第013話 皇帝

 しんと静まり返った城内を闊歩する、壮年の男の姿。肩で風を切り歩むその相貌は、風体とは裏腹に苦々しく歪んでいた。気品ある振る舞いを心掛けてはいるが、内より生じる嫌悪感は如何ともし難い。男は苦悩の最中に居た。


(愚妹が…………つくづく面倒な事になった物だ)


 しかし、それは無理からぬ話。彼がこれから向かう先は、謁見の間。皇帝ルシウスが鎮座する、ルミナリア帝国が中枢なのだから。


 男の両脇を固める兵士はすっかり縮こまり、その歩みに半歩遅れて追従した。彼らの心中を表すならば、「ついていない」の一言に限る。


 先刻ヘイムダルより、手記が届いた。そこに記されていた文面は、凡そ彼らの理解を超えていた。信じ難い、何の冗談か。読み返す程に、質の悪い悪戯の様に思えるその内容。だがそれは、紛れもない現実だった。文末に将軍シグルドの名前を見る度に、否が応でも思い知らされる。


 渦巻く思考は何度も同じ袋小路に迷い込む。

 だからこそ、愚かにも再び問うてしまう。


「ウルジオ様…… 手記に書かれていたあの内容…… 真なのでしょうか? 妹君が、その…………」


 歯切れの悪い問いかけに答える事はなく、男は一層歩調を早めた。無言は肯定を意味すると悟り、兵士は押し黙る。これ以上はやぶ蛇。逆鱗に触れる前に、沈黙するが是であると。気まずい静寂の中、徐々に近づく目的地。思わず身震いした。


 ついていない、なぜ今日に限って護衛の番なのか。

 近寄る事すら恐れ多き、帝国の支配者がこの先に――


 扉の前に到着した一同は、暫し立ち止まる。謁見の間と謳われつつも、この場所を訪問する者は数少ない。皆が皆、皇帝の前に立つことを恐れている。城の警備が手薄なのもそれ故だ。


 ウルジオが目配せすると、兵士達は前に進み出た。巨大な扉を押し開き、部屋の中へと踏み入る。


(何度来ても慣れんな、ここの空気は)


 紅き絨毯の先、玉座に深く腰掛ける男。よわい六十は超えようかという老躯だが、後方へと流れる黒髪と、凛と伸びる口髭が老いを感じさせない。その目元は陰に覆われていながらも、鋭い眼光は周囲に伝播し、忽ち場を威圧する。刺し貫かんばかりの視線が、ゆっくりとウルジオへ向けられた。


 謁見の間。

 座するは皇帝、ルシウス・エッデ・アーデハルト。

 悪辣なるルミナリアの帝王は、黙して来訪者を招き入れた。


 皇帝の左右に控えるは金と銀、二つの容姿。金髪の男はにたにたと気味の悪い笑みを浮かべながら、玉座の側面に背を預けている。片手にはグラス持ち、中には赤い液体が満ちる。


「おやおやぁ、坊ちゃんじゃないか? 随分と久しぶりだなあ。寂しかったぜ~ もっと頻繁に顔を見せておくれよ。折角同じ城に住んでるんだからさ」

「…………」


 無言。だけでなく、ウルジオは男と視線を合わせる事すら拒んだ。軽薄な言動、辟易する。あのような俗物は視界に入れるだけでも、自らの品位が下がると言う物だ。言葉を交わすなど論外極まる。


