思っているのでしょうか?」
「勿論。君が読みたいのなら、なんだって」
「ありがとうございます」
「うーん、そこでお礼を言う必要はないかな。世間では、男の前ではものを知っていても知らないふりをするのが淑女のマナー、ってことらしいけど、男女に関係なく、人間なんて知識はあればあるだけ良いに決まってるし、ね。それに、君のように聡明な女性がずっと屋敷に閉じ込められているのって、絶対に退屈でしょ?」
「……ああ、つまり、あなたの許可なく外出はしてはいけないということですね?」
「その通り。実質の軟禁生活だね。子供が出来るまでは出さないから、そのつもりでいて」
「理由を伺っても?」
「君を他の誰にも見せたくないから」
はいじゃあ次はこっちだよ、なんて軽く言いながら、アルバンは案内を続けてくる。
サラッとしている態度なのに、何故こんなにも私に対する執着心が強いのか。謎が謎を呼ぶが、とりあえず、辺境伯夫人としての義務を果たしてほしいのだ、と解釈しよう。
「それで、こっちの奥が研究室」
図書館の規模に驚いていたら、物凄く自然に、研究室を紹介されてしまった。
「なんの研究をしているんですか?」
ひとまず、一旦聞いてみよう。
辺境伯がなぜ、なにを研究しているというのか。理由があれば納得できる。しかし、変態の口からどういう理論が飛び出してきてもおかしくないので、やや聞きたくない気持ちもある。
「魔獣の研究。僕は元々、物事を調べるのが好きでね。特に興味があるのが生き物の魔力と性質についてなんだ」
「竜のせいで死にかけたのに、魔獣の研究をしているんですか?」
駄目だ。これは本物の変態かも知れない。
相互理解を諦めるべきだろうか?
「え、だって、知りたいから。知っていたら対策も出来るし。興味があるからっていうのが動機ではあるけど、魔獣について知ることは、この領地を治める上でも役に立つからね」
怪しい。
目に曇りがなさすぎる。
「……本音は?」
「辺境だと山や森が多くて、生息している種も多岐に渡るから研究が捗るし、王都から遠いからやりたい放題出来てとっても楽しいよ!」
駄目だ。変態なんて次元ではなかった。
ヤバいタイプの研究者だった。
でも、何故だろう。
ここまで突き抜けられてしまうと逆に興味が湧いてくる。正直、どんな内容なのかもっと詳しく知りたい。
「具体的には、どのような研究をしているんですか?」
聞けば、アルバンは私の目をジッ、と見詰めて、それから視線を上の方に三秒ほど彷徨わせて、それから顎を軽くさすった。
うん、と軽く頷いて、返答する。
「まあ、ツェツィーリアなら良いか。見てみる? 危険なものも沢山あるから、中に入ったら何も触らないでね」
「あっ、言わなければ良かった」
「知的好奇心があるのは良いことだよ。さあ、入って入って!」
一旦、見せると決めたら物凄く楽しそうなあたり、不安しかない。
夫がマッドサイエンティストだった場合、妻たる淑女はどうするべきか。難題である。
無邪気な少年のようにご機嫌で私の手を引っ張ってくるのは少しかわいいかも、と思ってしまった。不覚。
我がことながら、絆されるのが早すぎる。
とはいえ、やはり結婚したからには、政略であれなんであれ、良好な関係を構築した方が絶対に良いので、このまま良いところ探しをコツコツ続けてゆくことにしよう。
ラッキーなことに、アルバンは何故だか私のことが好きなようだし、スタートとしては、嫌われているよりは好かれている方が良いだろう。
決意も新たに、ゆっくり研究室の中に足を踏み入れる。
「うわやっぱり見なければ良かった」
半円形の広い部屋の壁は、棚になっていた。
謎の骨や謎の鉱石、同じく謎の液体を入れた瓶などが並んでおり、ファイルや本などが乱雑に詰め込まれている場所もある。
ここまでならまだ良い。
