第15話 女心対面は、トップメタより難しい
◇
……その日の夜。
「お兄ちゃーん、前に言ってた大会の決勝動画出てるから、一緒に見よー」
「いいですぞ」
夕食の後。私―――田花彩芽は、リビングでお兄ちゃんと一緒にソファに座る。結構大きなウラノスの大会がこの前あって、その対戦動画が動画サイトにアップされていたので、タブレットを使って観戦するのだ。
「ふむ……《メタリック・アント》と《ライトニング・ドラゴン》ですか」
二人掛けのソファに、私とお兄ちゃんで並んで座り、動画を見る。お兄ちゃんが大柄なのもあるけど、一つのタブレットを共有しているのもあって、私とお兄ちゃんは自然と密着していた。
「……」
私は動画を流し見しつつ、別のことを考えていた。……今日、お兄ちゃんが郁夫君と対戦した。それ自体は別にいい。でも、その時私はお兄ちゃんの隣に座った。本来ならば経験の浅い郁夫君の隣で彼をサポートするべきだったんだけど、私は適当な理由をつけて彼を避けたのだ。
「……あ、《メタリック・アント》が出たね」
言いながら、私はお兄ちゃんに更にくっつく。お兄ちゃんの高い体温をガッツリ感じる密着度だけど、私はそれ以外に何も感じなかった。羞恥も嫌悪も興奮も、感情は一切動かなかった。……当然だ。お兄ちゃんとは産まれた時からずっと一緒で、私は小さい頃からお兄ちゃんにベッタリだった。最近こそ身体的に触れ合うことは減ったけど、それでもこれくらいの密着は日常茶飯事である。今更、心が動くことなんてない。
「ですな。お相手は除去を引けていない様子。これは厳しそうですな」
お兄ちゃんだけでなく、パパ相手でも大して変わらない。家族相手なら、例え異性でも、体が触れても何も思わない。……にも関わらず、今日、私は郁夫君を避けた。隣に座ったところで別に体が触れるわけでもないのに、意図して彼から距離を取った。彼の隣に座って、自分が平静でいられる自信がなかったからだ。
「ここで《スモール・ピクシー》の連打……さすがに決まりましたかな?」
お兄ちゃん相手なら平気なのに、郁夫君相手だと心を乱してしまう。どうしてなのか。純粋に異性を脅威に感じているというわけではない。その理屈なら、大柄なお兄ちゃんのほうが圧倒的に脅威だ。本人にそのつもりがなくとも、例えば何かの弾みでお兄ちゃんが私のほうに倒れ込むだけで、私は簡単に圧し潰されてしまう。でも、私は平静を保てていた。しかし、相手が郁夫君になった途端、距離を取ってしまう。彼だって男の子だから腕力では敵わないにしても、お兄ちゃんほどの脅威ではないはずなのに。勿論、彼は女の子に乱暴をするような人じゃないのも分かりきっている。でも近寄り難い。その理由は何故か。
「お、《ライトニング・ドラゴン》側が《竜の息吹》を引きましたな。これで状況は分からなくなりましたぞ」
「……だね」
そんなの、分かりきっている。……私は、郁夫君のことを異性として意識している。生物学的な意味での異性ではなく、恋愛的な意味での異性として。彼のことを、恋愛対象として見てしまっているのだ。
「さすが決勝戦だけあって、見ごたえがありますな。どちらも譲らない攻防ですぞ」
ウラノスで遊んでいる時はまだいい。対戦中はウラノスにしか意識が行かないし、彼自身のことを意識することはない。長年ウラノスで遊び続けたことによる、一種の条件反射というか、ルーティーンというか、そういうあれだ。……でも、対戦が終わって他のことに意識を向ける余裕が出来ると、どうしても彼のことを意識してしまう。彼の近くに行くことが出来ない。恥ずかしくて、その恥ずかしさを悟られるのが怖くて、顔すらまともに見れない。そんな状態になる。
「おぉ……《ライトニング・ドラゴン》側が逆転勝利しましたぞ」
「……凄いね」
これから、私はどうすればいいのだろうか? カドショにいる間はいい。対面する時はウラノスをやっているし、基本的にはお兄ちゃんが郁夫君に色々レクチャーしてるから、私が無理に彼と話す必要はない。……でも、学校では? 月曜日にはまた学校が始まる。話すのは基本的にお昼の時だけとはいえ、その間だけでも平静を装える気がしない。かといって、露骨に彼を避けることもしたくない。郁夫君に悪いっていうのもあるけど、彼に嫌われてしまうのも嫌だった。
「凄かったですな」
「……だね」
郁夫君に対する態度を決めあぐねたまま、動画の再生が終わる。タブレットを置いて、私はお兄ちゃんから離れた。
「? 彩芽氏、どうかしましたかな?」
そんな私の異変を察したのか、お兄ちゃんが尋ねてくる。……動画を見ている間はそっちに集中していたから、私のことに気づかなかったのか。いや、もしかしたら単なる勘かもしれないけど。
「……別に」
でも、お兄ちゃんにこのことを話すつもりはない。話しても仕方ないというのもあるし、知られるのが恥ずかしいというのもある。郁夫君とは別の意味で、お兄ちゃんにこの気持ちを悟られたくはなかった。いくら兄妹仲は良いとはいっても、兄に恋愛相談が出来る程、私の神経は図太くない。