「ん~? 無視とはつれないねえ。そんな不愛想な所まで、御父上に似なくとも良いじゃねぇかよ~」

「その辺りにしておけ。殿下が呆れておられるぞ」


 割って入るは凛々しき声。出所は玉座の双璧、その片割れ。銀髪の男は直立不動のまま、透き通るような声音で窘めた。胸元で輝く朱き記章が、言葉に威圧を上乗せする。


「何だよ、つめてぇなあオイ! 久々の再会を喜ぶぐらい、別に良いじゃねぇかよ!」

「殿下は用件があってこちらへ参られたのだ。邪魔立てをするな」

「そう目くじら立てなさんなって。坊ちゃんと俺は海よりもふかーい間柄なんだからよ」


 ウルジオは男達のやり取りを無視し、その場で軽く礼をした。視線の先には皇帝ルシウス、既に状況は次の段階へと移っていた。


「あー、ハイハイ。分かりました、黙りますよ。俺だけ除け者ですか、そうですかっと……」


 グラスを揺らしながら、唇を尖らせ黙り込む。この男、軽薄ではあるが存外空気は読めるのであった。


「陛下、ご報告に。今朝方、通達がありました。ヘイムダルにて災いの影あり――」


 ウルジオはそこで一度言葉を切る。目の前の男の反応を見逃さぬ様に、玉座へ向けて視線を僅かに上げる。


「リーンベルが倒れました。身元不明の襲撃者の手により、意識不明の重体。現在ヘイムダル全域より、医術に明るい者を総動員して治療に当たっているとの事です」


 言い終えた後、張りつめた空気が場に広がった。時間にして、数秒であろうか? 体感では、まるで永遠にも匹敵するかの様な。長き長き静寂であった。ルシウスは首をひとつ鳴らすと息を吐き、端的に告げた。


「それがどうかしたか?」


 玉座の隣からはクツクツと押し殺した笑いが漏れる。肩が上下する振動で、手にした赤き液体がゆらゆらと揺れた。耳障りな囀りに、ウルジオは不覚ながらも苛立ちを覚える。俗物と同じ土俵に立つべきではない。皇帝のその返答は、彼とて想定内だ。


 報告を行う彼自身がと思っているような話題に、眼前のこの男が興味を示すはずがないのだから。


「いえ。リーンベルの安否は捨て置きましょう。問題はヘイムダルの統治です。現状この都市は皇族、宰相、何れも不在。為政者がおりません」


 ウルジオは先刻目にした手紙の内容を反芻し、言葉を続けた。リーンベル襲撃の件と併せて記載された、もう一つの事実。北へと去った、哀れな宰相の顛末を。


「お目付け役として滞在していたはずのドルマゲスは、何やら城を出て行ったと。仔細は存じ上げておりませんが……」


 伝えるべき事柄はこれで全て。さっさと頷き、早くこの場から解放しろ。そんな思いだけが、胸の内に渦巻く。ルシウスはまたしても大きく溜息、侮蔑の視線を向けた。それは実の我が子に向けるには、あまりにも冷たき眼差しであった。


「お前はそんな事を言う為に、わざわざこの場所までやって来たのか?」


 怒気は無い。ただそれは真っすぐな、呆れを孕む。


「ヘイムダルを気に掛けろと、私がお前に命じたか? お前は与えられた役割にだけ注力していれば、それで良いのだ。いつになったら共和国を攻め落とせる? アーノルドの手綱を握るのはお前の役割だろう? いつまで法国への不干渉を続けるつもりだ? よもやセイレーンの世迷言に、賛同した訳ではあるまいな? 兄弟姉妹を統率するのが、第一皇子であるお前の責務であろう? 忘れたか?」


 これまで幾度となく紡がれた、嫌味の言葉。もはや気分を害するなどと言う次元に無い。あの好き勝手に動き回る同胞はらからを、長男だと言う理由だけで御し切れと? 下らない、あまりにも。


「ヘイムダルの安寧は我が国の安寧。そう思っての進言です。各国に挟まれたあの都市が盤石であればあるほど、ルミナリアの威光を広く知らしめる事が――」


 ウルジオの弁明は空しく広間に響くのみ。対するルシウスは、既に興味関心を失っていた。対話をする気はとうにない。


(害虫が…………)


 これは怒りではない、嫌悪だ。首都での政治をこちらへ押し付け、自分は玉座で踏ん反り返るだけ。御大層な騎士を侍らせ、更にはあの痴れ者の好き勝手を許容していると来た。ちらりと視線を向けると、鼻歌交じりでグラスを傾ける金髪姿が目に入る。


「――♪ ――♪♪」


 皇族への敬意も知らぬ阿呆が。なぜあんな者がこの謁見の間にいる?



 重い静寂が広間を包み込む。

 皆が黙り込むその空気を、打ち破るは珍客。

 無遠慮で、浅慮な叫び声。


「陛下っ!! 皇帝陛下っ!!」


 突如として謁見の間に侵入してきた、謎の男。元来ならば近づく事すら忌諱される大広間。好んで訪れるは余程の命知らずか、はたまた無能か。その両方か。


「おいお前っ!! 無礼であろう!! 第一皇子ウルジオ様が謁見の最中であるぞ!! 弁えよっ!!」

「もっ申し訳御座いません…… しかし、陛下っ!!」


 隣に皇子の姿を認め、一度は謝罪をするも束の間。男は興奮を抑えきれずに、大声で続けた。恰幅の良い禿げ上がった頭部からは、滝の様な汗が伝っている。


「ついにサイレス地区が陥落致しましたぞ! 長らく掛かりましたが、私奴わたくしめの采配に、奴らいよいよ恐れ戦きましたわ! 間もなく捉えた祝福者共がやって来ます故、是非とも選定の議を執り行って頂きたく――」

