第034話 苦い撤退

 セブンを両手で抱きかかえたまま、全速力で森を駆ける。【瞬間活性エンハンスモーメント】は持続性に難あり。効力を長引かせようと思ったら、連続で行使するより他にない。


「くっそ……!! 足がっ――!!」


 筋肉が、骨の節々が、悲鳴を上げる。だがそれでも、弱音を吐いてる暇など無い。今は一刻でも早く、ここから離れねば。あの化け物に追いつかれぬ様、少しでも遠くへと。


 心臓が張り裂けそうな程の鼓動を抑え込み、一目散に走る。茂みから茂みへ、森の中を縦横無尽――


 だが、無秩序に走り回っている訳ではない。


 踏みしめる雑草に紛れ、足元ではぼんやりと光が漏れる。等間隔で地面に置かれた、淡い光を放つそれら。


(目印を置いといて、助かったな……!)


 発光源の正体は、光り石だ。洞窟内部の確認に使おうと森に持ち込んだものだが、セブンの超人的な夜目に助けられ、無用の長物となった。携帯するのも煩わしかった為、ここに来るまでの道中で置き捨てたのだ。


 時間の経過と共に光は弱まり、光源としては少しばかり心許ない。だが周囲の暗さに助けられ、十分に道標として機能する。おかげで入り組んだ森の中、迷わず出口付近まで駆け抜けられる。



 とは言えど、体力の限界は存在する。


「もう無理だっ――!!」


 ある程度走り終えると膝をつき、セブンを地面へと横たえた。そのまま濁った空気を肺から吐き出し咳込むと、汗がぽたぽたと滴下する。


「流石にきっついな、コレは……!!」


 心臓が酸素を求めて暴れ狂う。何とか息を落ち着けていると、隣でセブンがよろよろと立ち上がった。


 震えは既に収まっており、瞳には力強さが戻っていた。顔色はまだあまり良くはないが、先程までの状態と比べると雲泥の差だ。


「動けるか?」


 問いかけに、こくりと頷くセブン。


「よし……じゃあ森の出口を目指すぞ。足元の灯りを目印にして、とにかく走れ。灯りは一つ目の洞窟まで続いてる。そこまで行けば、出口は直ぐだ」


 遠くでヘルハウンド達の遠吠えが聞こえる。幸いな事に、スピードはこちらに分がある。小柄な群れはともかく、黒影はあの巨体だ。木々が生い茂る森の中を、そう易々と移動は出来ぬだろう。


 息を整え、背筋を伸ばす。


「行くぞ!」


 合図と同時に、二人は再び暗がりの中へと姿を消すのだった。


 ♢


 時刻は夕刻。ストラダ大森林の入り口には、ユーステスとセブンの姿があった。セブンは軽く目を瞑り、自身の胸に手をあてがいながら、呼吸を整えている。片やユーステスは体をくの字に前傾し、深呼吸を繰り返す。


「はあっ……! はあっ……! ここまでっ、来れば……もうっ、大丈夫だろっつ……!」


 息も絶え絶えに、そう告げる。視界はちかちかと白黒に弾け、胃の中は無理やり異物で掻き混ぜられた様。気分は最悪の一言に尽きる。限界までギフトを行使し、無我夢中で森を駆け抜けた。その代償だ。


「なんとか……戻って来られたな……」


 道中幾度か躓き、転び、地面に激突した。黒衣は所々が破れ、擦り傷からは血がにじむ。セブンの白き衣装も、汚れで茶色く変色していた。散々たる有様だ。


 だがそれでも、二人ともに生きている。


「セブン、調子はもう戻ったか? 戦闘の途中、明らかに動きがおかしかっただろ? いったいどうした?」


 安堵の次、押し寄せるは先程のセブンの違和感。黒影との戦闘の最中、突如として動きを止めた彼女。そのおかげで、危うくこちらも命を落としかけた。それ相応の説明が無ければ、到底納得できぬと言うもの――



