第26話 海と虫眼鏡
俺が子供の頃の話なんだけど、聞いてくれ。
海の近くに住んでたんだけど、当時はバブル崩壊とか色々重なってさ。
なかなか、職に就けなかったんだよ。俺。
貧乏だったけど、じいちゃんが漁師だったからさ~。
魚とか海藻だけは、困らなかったってわけ。
まぁ、それらを売りに行ってその金でコメとか野菜を買うんだよ。
俺が高校とかになってからかな。じいちゃんから頼まれたことがあるんだ。
「お前。船、出せるか?」って。
じいちゃん、骨折しちゃってさ。日常生活はできるけど、船に乗るのは難しいって医者に言われたんだ。
俺? さすがに無理って断った。運転できないし、法律的にも問題あるんじゃね?って。
そしたら、じいちゃん首振って。
「じゃあ、アキさんに頼んでやる。一回だけでいい。明日の夜、これ持って、船さ乗れ」
手渡されたのが古い虫眼鏡だった。
レンズの部分なんて、曇っていて見えないようなものだった。
アキさんって人は、じいちゃんの古い友達。
つっても、年齢は二回りくらい違ってて、じいさんってよりかはおじさんって感じ。
面倒だなって思ったけど、じいちゃんから一万円札を渡された。
「何に使っても、いい」
って。
不況で、高校生で1万なんてでかいじゃん?
即座に首を縦に振った。
で、次の日。
母さんと父さんはわかっているのか、ダウンを用意していた。
5月くらい……だったかな。
今くらい暑くはないけれど、いらないってと断った。
まぁ、無理やり持たされたけど。
で、アキさんが迎えに来た。
そのまま歩いて、船着き場に向かう。
満月がきれいだったのを覚えてる。
面倒だと思ったけど、夜に出歩くって憧れるよな。
船着き場について、船に乗った。
さすがに海の上は寒かった。ダウンを持っていって正解だよ。
10分くらい? だったはず。
船はある場所で止まった。
沖には出てない。夜に出ると、危険だし。
ギリギリ船着き場が見えるくらいの場所だったはず。
アキさんが。
「虫眼鏡、持ってっか?」
俺は慌てて虫眼鏡を取り出した。
どうするか聞くと、アキさんは。
「海面に当てさい」
といった。
言われたとおりに当てる。
小学校の時にやったじゃん。虫眼鏡を使って紙に火をつけようってやつ。
紙の部分が、海な?
当ててるんだけど、何もない。
「アキさん、これいつまでやんの?」
「もう少しだ。……来たな」
ぽつりとつぶやくアキさん。
首を傾げていると、船が揺れ始めた。
捕まりながらも、海面を見ると違和感を覚えた。
船の……大体、10m範囲くらい?かな。
白い何かが見えた。一定間隔に置かれている、白い細い杭のような何か。
振り向くと、船の背後にも同じようなものが置かれている。
歯だ。
理由なんてない。直感で分かった。
でかい魚か何かが、口を開けている。
同時に、目の前にランタンが現れた。
人だ。
ありえない。
海面に人が立っている。
俺の前までやってくると、彼はニコッと笑った。
「おや。当代は?」
誰のことかわからない。
何かを話そうとしても、口が動かない。
「骨を折って、今日は来れない」
俺の代わりに、アキさんが答えてくれた。
頷きながら、俺の顔を覗き込む男性。
「では、次代で?」
「わからん。持ち回りだからな。……そいつは、代わりじゃ」
「あぁ。……確かに、そうらしい。では、契約に変わりはないですね」
契約?何が?
