第5話 財布

「財布……?」


 ふと歩いていると目の前に財布が落ちていた。近寄ってみると、まるで新品みたいにピカピカの財布だった。 


「運がいいかもしれない」


 ちょうど金がなかった時だ。中身を見て金があったら少しだけ頂戴しよう。と、財布を拾った。

 財布の質感から、おそらく本革だろうと期待をしつつ中身をみた。

 あまり金がないようだ。1000円札が2枚だけ。なんだ、これっぽっちか。


「交番に届けるか……」


 せめて万札が10枚くらい入っていればなぁと思いながら財布を閉めた。

 交番を探しながら、ふと気になった。

 そういえばこの財布の持ち主は誰だろう。

 俺はもう一回財布を開けた。

 身分証とか入っていればなぁと、軽い気持ちだった。


「ん?」


 中身を見ると何か違和感を覚えた。よくよく確認してみると。


「金が……増えてる……!?」


 金が増えている。しかも万札。数えてみたら10枚ほど。 


 俺はそこで、ある考えが浮かんだ。

 持って帰ってしまえばいい。


 交番に届けるべきだとは思う。

 だが、意思に反して財布を自分の物のように持っていたカバンの中にしまった。

 この財布の持ち主には申し訳ないが、人助けをしたと思ってほしい。おそらくこれを持っていたやつは、いい暮らしをしていたのだろう。

 貧乏人への施しだ。なんだっけな、ノブレスオブリージュってやつだ。

 さて、これで今月の家賃や光熱費などが払える。必要なものを払ったら、少し余裕がありそうだ。


「今日は飲みに行けそうだな」


 そう考えながら、俺は軽やかな足取りで自宅へと帰った。



 俺は、この財布を持って銀座の高級クラブへと足を運んだ。

 何人かのホステスを呼び、彼女らに告げる。


「今日はなんでも飲んでいいぞ!」


 昔、一回だけここに来たことがある。あの時は会社を首になったから、あまり金はなかった。

 だが、今日は違う。今日はこの財布がある。

 俺が高らかにそう告げると、ホステスたちは色めき立った。


「ほんとー?」

「あたし、ピンドン飲みたーい!」

「本当に? 本当にいいの? エンジェルで~!」

「おう! いいぞ。どんどん頼め!」


 キャーと黄色い声を上げる彼女たちを満足そうな顔で見つめた。次々運ばれてくる酒やフード。 

 ホステス達も自分たちに金を落としてほしいがために、俺を口々に褒めちぎる。

 彼女たちが楽しそうに話しをしているのを見つつ、財布の中身を見る。

 ここに来る前に何度か試したが、どうやら蓋を開け閉めすると10万円ずつ増えるようだ。

 なんてすばらしい財布なんだろう。これを拾った俺はラッキーだ。

 だって何度も開け閉めすれば金がどんどん増えていくんだから。

 数時間後、黒服が会計をするよう言ってきた。どうやら閉店時間のようらしい。

 伝票を挟んだバインダーを受け取る。金額を見ると、大体100万円ほどだった。


「なんだ、このくらいか」


 ぼそっとつぶやいた。このくらいで女性たちが俺を持ち上げてくれる。金があれば、これだけいい思いができるのだと知った。



 ホステスたちに別れを告げて、いったんカプセルホテルに泊まった。

 一晩考えた俺はまず見た目を整えた。

 クラブに入って周りの男たちの格好を見ると、清潔感があり尚且つ高そうな格好をしていた。

 なれば、と俺はその足でオーダーメイドのスーツを仕立ててくれるという店に入った。

 フルオーダーだと数か月ほどかかるらしく、パターンオーダーで頼んだ。金額は20万円ほど。

 そのあと靴屋で革靴を買い、髪を整えてもらう。

 金はこの財布からどんどん出る。

 できる限り高いところに行っても、目玉が飛び出るほど高い、ということではなかった。


「働いていたら、このくらいのことができたんだろうか」


 そう考えるが、その考えを振り払うように首を横に振る。

 いやいや、辞めたからこの財布が手に入ったと考えよう。そんなことを考えていても仕方ない。

 それに、働いたとしても上限がある。俺の体力以上に働くことは不可能だ。


 時計店に行って時計も買った。金額が120万。店員が俺を丁重にもてなした。

 最初こそ訝しげな視線を送ってきた。

 話を進めるにしたがってどんどんと目の色が変わっていった。

 こちら、とてもよくお似合いですと出されたのが120万の時計だった。それを一目見て即決で買った。

 もちろん現金一括払い。

 店員は一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐに表情を改めた。札束を彼に渡す。

 店員は丁寧に札を数えていた。ありがとうございました、とこれ以上下がらないくらい頭を下げて俺を見送った。


「最高だ!」