いや良くない。
良くないが、それ以上に問題のある物が部屋の中央に陣取っていた。
「……あの、この、台は一体?」
「解剖台だよ」
「解剖台」
「捕まえた魔獣を研究するために、仕留めたら運んで、体構造を調べたりもしているんだ」
「ああ、この台の上に置いてある血痕付きの斧やノコギリは魔獣の解体用なんですね。殺さないでください。ないし、殺すのであれば一息にお願いします」
「妻を解体する夫はいないよ」
優しく語り掛けてくれるのは良いのだが、そっと後ろから肩に手を置くのをやめて欲しい。
普通に怖い。
「実験体になるのも避けたいのですが」
「ツェツィーリア、君ほどの女性をそんなことで損なうなんてしないよ。勿体ないからね。人体の構造なんて医学書を見ればわかるんだし、今更やる意味がない。それに、もし僕が実物を見たくなったとしても、君じゃない別な奴を使うから安心して」
つまり、この言い回しはもし必要に駆られたら人間を解剖するも辞さないということですね。わかります。
「待ってください。絶対しないと断言してくれないのが本当に怖いのですが」
恐ろしくはあるが、少なくとも現時点では私を殺したり実験体にしようとはしていないと分かったので、振り向いた。
背後を取られているのはなんとなく落ち着かない。
「この世に絶対のものはないから……学術的観点から断言は出来ないかな」
「くっ、理性的すぎる。確かにその観点からだと反論が出来ませんね……!」
眉尻を下げて、あからさまに困ったな、みたいな顔をしているので、マッドなことを仄めかしても許容せざるを得ない。
そもそもが前提として、この世はなんでも起きる。
流石にそれはないだろうとタカを括っていたら、そのまさかが起きたりする。
今の私である。
結婚なんて一生縁がないと思っていたが、急な実家の没落でこうして結婚することになってしまったので、未来は誰にもわからないと実証してしまったばかりである。
「君が理性的で、とても嬉しいよ。それでね、この瓶なんだけど」
「ああ、はい。要は説明がしたいんですね?」
アルバンがサクサクと、大きな瓶を取り出して解剖台の上に乗せる。
抱えるほどの大きな瓶で、中は水のような液体で満たされている。
しかし、見るからにイキイキしているところを見ると、これから辺境伯による魔獣研究説明発表会を開催してくれるらしい。
「まず、これはガルムを瓶の中に閉じ込めたものなんだけど」
「待って待って待って。ペースが早いです。ガルム? 今、ガルムって言いました?」
サラッととんでもないこと言うな、この人?
ガルムというのは、狼型の魔獣である。
国が指定する特定危険種であり、街道沿いで目撃した場合は通報の義務がある。
主に森林に群れで出没し、獲物となる大型動物や旅人を襲い捕食するため、村の付近で出没した場合は速やかに対処しなくてはならないのだが……討伐が困難なことで知られている。
ほぼ全ての物理攻撃が通用せず、魔法攻撃しか有効ではない。
その上、魔法攻撃で倒したと思っても、数時間で復活してしまう。古代から現代に至るまで、人類は国家の別なくガルムとの戦いを繰り広げているのだが、未だ有効な討伐手段は発見されておらず、根気強く魔法攻撃を繰り返し、ガルムが諦めるのを待つ、というのが主な対策となっている。
「そう。あのガルム。魔法攻撃しか通用せず、倒してもすぐ復活する狼型魔獣だね。実は研究して明らかになったんだけど、ガルムには肉体が無いんだ。彼らの本体は意思を持った魔力の塊のようなもので、水や雪、或いは水を含有する泥に憑依した状態で動いているんだ」
「世紀の大発見じゃないですか」
「うん。え、えっと……凄い?」
「凄いです。本当に凄い。素晴らしい成果です!」
なんだろう、この人。
マッドのくせに褒めて欲しそうにしてくるの、狡いのでは?