「……火が、苦手なの」

「はあ? 火……?」


 唇を噛み、セブンはぎゅっと目を瞑る。


「ランタンとか焚火……小さな炎なら問題ない。でも、さっきみたいのは…… 足が竦んで、動けなくなる……」


 両腕を抱きながら小さく震えるその姿に、呆然とする。これまで彼女の纏ってきたイメージとは、あまりにもかけ離れていたからだ。


 決闘では淡々と喉元に剣を突き立て、ヘルハウンドの群れを相手取っても、一切怯む事のない彼女。どんなイレギュラーにも物怖じせず、冷静に対処して見せた。


 そんなセブンの持つ『弱さ』を、初めて垣間見た気がした。


「まあ、なんだ。苦手ってならしょうがないな」


 追及をする気は失せ、代わりに頬をぽりぽりと掻く。



「……理由を、聞かないの?」

「人の弱みを抉るような趣味は無い。もし話したくなったら、その時に話してくれ。それに――」




「俺も、火は嫌いだ……」


 一瞬だが。

 蒼き焔が、世界を覆った気がした。


 ♢


 ひとしきり休憩し、ゆっくりと帰路に着く。森からヘイムダルまで続く道、まだまだ先は長い。


 充足感よりも徒労感が勝っているからだろうか。ただひたすらに体が重い。出発した時よりもが上乗せされてしまったのだ。頭が痛い。


「何だってあんな化け物が出て来るんだよ! 聞いてないぞ!」

「睨まないで。アレについては、私も何も知らされてない。こっちも被害者だから」


 憎々しげに自身の指輪を見つめるセブン。その言葉に偽りはないだろう。何やら色々隠し事をしている様ではあるが、少なくともこの件については、セブン本人も意表を突かれた形……先ほど死にかけたばかりである。


「そもそも、あの黒影はいったい何なんだ……? 幻獣か? 目が三つ! 尾も三本! 躰は鋼鉄みたいに硬ったい上に、あの火球……どう考えたって普通じゃないな!」

「洞窟を護ってたヘルハウンドの反応からして、アイツらのヌシって所じゃないの? 獣のくせして、分かり易く頭を下げて敬ってたじゃん」

「ヌシ……?」


 そう言えば、『骸』の奴らが同じ単語を吐いていた。あの時は頭に血が昇っていて、深くは考えていなかったが。なるほど状況は符合する。


 だがストラダ大森林にあの様な化け物が潜んでいると言う話は、ヘイムダルでは終ぞ聞いた事が無い。『骸』が知っていて帝国軍が知らぬとなれば、ここ最近で出没し始めたと考えるのが妥当だろうか。


 考えられる要因としては、やはりあの死の泉の影響……生態系を好き勝手に壊した、そのしわ寄せが来ているに違いない。


「……任務はどうなるんだ?」

「あのデカいのが洞窟の近くに陣取ってる以上、まとめて討伐するしかないね。群れがやられるのを黙って見てる訳ないだろうし」

「無茶だ!! 今回はたまたま隙をつけたから良かったけどな、次に遭遇したら間違いなく死ぬ! 俺は御免だぞ!」


 復讐を成し遂げる前に、こんな路傍の石で躓き命を落とすなど。馬鹿らしい、断じてあってはならない事だ。


「じゃあ放っておくの? 近くの里に被害が出るかもよ?」

「それ、は……」


 痛い所を突かれ、言葉が詰まる。同時に、黒影に蹂躙される里の風景が脳裏に浮かぶ。


 それはヘルハウンドの動きが活発となる、深夜の出来事だろうか。突如押し寄せる獣の群れが、里人達の喉笛を掻き切り、周囲には血が散乱する。黒影の火球で、燃え落ちる家屋。


 何一つ抵抗できずに、死んで行く里の人間達。泣き叫ぶ子供……


 そんなのは、真っ平だ。


 知らなかった事とはいえ、黒影の領域に踏み入ってしまった落ち度はある。一度こちらから刺激してしまった以上、どうあっても落とし前は付けねばなるまい。


「何とかするしかないか……」


 深く溜息を付きながら、二人は重い足取りで街道を歩み行くのだった。

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