 いい気分だ。いい気分なんて言葉で表せないくらい。こんなに高揚感に包まれたのはいつ以来だろうか。



 その後俺は考えられる限り遊んだ。

 キャバクラや銀座のクラブで湯水のように金を使い、キャバ嬢やホステスに大量のブランドバッグなどを買い与えた。飯は高級店といわれるような飯屋で食べた。

 会計が万を超える時が増えてきた。

 前までは驚いていたが、だんだんと普通になってきた。


 俺は家を買った。一等地の一軒家だ。大体一億円ほど。それを一括で支払った。

 さすがに、怪しいと思われたが追加で金を払ったら特に何も言われなかった。

 その家に何人かの女性を住まわせた。みんなキャバクラやクラブにいた女たちだ。

 お気に入りの女性を住まわせて、贅の限りを尽くした。



 財布を拾ってから3か月くらいたったある日。俺はベッドから起き上がろうとした。


「ん?」


 力が入らない。おかしい。どうしてだ。

 誰かいないか人を呼んだ。住まわせている女たちが心配そうな声を出して俺の部屋へときた。

 俺の姿を見た瞬間、彼女たちは悲鳴を上げてどこかに行ってしまった。


「なんなんだ……」


 自分が出した声に驚いた。

 恨めしげな声を出したとは思っていたが、その声が普段の声よりもしゃがれていた。

 なんとか起き上がり、鏡を見ようと洗面台に向かう。無駄に広い家を買ったからか、洗面台に向かうのも一苦労だった。

 普段ならもっと早くつくはず。なのに、なぜか一歩一歩が重い。なぜだ。

 ようやく洗面台についた。鏡を見ると、悲鳴とも取れないような声が出た。


「な、なんだこれは……」


 みると、俺の姿が老人のようになっていた。たるんだ皮膚。生気のない目。自分の手で顔を触ろうとしても手がなかなか上がらない。


「おおい、だれか」


 そう叫んでも誰も来ない。もしかして俺の声が聞こえていないだろうか。いや、普段も同じくらいの声で呼んだらすぐ来てくれる。

 もしかして、もうこの家にいないのだろうか。


「なぜ……」


 どうして、こんなことに……。

 よろよろと自分の部屋へと戻る。ドアを開けるとそこには見知らぬ男が立っていた。


「だ、だれだ」


 しゃがれた声だから勢いがない。男は俺に気づいたようでゆっくりとこちらをみた。


「お迎えに上がりました」

「迎え? 迎えとはなんだ」

「財布を使ったでしょう?」


 そういわれドキッとした。確かに使った。だが、あれはもう俺の財布だ。


「使うも何も、あれは俺の財布だ」

「そうですね……。確かにあなたの財布です。あれはね、あなたの寿命と引き換えに富を与えてくれるんです」

「なんだと? 寿命? もしかして俺がこんな姿になっているのは寿命がないからなのか?」

「そうですよ」

「う、うそだ」


 俺は後ずさりをした。心なしか、さっきよりも息をするのが苦しい。


「ウソではありません。ただ、あなたは拾ってしまい自分の物だと断言してしまった。あなたの財布ではないのに」

「お、おれのだ……はぁ……。俺がひろったんだから……。それに寿命ってんなら、おれのものといってもいいだろ」


 くるしい、しんどい。立っていられずに、座り込んでしまう。目の前が暗くなってきた。

 なんとか顔を上げると、男が近くまで来ていた。なんだ、何が言いたい。


「次は――」


 その言葉を聞く前に意識が途絶えた。







「……あ?」 


 目が覚めた。目の前には見覚えのある天井。俺が前に住んでいたボロアパートだ。

 ん? 前? 今も住んでいるのに前なんてなんで思ったんだろうか。

 やることがないから散歩をする。すると、目の前に財布が落ちていた。本革の高そうな財布だった。


「……なんで拾いたくないんだろ」


 中を確認して札があれば数枚もらおうとした。

 だが、手が動かない。それでも、誰かに取られるくらいならと財布を拾い中身を見た。

 札はなく、小銭が数枚のみ。……いや、紙が挟まっている。レシートではない。気になってその紙を取り出した。

 そこにはこう書かれていた。


『次は、うまくやってくださいね』


 なんのことだかわからない。ただ、この財布を持っていると嫌な感じがする。

 俺は、近くの交番に財布を届けようと足を進めた。

 交番に届けると、ちょうどこの財布の落とし主がいた。落とし主からは謝礼を、と言われた。

 だが、断った。


 落とし主は受け取ってほしいと言ってきたが、謝礼はいらないと言い交番を後にした。

 交番を出ると、なぜだかわからないが清々しい気分になった。いいことをしたからだろうか。

 せっかく外に出たんだ。バイトの求人誌でも貰っていくかと考えながら、帰路へとついた。

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