第三十六話

「貴方様を捜していたのです。お会いできて安堵致しました」

「ほお? 旦那の目を盗んで男と逢引きたぁ、良い趣味してるじゃねえか。嫌いじゃないぜ」

「お戯れを。朝比奈家に嫁いだ身として、奉公人の皆様の様子を把握しておくのも私めの勤めにござりますれば」

「そうかい。そいつぁ、ご苦労なこった。……もっとも、朝比奈殿あいつ奥方殿あんたにそんなことを命じるとは思えねえけどな」

「……と、仰いますと?」


 夕霧は眉間に小さな皺を刻んだ。自分の立場や見え方を考慮しつつ言葉を選んだつもりだったが、何やら違和感を与えてしまったらしい。聞き込み調査をする上で、こちらから相手へ警戒心を抱かせるのは避けたいところである。為恭は特別気にした様子もなく続けた。


「あいつは両親が大切にしてきた朝比奈家の家紋に傷を付けないよう、武士として生きることを腹に決めちゃあいるが、あくまでそいつは自分自身の心構えの話だ。惚れ込んで連れてきた嫁さんにまで、武家の女としての働きを強要することはしねえだろうよ。時代錯誤とそしられるかもしれねえってのに」

「……時代錯誤にございますか。雑賀様も、かつては鉄様と共に戦場を駆けたと伺いましたが、武士で在ろうとする鉄様の姿は時代にそぐわないとお考えで?」

「さあな。難しいこたぁ、分かんねえよ。本人がそれでいいっつうなら、いいんじゃねえの?」


 為恭の、鉄に対する理解の示し方に、夕霧は感心を覚えた。無条件に寄り添うでもなく、無関心に突き放すでもない。本人の望む在り方を、ただ横で見守っている。これが友人というものの距離感なのだろうか。そんな関係性を築けた試しのない夕霧には分からなかったが、鉄が彼を信用する気持ちは理解できる気がした。


「──っと、こんな話なら中でもできるだろ。ほら、戻りな」


 為恭が手を軽く振って追い払うような仕草をする。夕霧はその手を取って両手で握り込み、彼を見詰めた。


「お待ちください。もう幾何いくばくか、お付き合いいただきたく存じまする」

「あ?」


【何だ、まさか本当に誘われてんのか? もっと肉付きのいい女の方が好みだが、まあこれだけツラが良けりゃあどうとでもなるか。ああ、でも、鉄之丞の奴と揉めんのは面倒くせぇな……】


 武士らしい手付きをしていること、普段は鉄を下の名前で呼んでいること、ふくよかな体の女性を好んでいること、面食いの傾向があること。どうでもいい情報が五月雨式に流れ込んでくる。思うところは多々あるものの、何とか表情に出さないようこらえた。夕霧が知りたいのは、こんなことではない。


「すでに聞き及んでいるものかと存じますが、私めは先日、鉄様が懇意になさっている源蔵先生の元へご挨拶に伺った折、さよ様と共に暴漢の襲撃を受けました。現状では己が何に巻き込まれたのかさえも把握できておりません故、少しでも情報が欲しいのでございます。さよ様や喜三郎様について、お話を伺わせてはいただけないでしょうか?」


 聞き込みをするにあたり、夕霧自身が表立って騒動に巻き込まれた事実は大きな後ろ盾となる。阿片を巡る事件の調査をしていることは伏せたまま、さよや喜三郎の名前を挙げても然程さほど不自然ではなくなった。下手な遠回りを挟まず直球で質問をぶつけられるのはありがたい限りである。


 為恭は眉間に皺を寄せ、訝し気な顔で答えた。


「ああ、何かいろいろあったらしいな。話って言われてもよお、俺だってほとんど何も知らねえよ。病死したとしか聞いてねえし、生前もそこまで親しかったわけじゃあねえしな。妹のほうは面識すらねえ」


【真面目過ぎて反りが合わなかったんだよなあ、あいつ……。年下の癖に、俺が仕事を怠けてんの目敏く見つけては注意してきてよお。いい奴には違いねえが、もっと肩の力を抜きゃあいいのにと思っていたもんだぜ】


 喜三郎が真面目な男だったという話は、以前にも別の下男から聞いた覚えがある。誰に尋ねても同じ返答がくるのだから、この部分に間違いはなさそうだ。尚のこと、真面目な喜三郎がどうして違法薬物の密売組織と関わりを持つに至ったのか、謎が深まってゆく。


「左様にございますか。承知致しました。貴重なお時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」


 これ以上の情報は出ないと踏んだ夕霧は、為恭の手を放して頭を下げた。為恭が「おう」と応え、再び手を振り追い払う仕草をしてくる。今度こそ従ってきびすを返した時、共に歩き出した彼がふと思い出したように呟いた。


「……喜三郎のことを知りてえってんなら、寛助かんすけには訊いてみたかい?」

「寛助様にございますか?」

「ああ。喜三郎の奴と歳も近くて、奉公人の中でも一番仲が良かったんじゃあねえかな。寛助自身は気難しい野郎だが、喜三郎が明るい奴だったから、器用に打ち解けていやがった気がするぜ?」

「……!」


 まだ聞き込みができていない奉公人のうち、最年少の下男の姿を脳裏に思い浮かべる。初日に挨拶をしたきり、ほとんど会話をした記憶がない青年である。どんな人物なのかあまり掴めていないが、彼が喜三郎と懇意にしていたというのなら、話を聞かないわけにはいかない。


「情報提供、感謝致します。後ほど、お話を伺いに参りまする」

「そうかい。俺はあんたが外に出なけりゃあ、それでいい。屋敷の中でなら、何をしていようと俺の知ったことじゃあねえしな。精々、大人しくしていてくれや」

「善処致します」


 新たな手掛かりを入手した夕霧は、ともすれば小走りになってしまいそうな勢いで主屋の中へと戻った。その背中を見送る為恭が、「見かけによらず活発な譲さんだな。鉄之丞が手を焼くわけだ」と呆れ混じりに呟いたことなど、知る由もない。

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