第030話 死屍累々

 洞窟に入ったセブンを尻目に、何と無しにポケットへ片手を突っ込む。すると、何やら指先に固い感触。瞬間、背筋にひやりと悪寒が走る。


「そう言えばアイツ、手ぶらで――!」


 迂闊とはまさにこの事だ。すぐさま駆け出し、洞窟の入り口に駆け寄ると、暗闇の奥より白き影が現れた。


「セブンっ――!!」

「なに? いきなり大声出さないでよ」

「良かった、無事だったか! すまん、コイツを渡すのを忘れてた――」


 握りしめた拳をぱっと開くと、地面向かって硬貨大の欠片が落ちる。落下した欠片は軽い音を響かせ、同時に周囲には淡い緑の光が広がった。


 光り石。

 衝撃を受けて発光する、神秘の石塊。炎ほどの明るさは無く、光の持続性も低いが、何よりも携帯性に優れる。単価が安いのも魅力的。世界各地の炭鉱で出土する事から、マーケットにも年中顔を出す。主に旅人の間で重宝される、天然の光源だ。


「引き返してきたんだろ? 灯りがなくっちゃ中の様子が分からないよな。余計な手間を取らせた」

「終わったよ」 


 地面に散らばった石を足蹴にし、セブンはそのまま洞窟を離れる。目を擦りながら、つまらなそうに欠伸をひとつ。


「いや、終わったってお前……」

「洞窟の中は空っぽだった。群れはあれで全部だったみたいだね。それじゃ、次に行こっか」

「待て待て! ちょっと待て!!」


 淡々と説明しその場を去ろうとするセブンに、急ぎ待ったをかける。


「空っぽだったって……見て来たのか? 奥まで? 全部?」


 こくりと頷くセブン。さっさと次の目的地に向かいたいのだろう。その表情は曇り、若干のイラつきが見て取れる。


「嘘つけ! 中は完全な暗闇だぞ!? 灯りもなしでそんな事、分かる訳ないだろ!」

「それはアナタが勝手にそう思い込んでるだけ。気合が足りないね、気合が」


 何が気合いだ、ふざけてるのか?

 暗闇でも目が見えるってんなら、証拠を出してみろ!


 そう追及しても良かったが、すんでのところで思い留まった。これ以上、セブンとの関係性を悪化させたくはない。胸の内で思う分には自由だが、ひとたび言葉にしてしまえば、衝突は免れない。


 人と人との関係を最も簡単に腐らせる物――それは懐疑心だ。


 互いに一度でも疑い始めたら、もう止まらない。あらゆる発言、行動に疑念が生じる。


(その最たる例が、身近にいるじゃないか)


 ニヤニヤと嗤う騎士様の相貌が、脳裏にこびりつく。不快だ、不快。すぐさま消えろ。


 はなっから切り捨てている相手なら別に構わないが、彼女の場合はそうもいかない。事の真偽はどうあれ、信用する姿勢ぐらいは見せるべきだろう。


「……信じても、良いんだな?」

「どうしても気になるってなら、アナタも見に行けば良いんじゃない? 面倒だから、手早く済ませてね」


 あっけらかんと言い放つセブンを見ていると、言葉を荒げていた自分が馬鹿らしく思えて来る。洞窟の確認には危険が伴う。にもかかわらず、セブンは自ら手を上げ、その役を買って出てくれたのだ。


 少なくともその気持ち自体は、尊重すべきではなかろうか?


