そこに心はあるんか?
「なにそれ」
翌日。二限の数学が終わったばかりの小休憩。
一息をついた俺のところに、タブレット端末を持ってやって来たのは飾森だった。
「ちょっとイラストを描いてみたのだけれど」
「ははん、そういうこと。どれどれ、俺の審美眼で採点してや――……エッ」
手に取り、目にした瞬間。表示された0と1の羅列に意識が飛びかける。
それは河川敷にある橋の下で、制服姿のまま交わる男女だった。そ、それも渡会先輩と小夏っぽい誰かが描かれたやつ。画面端にはスマホを眺める男子(俺)もぽつんといる。
LINEの返信でも待ってるのかな? 地面の学生カバンから飛び出たスマホにも通知らしき描き込みあるし! あははっ、芸が細かいなぁっ! しゅごぉおい……。
「どうかしら。絵心があると思わない?」
「うん。人の心は?」
「あ。それ、いらないからあげるわ」
「絵の話っ!? 心の話っ!?」
もう一秒たりともこんなもので俺のか弱い脳みそを汚染されたくはないので、すかさずタブレットを飾森に突き返す。けど絶対、今日の夢に出てくりゅうう、怖いよぉ……。
「つかこれ本人の許可はっ!? 先輩の方はこれ、確実に取ってないだろっ!」
「姉経由で取ったわ。日頃の行いに感謝ね」
「お、お前の姉ってそういう感じだったかなぁ」
小夏の方は正直、飾森が上手いこと「モデルにしていいかしら?」「いいよー」と二つ返事で了承してそうなので聞くだけ時間の無駄だと経験則で分かる。
「ねぇ、それより一つ聞いてもいいかしら」
「な、なんだよぉ……どっか行っちゃえよ、お前もぉ……」
「――どうして彼女がいるのに、そんなに慌てているの?」
「ぁ……」
ヤ、ヤバい。反応を見るのが狙いかっ! なんだよ、俺のこと大好きかよありがとう!
いやまぁ、けど全て理解した上で傷に塩を塗ってくるタイプだしなぁ……こいつ。
とにかく何と答えるのが正解だッ!? ……誤魔化すか? 誤魔化すかっ!
「え、あっ……し、知ってるか。蚊は交尾した後に吸血しに来るから人妻なのだ、ぜ?」
「そうね。メスは一生に一度しか交尾をしないから大半のオスは童貞で、一部は最終的に羽化したてのボウフラを狙う拗らせたロリコンに変貌するわ。光源氏もニッコリね」
「…………」
な、なんか思ってた返しと違って驚いてしまった。
自分の方が詳しいと思って話題を振ったら足元にも及ばなかったとか、そういう感じ。
「何を黙っているの? MTRさせるわよ」
「なんだそれ」
「看取らせ」
「性癖を開拓しようとするのはやめろ」
確かに寿命の差が生み出す死別の感動ものはそうかもしれないけどさぁっ!
やっぱり人間を評価するには、何を言っているかよりも何をしているかの方が重要だ。
「まぁ、あなたの病室にはきっと誰か他の男と来るのでしょうけれど」
「ねぇ、なんでいつの間にか俺が瀕死なの? いや死にかけてるけど。つかそういうのはちょっと思っても心にクるからあえて口にしなかったんだからやめろやめて……」
そもそもそれって寝取られの亜種というか、ただの追撃で死体蹴りだよな?
私のせいだよね、ごめんねされた後。彼氏からの連絡で病室を出て逝くやつだよな?
「いいじゃない。どうせ、いつか
「し、しどい……」
辛すぎて泣いちゃった。
*
「――よぉし、それじゃあ皆! 次の組み合わせを試してくれッ!」
「「「うぇああい……」」」
春先にしては猛暑という他ない、うだるような熱気の日差しを受けながら体操服を着たゾンビ共が体育教師の一声で移動を開始。当然、俺もその群れの中を歩く一体だった。
体育祭へ向けた授業となっており、今日は二人三脚がメインらしい。
時間が余ればリレーをするとのことで、しばらく似たような内容が続くのだろう。
「よろしくなぁ」
「よ、よろしくね……」
と、ほぼ会話の記憶がない目隠れメガネ女子の前園さんが細い返事をしてくれる。
すでに何通り目かの組み合わせになる、女子と肩を組んで行う二人三脚。
初めこそ青春めいた空気もありはしたが、脳筋教師によって全ペアのタイムを計測することとなって以降、運動部以外にとっては完全に拷問の時間が続いていた。
「こらッ、シャキッとしろッ! 準備ができたペアからどんどん行くぞーッ!」
しいたけ目を輝かせながら、恋人が筋肉なマッチョマンが良い笑顔で声を張る。
俺と前園さんの順番も程なく回ってきて、せっせと走り始めた。
だが一応、俺も中学ではサッカー部所属。やってればモテるわけじゃないと悟ったから辞めたとはいえ、いきなり体力が無くなるわけじゃないので疲労は少ない。
そう、問題なのは走るという行為なんて粗末な事ではないのだ。
真に問題なのは、これが男女の共同作業であるということ一点に尽きる。つまり――
「たゆんたゆんたゆんっっ!」
授業が始まってから脳内や視覚的にも鳴り止まない幻聴が、答えの全てだったッッ。
小夏と肩を組んで走るクラスメイトの視線も当然、吸引されている。
さて。どうやって自分が入る墓を掘らせてから自害させようか……。