「貴様っいい加減に――!!」



「お前でよい」



 その呟きは、集まった全員の耳朶を打った。


 ルシウスは玉座に肘を付きながら、腕を折り曲げる。拳の上に頬を乗せながら、酷くつまらなそうな顔つきで続けた。


「そこのお前。急ぎヘイムダルへと向かい、まつりごとを取り仕切れ」


 ウルジオは目を見開く。あまりの急展開に、ただただ唖然。とち狂ったか、この愚帝は。正気を疑うぞと、危うく喉元まで出かかった。


 対して、隣では呆け顔が際立つ。彼は皇帝の言葉を飲み込むまでに、幾分時間を要した。ようやく理解が及ぶと、至福が全身を駆け巡る。夢見心地といった風に体を震わせ、深々とお辞儀をした。


「ははっ!! 身に余る光栄っ、ありがたき幸せっ!! 私目、必ずや陛下のご期待に応える事を約束致しますぞ!!」

「たっは♪♪!!」


 笑いを堪え切れなくなった金髪の男は、遂に決壊。思わず頓狂な声を上げた。同時に丸い寸胴を翻し、軽やかな足取りでその場を去り行く珍入者。突如として降って湧いた、皇帝からの勅命。その栄誉を噛み締めながら、彼は上機嫌な足取りだった。


(やったやった!! やったぞ!! いよいよ私の時代が来たっ!!)


 ヘイムダルと言えば、隣国エオス法国と、宿敵ラント共和国との国境。皇族、宰相、将軍と、帝国の要人が集う大都市だ。そんな区域の政治を一任された、これ以上の誉れがあろうかと。


 自身がこれまで積み上げてきた成果がついに認められたのだと、男の心は弾む。都市での華麗なる活躍を夢想しながら、男は帰路へと着くのだった。




「宜しかったのでしょうか、ウルジオ様…… あのような者に、ヘイムダルの統治などと」


 帰り際、隣を歩く兵士がウルジオに囁いた。誰にも聞かれぬ様に、最小限まで抑えた声量で。皇帝の決定に疑問を持つ、その事自体が危険と隣り合わせ。自然と会話には緊張が走った。


 ウルジオは冷めた眼光を飛ばす。言われるまでもなく、問題しかない。問いかけを行う兵士に、寧ろ苛立ちが募った。


(馬鹿が………… 凡愚しか居ないのか、この国は?)


 他者に意見を求めなければ、そんな当たり前の事にも確信を持てぬ無能。これを愚か者と言わずして何と言うか。礼節を弁えぬ者、自身で思考せぬ者、国の統治を放棄する者。どいつもこいつも愚者ばかり、反吐が出る。


「かの都市にはシグルド様もおられます。将軍に委ねるのではいけないのでしょうか?」

「目的をはき違えるな。軍の主戦力であるシグルドが何の為に首都を離れ、遥か遠東まで足を運んでいると思うか? 共和国への睨みを利かせるのが、彼の役目だ。都市内部の動向に目を向けて如何とする?」


 兵士は押し黙った。彼とて帝国軍に在籍する身。当然その辺りの事情は把握している。しかしそれを踏まえた上でも、あの采配には苦言を呈さずにいられなかった。


「ヘイムダルをあのまま放置はしない。リーンベルの穴はアーノルドに埋めさせる。手記は俺の方でしたためておく。事を急げ」


 静かに、それでいて怒気が滲む声音にて。ウルジオは兵士にそう告げるのだった。


 ♢


 城での動乱から一夜明け。ユーステスは馴染みの宿で眠っていた。皇女セイレーンとシグルドを筆頭として、近々集会が設けられる。状況の整理とヘイムダルの行く末について。話し合うべき事案は枚挙にいとまがない。ユーステスもリーンベルの騎士として、その場に同席することを求められていた。


 彼が現在身を寄せる酒場宿、名を『山猫亭』。疲れで泥のように眠る意識が、僅かに覚醒する。重い瞼をゆっくりと開けると、そこには見知った顔がひとつ。


 ニヤリと人好きのする笑みを浮かべながら、眼前の女は口を開いた。


「おや、偽りの騎士様。ようやくお目覚めかい?」

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