「……いや、確認は要らない。お前を信じるよ、セブン。疑って悪かったな」

「そう…… じゃあ、先を急ぐよ」


 セブンは逡巡すると、そのまま森に向かって歩み出した。通りがかりにぽつりと、呟きが漏れ聞こえる。



「本物の暗闇ってのは、こんな生易しいものじゃないから……」



 言葉の意味する所は分からなかった。


 だが、そのか細き声は、どこまでも昏く、凍える様な響きとして。

 ユーステスの胸の奥に、確かに刻み込まれた。


 ♢


 異変を捉えたのは、二つ目の巣に向かう途中だった。森の中にはぽっかりと開けた空間があり、そこには泉が存在する。地図によると、巣は泉のすぐ近くにあるとの事。


 分かり易い目印だ、これを利用しない手はない。洞窟を見つけるよりも、先ずはその泉を目指す事とした。


「この辺りだな……」


 森を抜けた先、眼下に広がるは美しき水面。日光を受け光り輝く、静寂の水辺。


 だが同時に――

 その周囲には、濃密な死の臭いが立ち込める。


「? おいっ……! なんだっ……コレはっ……!?」


 思わず鼻を抑えたくなる程の腐臭。辺りを見渡せば、ごろごろと横たわる数多の獣。臭いの出所は明らかだった。


 子連れの鹿は折り重なるようにして倒れ、猪は腹を地に着けて舌をだらりと突き出す。泉の上には小鳥が点々と、腹部を上にして浮かんでいる。


 獣たちは、皆が一様に苦悶の表情。

 見開かれた眼には蠅がたかり、ピクリとも動かない。


 そこに、生命の息吹は既に無い。



 ユーステスは手近な骸に片膝をつき、その顔を覗き見る。


「こいつは……ヘルハウンド、か……?」


 自慢の黒毛は力なく垂れ下がり、ヘルハウンドを幻獣たらしめる陽炎は、すっかり鳴りを潜めていた。


 その骸の有様を一言で表すならば、悲惨。


 牙を抜き取られた口の中、上顎を持ち上げると血がねちゃりと糸を引く。爪は荒々しくも削り取られ、指先端の肉まで抉られている。先程まで生きたヘルハウンドと相対していたこともあってか、余計に惨たらしさを感じた。


「いったいどういう事だ……!?」


 動転するユーステスと対照的に、セブンは落ち着き払っている。水辺まで近づくとしゃがみ込み、遠くの水面を凝視する。


「――これは、毒だね」


 淡々と、そう言い放つ。


「毒?」

「そ。毒。泉の中心のとこ、目を凝らして見てみて」


 セブンがそっと指を差す。その先を、目を細めてジッと見る。


「ん? なんだ……? あの部分だけ、何か紅いな……」

「あれは花びら、アルテリアのね。あそこから毒が漏れ出てる」

「アルテリアって……嘘だろ……!? 死の大地に咲くっていう、いわくつきのアレか!?」


 こくりと頷くセブンに、思わず頭を抱えそうになった。



 大陸南部は『死の大地』と呼ばれる、不毛の土地だ。痩せこけた大地は生命を拒絶し、動植物が根付く事を許さない。どんな植物であっても、瞬く間に枯れ果てる。植物が育たなければ、食物連鎖が機能しない。生物が生きていくには、あまりにも過酷なその環境。


 そんな中でもただ唯一、凛と咲き誇る花がある。それは枯れた大地のさらに奥、連なる山々の断崖絶壁に、ひっそりと咲く紅き花。


「あれだけの花びらの量だと、相当強い毒になる。水には触れないほうが良いよ。この泉は、もうから」


 一説には、その花は『死の呪い』を宿しているとも囁かれる。無味無臭透明で致死性の強い毒は、さながら生命を殺す為に悪神が生み出した『呪い』だと。


 その真っ赤な花弁は、愚かにも死の大地へと足を踏み入れ、奈落へ吸い込まれた亡者達の――生き血を啜っているのだとか。


「なんかの間違いじゃないのか……? あんなもん帝国に持ち込んだら、一発で首が飛ぶぞ!」

「そりゃ飛ぶだろうね、持ってても罰せられるくらいだし。とは言え、常に一定の需要があるのも事実…… 密売か何かじゃない? 金に目がくらんだんでしょ?」

「…………ふざけんなっ! 腐ってやがるっ!!」


 アルテリアは過去の大戦で、共和国が軍事兵器として利用した。帝国領を縦断する大河。その上流に大量の花弁を括りつけ、奴らはそのまま一晩放置。


 数日後、下流の村々では死者が溢れかえる惨憺さんたんたる光景が広がったと言う。実行犯は有無を言わさず晒し首――刑を下したのは、あろうことか命令を出したはずの共和国上層部であった。トカゲの尻尾切りである。


 あまりにも非人道的な行いとして今なお語り継がれる――歴史上稀に見る大虐殺だ。


 事態を受け、大国は急遽同盟を結んだ。アルテリアを国内に持ち込む事は勿論、所持する事すら一切禁止。それは戦時下であっても守られるべき、最低限の倫理。人の道。


 大河が元の生態系を取り戻すまでには、凡そ三百年もの歳月を要したと言われている。


「さっき戦ったヘルハウンド…… 随分と群れの規模が小さくて、おかしいと思ってたんだ。戦闘の前から、やけに殺気立ってたしな」


 足元に広がる腐敗した個体の数々。目を覆いたくなるような惨状だ。骸の数を数える事すら躊躇われる。


「多分、ここは野生動物たちの水飲み場だったんだね。誰かが花を泉に放り入れたんだと思う。目的は分かんないけど…… それで――」


 話しの途中で、セブンはふと隣を見上げた。その瞼が僅かに開き、黄金の瞳がユーステスの表情を捉える。


「許さねぇ……」


 ありありと、漏れ出る殺気。それはセブンが彼と出会って折、これまで感じた事のない。


 本気の殺意だった。


「群れにこれだけの被害が出たんだ。ヘルハウンドだって黙っちゃいない。人里に出るようになったのも全部っ……こいつが原因じゃねぇか!! どこのどいつがやったか知らねぇが、必ず報いを受けさせてやる……!!」


 憤怒に染まったユーステスの眼は、セブンの視線には気が付かず。ただ真っすぐに、虚空を睨んでいた。

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