「本当、涙が止まらない程みっともない男なのね」
「あぁンッ!? 周りにどう思われようと関係ないね、俺がどう思うかだろッ!」
走り終わって小夏を見る俺の背後でため息を漏らすのは、相変わらず飾森だった。
「あら、そう? これは聞いた話なのだけれど、あなたのクラスにおける女子の評判は、〝貧乳には一切の関心を示さないおっぱい星人〟だそうよ」
「え。あっあっ、あっあ……あっ!」
知らない間に俺の高校生活一年目は、終わりを迎えていたらしい。
「い、いやでもおっぱいが嫌いな奴なんていないだろっ! し、尻だって似たようなもんだしさぁっ!? 女子が男子の筋肉見て騒ぐようなもんでしょうがぁあ、ああっ……」
「そうかもしれないわね。まぁ、広めているのはわたしなのだけれど」
「だと思ったよッ!!」
こいつは知り合ってからずっとそうだ。一度だけ対抗して変な噂を流そうと試みたが、そっくりそのまま自分に返って来たのでもう諦めている。
すると俺たちの不毛なやり取りをジッと見ていたクラスメイトの女子――
「真田くんと飾森さんって……仲、良いよね」
「えぇ。誤解を恐れず言えば、都合がよくて後腐れのない肉体と精神的関係だもの」
「いや恐れろよ。誤解しかねぇ」
全く、こいつは。ホント一回くらい痛い目というか、驚かせてやりたいものである。
「そういう軽口言い合えるの、羨ましいって思うな……わたし」
「んー。まぁ、その辺は中学からの付き合いだしな」
「そうね。前園さんはとりあえず、その縮こまった背筋を伸ばして目元を晒け出すところから始めるべきじゃないかしら? 折角、可愛い顔をしているのに勿体ないわ」
「か、かわっ」
褒め言葉を受けた前園さんが両手を頬にむぎゅっと添えながら狼狽える。
確かにそういう仕草は、男から見れば大多数が可愛いと感じるかもしれない。
「走ってる時、視界の端でチラッと見えた感じそんな気はしたかもなぁ」
「う、ぅ、うぅ……」
「それに大人しい性格の目隠れ巨乳なんて、〝ワンチャン俺でも行けそうな勘違い男〟か〝押しまくれば行けそうな粘着男〟ばかり寄ってくるでしょうし」
ひどい言い様だが、飾森の言わんとするところの納得感も正直、百里くらいある。
前園さんに対する個人的なイメージとしては、モテたい相手にはモテず、モテたくない誰かにモテ……あ、あれ? 俺も辛くなってきたからこの話は終わろう、そうしよう。
「まぁ、イメチェン……というかほぼ話したことないから元の印象なんてないけど――」
「ふぐぅっ!」
「幸いそれを指差して笑うようなのもクラスにはいなそうだし、アリなのでは」
しかし仮に前園さんがとんでもない美少女だった場合、長年の生活で染み付いた日陰者仕草(偏見)を連発すると女子からは異常なほど嫌われてしまうだろうなぁ。
「さっ、真田くんは……ど、どっちがいいと思う?」
「えっ。いやその、どっちでも? イメチェンくらい好きすればいいと思うけど……」
「はぅっ!」
さっきからちょいちょい、彼女は謎のダメージを喰らっているが何なのだろうか?
実は意外と〝おもしれー女〟予備軍だったりするのか。なんて思った、その時だ。
「――バカな、あり得ない。ま、前園さんがイメチェン……だ、と?」
さっきまで小夏と二人三脚していたクラスメイトが、分かりやすく絶望していた。
ははん、あいつ前園さんが好きなのか。いや、でも哀しむも気持ちわかるよわかる。
夏休みに彼氏ができて、久しぶりに学校で会ったらギャルに……を想像しちゃうよな。
よしよし苦しめ苦しめ。そんなお前の墓には彼氏とのツーショットを供えてやるよ!
「いや、やっぱりチェンジだチェンジ! 俺は明るく振る舞う前園さんが見てみたい!」
「うひぇっ!?」
「ついでに無理してます頑張ってます感があると愛嬌
「……ひんっ」
勢い余ってつい両肩を掴み、友達みたいな距離感もあってか、涙目になる前園さん。
申し訳ない! けどこれも肉体接触に脳がヤラれてる男子のためなんだよ許してっ!
「さすが、年増女の制服コスプレが好きなだけあるわね」
「そんな性癖はないんだがッ!?」
しかし嘘も吐き続ければ真実に近付くのだろう。途端に周囲が騒々しさを増す。
中には「年増好きならスフィンクスに保健医と寝たって噂もマジなんじゃ」と恐ろしいものまであった。いや寝たっていうか気絶! 失神! 生死の境を彷徨ってただけぇッ!
「お、おおっ、お前ねぇ……俺がツッコまなかったらもう、ただの痛い女なのだが?」
「あら、でも突っ込んでくれると信頼しているもの」
「……はぁ。その自信はどこからくるんだよ」
呆れて涙が止まらない。だって釈明してもホントっぽいとか言われるだろうしな!
それから今度はヤバい感じに顔面が溶けていた柚本とペアになり、抱きつき嫉妬走法を編み出した俺は、体育祭出場種目の一つが二人三脚に決定するのであった。
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