なんとかアキさんのほうを向く。
何か話そうにも、言葉が出ない。
何を話せばいいのか、わからなかった。
「ご用件は?」
「……カツオが必要になった。初鰹じゃ。できれば、2mくらいのものが欲しい」
「わかりました。こちらからは、米をいただきます」
「何キロがいい」
「そうですねぇ……。1~2kgで構いません。こちらも、年を取りましたからね」
「……わかった」
何かの取引だということが分かった。
初鰹は高値が付く。
しかも、話を聞くに網で捕まえるものじゃない。一本釣りってやつだ。
技術は必要だが傷がつかないから、もっと高くなる。
目の前の奴は、だれだ。
俺の視線に気が付いたのか、彼は俺の目を覗き込む。
「詮索するものでは、ありませんよ」
「……はい」
かろうじて出した返事に、男はニコッと笑った。
「それでは……。明朝、だと早いですね。明後日の朝、ここで釣り糸を垂らしてください。米も持ってきてくださいね」
「あぁ。俺だけでいいか?」
「構いませんよ。伝えておきますね」
そういって、男は海の中へと潜っていった。
「な、なんだ今の……」
ようやく息ができた俺は、アキさんに尋ねる。
彼は、少し考えた後笑った。
「隣人、みたいなもんじゃ。帰るぞ」
数日後、アキさんは見事な初鰹を水揚げした。
かなりの高値が付いて、半分の金額が俺の家に入った。
じいちゃんに聞いたんだよ。俺が見たものは何って。
「古い付き合いの神様みたいなもんだ。交換条件が必要だがな」
高校を卒業してすぐ、俺は家を出た。
運よく就職できたし、仕送りを出来るならしたい。
家を出る前、ふと気になったことをじいちゃんに聞いた。
「もし、俺とか……。誰も継がなかったらどうするん?」
じいちゃんは静かな声で話した。
「それで終わりだ。虫眼鏡を返してな」
数年後、じいちゃんが死んだと聞いて実家に帰った。
ちょうど、アキさんもいたから話をした。
遺品整理をした際に出てきた虫眼鏡は、じいちゃんの仏壇の上に残っていた。
じいちゃんの話をすると、アキさんは。
「なら、返さねぇとなぁ」
とため息をつきながら話した。
「いやなの?返すの」
「まぁ、おかげで俺らが食っていけてるからなぁ……。だが、時代もあるか」
「ふーん」
気になったから、返すところも見たいとアキさんに話をした。
彼は「まぁ、いいか」と言って、依然と同じように迎えに来てくれた。
同じように船に乗って、同じように虫眼鏡で海面を照らして。
「息災か?」
あの日と同じように男性が姿を現した。
アキさんが、説明をする。
その説明に、俺は衝撃を受けた。
「ここに俺たちが住むようになってから、あんたらのおかげで楽にさせてもらっていた。恩を仇で返すようで、申し訳ない。だが、俺たちの後を継ぐやつがいねぇから、これを返したい」
アキさんはそう言い、虫眼鏡を取り出した。
彼は何かを考えるように、空を見上げた。
「そうか。……以前にも、乗っていたな。お前は、継がないのか?」
「お、俺?」
「あぁ」
親戚のおじさんみたいな口調だ。まるで「学校どうだ?」と聞いてくるようなニュアンス。
でも、目の前にいる人は人じゃない。
俺は、何とか首を横に振った。
目の前の彼は、ふっと笑った。
「時代か」
彼は、虫眼鏡を受け取り後ろに数歩下がる。
つま先を鳴らし、俺たちのほうを見る。
「ほんの100年程度ではあったが、大儀であった」
静かにそう言い、海へと沈んでいった。
その後、葬儀を終えて火葬場へと向かった。
葬儀に来ていたアキさんや、ほかの漁師の人がじいちゃんを見るやいなや。
「あぁ。返したんか。そら、そうか」
諦観を乗せた言葉だった。
あれから、アキさんに話を聞いてみた。
曰く「陸の物と海の物を交換する条件で、先祖が契約をしたもの」と言ってた。
今ほど漁業技術が発達していない時代だったから、必要な契約だとアキさんは語った。
「だが、まぁ、今の時代ならもういらんだろ」
火葬後、俺は東京へと戻った。
ふと、飯を食う時に。特に魚を食べるときに、思い出す。
じいちゃんたちは、何と契約していたんだろう。
俺が小さいころに会った人と、この前会った人。口調が違ってた。
わかっていたのだろうか。返すことを。
結局、何もわからないままだ。
今でも、海の映像を見ると思い出す。
あの人たちは誰で、何だったんだろう。
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