「そうですか……では、おやすみなさいですぞ」
「……うん、お休み」
そうして、私は自室に引っ込むのだった。
◇
……週明けの月曜日。
「や、やほー……」
昼休み。いつものように彩芽さんと昼食を取ろうと、中庭に集まった。しかし、彩芽さんの様子はどこかいつもと違っていた。……具体的に何が違うのかは分からない。でも、どこか違和感のあるのは間違いなかった。
「彩芽さん……もしかして調子悪い?」
「え……!? ど、どうして……?」
「いや、なんかいつもと様子が違うから……」
「そ、そんなことはないと思うけど……」
本人に問い質してみるも、当然のように誤魔化された。……まあ、女子には言いにくいことも多いだろうし、そういう原因なのかもしれないな。
「と、とにかく、ご飯にしよ……?」
「うん」
いつものように揃ってベンチに座る。……だけど、普段より距離が遠い。いつもは人一人分の距離を取って座っていたけど、今日は更に距離が開いて、彩芽さんがベンチから落ちそうになっている。やっぱり避けられてる? いやでも、そもそも本気で避けてるなら、適当な理由をつけてこの昼食会自体を欠席するだろう。
「……」
「……」
無言で食事を取る二人。会話もなく、ただ菓子パンを齧るだけの時間が流れる。いつもならウラノスの話題があるのだが、それすらない。
「……そういえば、前に言ってたチャンネルに対戦動画が上がってたね」
沈黙が気まずくて、つい話題を振ってしまう。内容は、彩芽さんが勧めてきたチャンネルの対戦動画。先日大きな大会があったらしく、その決勝戦を撮影したものがアップされていたのだ。
「あ、うん……《ライトニング・ドラゴン》が優勝してたね」
彩芽さんもその動画を見ていたのか、話題に乗ってくれた。
「途中までは《メタリック・アント》側が押してたけど、《ライトニング・ドラゴン》の追い上げが凄かったよね」
「うん……」
しかし、話が弾まない。……いつもの彩芽さんなら、こちらの何倍も言葉を返してきただろう。それが、今回は全然ない。
「……彩芽さん、やっぱり調子悪い?」
「……へ?」
「ウラノスの話にも全然食いつかないし、なんか距離感じるし……調子が悪いんじゃないなら、俺、何かしたかな?」
「そ、そんなこと……!」
俺の言葉に、彩芽さんは否定の言葉を漏らす。……とはいえ、それが彼女の本心なのか、それとも俺を傷つけまいと思って出た言葉なのかは分からない。
「……」
「……」
結局、その日の昼食は会話が弾むことがなかったのだった。
『なるほど。彩芽氏の様子がおかしい、と』
その日の夜。俺は九朗さんに、メッセージアプリを使って相談をしていた。内容は今日の彩芽さんについて。……九朗さんとも連絡先を交換しておいて良かった。
『確かに、先日も少々様子がおかしかったですな』
『何か心当たりはないですか?』
俺自身に、彩芽さんに関して思い当たることはない。避けられているのかと思ったが、その割に昼食は一緒に取ってくれたから、そういうわけでもなさそうなのが逆に謎を深めている。そんな彼女のことも、兄であり一緒に暮らしている九朗さんなら何か分からないかと思ったのだ。
『いえ、残念ながら……理由までは分かりませんな』
しかし、九朗さんにも彼女の異変の原因は分からないようだった。
『とはいえ、あの年頃の女子は、男には分からないような機微があるようですからな。あまり気にしても仕方ないと思いますぞ』
『そうですか……』
結局、彩芽さんのことは保留するしかないという結論になった。
『それはそれとして。郁夫氏は次のチャンピオンシップは参加しますかな?』
『チャンピオンシップ?』
すると、九朗さんは別の話題を投げ掛けてきた。チャンピオンシップ……察するに、大会の名前だろうか?
『いつものショップで定期的に開催されている大型大会ですぞ。いつもの休日大会に比べて参加者が多く、遠方から参加する方々も大勢いますぞ。この辺りでは一番大きい大会と呼んで差し支えないでしょうな』
チャンピオンシップは大きい大会らしい。……この前の休日大会は3回戦あったが、それよりも大きいということは、相当な回数対戦することになるのか?
『開催までまだひと月ほどあるので、ゆっくり考えてみてもいいとは思いますが……参加するのであればデッキの調整や練習なども必要になるので、早めに決めておくといいですぞ』
「チャンピオンシップ、か……」
九朗さんとのチャットを終えて、俺はその大会の名前を呟いた。……以前、今後も大会に出るという方針を決めた。その方針から言えば、チャンピオンシップも参加を検討するべきだろう。大きい大会となれば、休日大会よりも厳しい戦いになるのは想像に難くない。それでも、参加してみたいという気持ちのほうが圧倒的に勝る。
「よしっ……!」
その日俺は、チャンピオンシップへの参加を決意するのだった。
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