しかも本当に、国にレポートを提出したら大騒ぎになるレベルの発見をしているので、褒めるところしかない。
「どうやって調べたんですか?」
「実は、乱暴なんだけど、魔力の強さにものを言わせて、とりあえず一匹捕獲したんだ」
「予想以上に体当たりの調査だった……!」
ちょっと照れながら、やたらかわいく言っているが、エグい。
ガルムは強く俊敏な魔獣なので、一人で捕獲などというのは無謀に過ぎる。
普通なら自殺行為でしかないが、なんでもないことのように言っているあたり、アルバンには当たり前のようにそれが出来てしまうのだろう。
流石は白銀、と言ってしまえばそれまでだが、子供の頃、隣の領地でガルムが出た際に「討伐に向かった三十人のうち三人が死んだ。他にも顔の肉を食われて呻いている奴が居る」などという話も聞こえてきたので、絶対にアルバンを怒らせないことにしよう、とひっそり決意した。
「ん? 待ってください。ガルムは物質に憑依しているだけなんですよね? 仮の肉体、水などを放棄して逃げられたりはしなかったのですか?」
「良い質問だね。勿論、逃げられそうになったよ。それで、僕たち人間がこれまでガルムの肉体と思っていたものが単なる憑代に過ぎなかったということが分かったんだ。一旦逃げられたから再度捕まえて、そこから各種異なる属性の魔法攻撃を試して反応を見たんだけどーー」
あっ、はい。
ガルムが物理的な肉体を放棄しても捕獲出来てしまうんですね。
魔力なしの落ちこぼれは黙りますね。
「これまで、国が示してきたガルム討伐のセオリーでは、ガルムは全ての魔法に対して決定的な打撃を与えられるとは言い難いが、水属性魔法には怯む場合が多いとされていたんだ。だけど、観察してみたら、ガルムは水属性魔法による攻撃を受ける時に、自分から当たりに行っているような動きが見られたんだ」
「……すみません。素人の考えなのですが、先程、ガルムは水や、水を含む物質に憑依すると言っていましたが、まさか……?」
「そう。そのまさかだ。ガルムは人間や、他の魔獣を襲う。特に、魔力の強い人間を率先して集団で狙う習性があり、だからこそ獰猛と言われる。でも、彼らは実体がなく、単なる意思を持った魔力の塊。存在を維持するために、外部から魔力を取り込む必要がある」
「だから人間を襲って、魔法攻撃を受けることで補給を行っていた、ということですね」
なるほど、実体が無いから、仮の肉体を倒しても倒してもすぐに復活する。
魔力の強い人間を集団で襲うのは、より多くの魔力を効率よく摂取するため。
ガルムは自分たちの存在を維持するために必要な魔力を得るまで攻撃をやめず、それが私たち人間からすると、ガルムが諦めるまで攻撃を続ける、ということになる訳だ。
「ですが、疑問があります。なぜ、ガルムは人間の肉体に損傷を与え、殺すことが多いのでしょうか?」
「ツェツィーリア、君は最高だ。ガルムには肉体がない。けれど、明確に制限がある。憑依を解いてから再度の憑依を行うまでの時間を計測したところ、最長でも五分。それ以上は見られなかった。つまり、彼らは仮初の肉体が無ければ、五分でこの世から消滅してしまう。そうなると、ガルムたちの生存戦略としては、何が適当だと思う?」
少し迷った。
答えるべきか否か。
本来なら、淑女というものは残酷なことを口に出すべきではないし、楚々として大人しく、夫に対して従順であるべきと求められる。
既にここまでの会話は淑女失格と言われても仕方のない内容ではあるものの、夫であるアルバンが聴衆を求めているから、という名目があった。
だが、うっそりと、面白そうに片方だけ顕になった目尻を下げるアルバンの瞳は優しい。
これなら、言っても良いだろう。
「火属性魔法を使う人間を優先的に殺害する、でしょうか?」
「理由としては?」
「水そのものにしろ、泥にしろ、高威力の火属性魔法を連続で受ければ、蒸発してしまうからです。近くに水場があれば違うのでしょうが……森や街道に出て人間を襲う場合、水分の蒸発が活動停止となってしまうからです。勘ですが、ガルムは憑代にダメージを受けると、多少なりとも魔力を消耗するのでは?」
「完璧だ!」
ほとんど叫ぶようにアルバンは歓喜した。
数度、拍手さえしている。
嬉しくって堪らない、とでも言いたげな様子で、解剖台の向こう側へ向かい、台の上の瓶を挟んで向かい合う形となる。
「ツェツィーリア」
「はい」
「やはり、君には戦術知識があるね?」
ヒュッ。
思わず、息を呑んだ。
背筋が凍り付く。
貴族の女性は、武術や戦略などを習ってはいけない。紳士がたの仕事に賢しらに口を出してはいけないから、無知で無垢で無力であればあるほどよろしい、ということになっている。
爵位に依らず、厳格な家であれば、女性が軍記小説を読むのも咎められるのだ。
けれど、私はそれを読むのが好きだった。
淑女の世界では野蛮で残酷だとされる物語が。過去の戦争の記録が、好きだった。両親が止めず、多忙なのを良いことに、手近な小物や布を使って、実際にあったという戦争の地形を再現して、チェスの駒を拝借して軍の展開の仕方などを再現して妄想する、というような暗い、マニアックな一人遊びをして幼少期を過ごしていた。
子供の頃だけならまだしも、社交界デビュー後もその悪癖が続いていたとあっては、言い訳のしようもない。
落ちこぼれであるというだけでなく、私は、淑女としても失格である。
私を見下ろすアルバンが、捕虜から証拠を得るのに成功した尋問官のように見えた。
うっそりと、不気味な笑みを浮かべている。
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